北オセチア最高裁、当局者の訴追を却下

ロシア日刊紙コメルサントの5月3日の報道によると、2日、北オセチア・アラニア共和国の最高裁判所検察庁は、さる4月3日にウラジカフカス地方裁判所が下した決定を却下した。却下された決定は、2004年9月のベスラン学校占拠人質事件*1のさいに事件現場にいた非常事態省職員および警察官に対する訴追に関するもの。

下級審は4月3日に、先の職員ら、および、当時の現地対策本部の上級担当者の法廷への召喚を検察庁が拒否したことを違法と判断していた。この上級担当者には、北オセチアのザソーホフ大統領や、ジャンティエフ内相も含まれている。

RFE/RL NEWSLINE Vol. 11, No. 81, Part I, 3 May 2007
http://rferl.org/newsline/2007/05/030507.asp#archive

ベスラン事件の幕引きはまだ、ということですね。当局者の何かの不作為のために数百人の死傷者が出たために、法廷に引き出そうとしたら最高裁が許さなかったということでしょうか。「4月3日の決定」と訳していますが、これは判決ではないような気がしたためです。ずいぶんさぼっていたのでよくわからなくなっていますが、もう1本くらい、最近の記事を訳してみたいと思います。(大富)

*1:チェチェン独立派が1000人の人質をとって篭城し、多数の死傷者を出した事件

ベスラン学校占拠事件:誰が嘘をついているのか?

ootomi2006-09-03


2004年9月1日にロシアの北オセチアで発生し、治安部隊の強行突入によって330名以上(うち半数は子ども)が死亡する大惨事となったベスラン学校占拠事件から2年。ロシアの上下院議員によって設置されたベスラン独立調査委員会は、今年の2周年追悼式典を前に、政府の公式見解を根底からくつがえす報告書を発表した。

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ロシア治安部隊が先に撃った――証言

北オセチア、ベスラン学校占拠人質事件犯人ヌルパシ・クラーエフの裁判が続いている。9月3日の治安部隊の突入のさい、当局側は「体育館の中で爆発があり、中から銃撃があったために突入した」としていたが、現場の近所に住んでいる市民、クズベク・トルビノフ氏(64歳)は法廷での証言で次のように証言した。「装甲兵員輸送車が一台、爆発の前に校舎に向かって攻撃を仕掛けた」と証言した。

この証人は事件をすぐ近くの自宅から目撃していた。「3日目に、治安部隊の4人の兵士が、校舎内から遺体を引き取るために入っていった。人質犯の一人が出て行きて、遺体を運び出そうとしていた。そのとき、装甲車がやってきて、学校を銃撃し始めたんだ。爆発はそのあとで起こった」

ロシア当局はこれまで、体育館内に仕掛けられた爆弾を人質犯たちが爆発させたために、突入せざるを得なくなったと発表していた。しかし、遺族達は治安部隊が犯人達を掃討するために、焼夷弾火炎放射器戦車砲などを使ったと非難している。

Russian Forces Were First to Fire ― Beslan Witness
http://www.mosnews.com/news/2005/09/28/beslantrialwitness.shtml

次々と明らかになる新事実−クラーエフ裁判

ootomi2005-08-09

米・ジェームズタウン財団の「チェチニャ・ウィークリー」より
http://www.jamestown.org/publications_details.php?volume_id=409&issue_id=3424&article_id=2370105

 北オセチア最高裁判所には、ベスラン学校占拠人質事件の元人質たちがつめかけている。生き残ったゲリラのヌルパシ・クラーエフの裁判が続いていて、公式発表とは矛盾する事実が明るみに出ているのだ。報道によると、人質犯たちのなかには、少なくとも数人のスラブ系の人物がおり、うちひとりの狙撃手は、指揮にあたっていたと見られている。しかし、9月3日にロシア治安部隊の突入のあと、その遺体はどこからも見つからなかった。

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クラーエフ裁判「テロリストたちは撃たなかった」人質たちが語る

