閉ざされた声=チェチェン(8)ミカイル

ootomi2005-08-03

信濃毎日新聞2005年6月3日掲載原稿を一部訂正 

遺された表札

 辺り一帯は、ロシア軍による爆撃と砲撃で変わり果てていた。しかし、半壊した家の門には、確かに「五一番地」と記されている。
 グローズヌイ西部の住宅地。昨年暮れ、チェチェンに入って間もなく訪れたその家は、間違いなくミカイル・エリジーエフ(37)の家だった。
 詩人でジャーナリストの彼は、私が初めてチェチェンに入った一九九五年以来の知人である。廃墟と化したこの家は、私が寝泊まりする取材拠点でもあった。
 彼が生存しているという情報は、チェチェンに入る約四〇日前に得ていた。行方がわからないのは気がかりだったが、数日後、私がチェチェンに入ったことを知ったミカイルが、取材先に私を訪ねてきてくれた。第二次チェチェン戦争が始まり、グローズヌイがロシア軍に包囲されていた一九九九年十一月、取材の合間に立ち話をして別れて以来、五年ぶりの再会だった。

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閉ざされた声=チェチェン(7)長老アブハジ(林克明)信濃毎日新聞2005年5月27日掲載の記事を改稿

ootomi2005-07-26

急ぐな。急ぐとすべてを失う

 二〇〇五年元旦、チェチェンのゲヒチュー村を訪ねた。首都グローズヌイから南へ車で約四十分。山岳部の入り口に位置するこの寒村にまでロシア占領軍は駐屯している。

 日本人が村に来たと聞いて、一八九〇年生まれの長老アブハジ・バトゥカーエフ(114)が、私の泊まっていた家を訪ねて来てくれた。
「いまは我々には大変な時期だ。日本人がここまでたどり着くには、大変な苦労があっただろう。言わなくてもわかる」
 長老はこう言った。

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閉ざされた声=チェチェン

ootomi2005-07-21

(6) タイーサ(下)(林克明
2005年5月20日付け信濃毎日新聞記事を一部改稿

私には伝える勇気がある

 チェチェンの西隣にあるイングーシのナズラン市。二〇〇五一月十二日、住宅街の一角を封鎖したロシア連邦保安局(FSB)の特殊部隊員たちは、午後二時ころ、『SNO』事務所の扉を激しくたたき、室内に乱入した。

 タイーサ・イサーエヴァ(32)が設立したSNOは、ナズランに事務所を置き、チェチェンの状況をインターネットで国内外に伝えている。市の中心部に借りていた事務所の家賃が払えなくなり、数日前、住宅街の狭いアパートの一室に移ったばかりだった。

 覆面に防弾チョッキ、自動小銃を手にした隊員たちは、事務所にいたタイーサともうひとりの女性に、両手を挙げて壁際に立つよう命じた。タイーサの後頭部には自動小銃が突きつけられた。

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閉ざされた声=チェチェン(5)タイーサ(上)

ootomi2005-07-14

2005年5月13日付け信濃毎日新聞を一部改稿

終わらぬ戦争―娘の未来は

 第二次チェチェン戦争が始まって間もない一九九九年十一月、チェチェンの首都グローズヌイは周囲の半分近くをロシア軍に包囲され、多くの住民が脱出していた。瓦礫の街には灯りも暖房もなく、水も食糧も尽きかけ、残された市民は、その日を生き延びることに必死だった。

 冷たい霧が瓦礫に染み入るような夜。独立政府系の通信社『チェチェンプレス』のディレクター、タイーサ・イサーエヴァ=当時(26)=に出会った。激しい攻撃で停電し、ガスも水道もない編集局に入ると、ランプの灯りの下で何人かが働いていた。緊迫した状況下で、イスラム女性特有のスカーフも身につけずに陣頭指揮をとっていたのがタイーサだった。

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閉ざされた声=チェチェン(4)マジーナ

ootomi2005-07-12

2005年4月29日信濃毎日新聞掲載原稿(一部改稿)

「行方不明者」捜す女たち

 「人間はこの世に一度生まれ、一度死ぬ」
 二〇〇〇年三月、チェチェンの惨状を訴えるために来日した「チェチェン母親たち」代表のマジーナ・マゴマドワ(51)が語った言葉が今も忘れられない。「危険な活動をしていて怖くないか」という記者会見での質問に対する答えだった。

行方知れずの弟

 ロシア占領下のチェチェンで増え続けている「行方不明者」。マジーナたちは、ロシア軍やFSB(連邦保安局)、傀儡(かいらい)政権に逮捕・連行されたまま行方がわからなくなった住民を捜す活動を、十年間続けている。

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バイナフ自由通信に連載します

林克明です。このサイトで、チェチェン取材