6月14日、ウラジカフカスでのヌルパシ・クラーエフ裁判が再開された。15日のコメルサント紙によると、被害者(元人質を含む)たち8人が証人となった。最初に証言したアレクサンドル・グメツォフの13歳の娘アザは、体育館で焼かれていた。彼はクラーエフを非難するより、むしろ国に対する不信感をあらわにした。

ジナイーダ・ヴァルジエーワは、彼女の息子の体に銃弾の貫通した傷があったことを証言した。彼女は「銃弾は外から飛んできたんです。軍は学校にむかって射撃をしていたんです」と訴えた。

元人質だったリマ・クスラエヴァは、2人の子どもとともに学校内にいて、彼女の見た事件の様子を語った。2004年の9月1日、午前3時から4時の間に、ゲリラたちは人質に対して、外部からの攻撃があるかもしれないから、その時はすぐに床に伏せて、銃弾が当たらないようにしろと伝えた。ゲリラたちは攻撃があれば反撃するつもりだと言った。最初の爆発のあと、ゲリラたちは人質たちを窓際に立たせて、白旗代わりのカーテンを持たせた。しかしその時に装甲車が突入してきて、車内から飛び出した兵士たちが銃を撃ち始めた。「女性の一人が倒れるのが見えた。すぐに窓際に死体が積み重なった。ゲリラたちは最後まで、私たちを撃つことはなかった。もしゲリラたちがすべて死んでいても、軍は突入して私たちを殺したように思えてなりません」

英語版: http://www.kommersant.com/page.asp?id=585101
ロシア語版(詳細): http://www.kommersant.ru/doc.html?docId=585101

kommersant:クラーエフ裁判

今週もがんばっていきましょう。クラーエフの供述の、まとまった記事が見あたらないので、いろいろな記事の断片的な記述を集めている。大半は無駄な作業かもしれないが、いまのところこれしかない。

6月1日のコメルサント紙英語版によれば、クラーエフたちがイングーシから北オセチアに入ったルートを助けていたのは、ある警察官だった。その警察官スルタン・グラゼフは、モズドクでゲリラたちに誘拐され、トラックに押し込まれてベスランまでの道案内をさせられた後、事件発生直前に逃げ出して地元の警察署に逃げ込んだと、コメルサントは書いている。

「遊びに来たんじゃない、命令で来たんだ」と、<大佐>(ラスル・クチバロフ)は部下たちに言って統率に従わせようとした。クラーエフはその「命令」が、アスランマスハドフとシャミーリ・バサーエフから下されたものと信じた。ルスラン・アウシェフ・元イングーシ共和国大統領が学校に交渉に現れた時のことは、こう語る。「アウシェフと大佐は2〜3分話し合っただけだった。その後で、大佐が携帯電話で誰かに、<ザソーホフ(北オセチア大統領とジアジコフ(イングーシ大統領)が来たら、そのつど人質を150人づつ解放する>と話しているのを聞いた」という。

クラーエフは、治安部隊の突入が、ゲリラ側の挑発によるものではないことを強調した。爆発は、踏み込み型起爆ボタンを足で踏んでいたゲリラが、外部から狙撃されて倒れたために起こったものだという。一方、調査に当たった専門家の判断によれば、体育館の天井につられていた2つの爆弾は、絶縁用のテープで留められており、室内の熱のためにこのテープがはがれて落ち、爆発した。もう一つもそのとき誘爆したとしており、クラーエフの供述と矛盾している。

http://www.kommersant.com/doc.asp?id_doc=582738

クラーエフ裁判の状況 <その1>

ootomi2005-06-03


クラーエフ問題をどう考えたらよいか、まだわからない。ベスラン事件でたった一人生き残ったテロリスト、という位置づけがまずあやしい。率直なところ、ロシア側が送り込んだチェチェン人エージェントなのではないかと思っている。しかし裁判では罪状を認めていないとのことで、かならずしもロシア側の意向通りに動いているわけではない、ように見える。

ただ、仮にエージェント説をとると、彼が終身刑や極刑に処せられることはありえない。だから、罪状を認めないまま刑が軽くなれば、予定通りの茶番になるはずだ。ただ、チェチェン人エージェントの命は軽い。完全な使い捨される可能性もある。ロシア議会の調査委員会の報告はどうなったのだろう。それとの照合も必要だ。

チェチェン人は本当にあの事件に関わっていたのか。その問題意識を中心に、報道を追っていきたい。以下は最近のまとめ:

MT:クラーエフ裁判

5月31日に、ベスラン学校占拠事件に一人だけ生き残ったとされるヌルパシ・クラーエフ容疑者に対する裁判が始まった。クラーエフは証言の中で、連邦軍が突入した際、校舎内からの挑発は何もなかったと語った。また、連邦軍の先鋒が体育館に突入したさい、ゲリラの一人が狙撃されて倒れた。さらに、建物に仕掛けた爆弾の起爆装置のスイッチを踏んでいた*12人のゲリラが撃たれ、爆発したのだという。この点について、連邦当局はこれまで「軍部隊は体育館内部で2度の爆発があったために突入した」としており、クラーエフの証言と食い違っている。(モスクワタイムス 2005/6/1)

http://www.themoscowtimes.com/stories/2005/06/01/011.html

SA:クラーエフ、ロシア側を非難

5月31日、法廷のクラーエフは「<大佐>は、ロシア側の交渉人がくれば、そのつど150人を釈放しようとしていた」と語り、ロシア側が意図的に交渉を避けていたという意味の発言をした。

MN:クラーエフ裁判

「やつらには血も涙もない。最後の弾が尽きるまでやるしかないな」と<ポルコーフニク(大佐)>は言った。クラーエフの証言によると、ゲリラたちは事件以前、子どもを人質にとるか、警察署を占拠するかで意見が分かれていた。「子どもと女たちを学校の建物に追い込む計画が出されたとき、何人かは大声で反対した。どうして学校なんだ、近くに警察署があるじゃないかと」ゲリラの中にいた2人の女性は、学校占拠と爆弾の設置という組織の方針に反対していたという。(モスクワニュース 2005.06.01)

http://mosnews.com/news/2005/06/01/beslantrial.shtml

クラーエフは24歳

クラーエフ裁判は今のところ予審というか、プレ裁判の状況らしい。6月2日のイタル・タス通信によると、クラーエフは24歳で、チェチェンのノジ・ユルト近くのスタール・エンゲノイ村の出身者。今回の裁判ではロシア刑法に抵触する8個の罪で訴追されている。それには殺人、公務員に対する計画的殺人、テロリズム、誘拐などが含まれる。検察側はニコライ・シャペル副検事総長と3人の検察官をこの件に充てている。弁護人はアルベルト・プリエフ弁護士。検察側は105点の証拠物件を法廷に提出している。弁護側証人はいない。

http://www.itar-tass.com/eng/level2.html?NewsID=2097196&PageNum=0

子を失った母がクラーエフの赦免署名集め

クラーエフを赦免するための署名集めを開始した母親がいる。lenta.ru などによれば、ベスラン事件で子を失ったスザンナ・ドビィエーワさんは、クラーエフが真実を話すことを条件に、赦免のための署名をあつめようとしている。

http://lenta.ru/news/2005/06/02/kulaev1/

MN:クラーエフ裁判

クラーエフは6月2日の公判で、事件以前に存在したいくつかの攻撃計画について語った。これによると、クラーエフたちのリーダーである<大佐>は、チェチェンの首都グロズヌイ、ウラジカフカス、ナズランなど北コーカサスの都市の警察・治安省庁建屋に対する、自動車爆弾などを考えていたという。(モスクワニュース 2005.06.02)

http://mosnews.com/news/2005/06/02/beslanmore.shtml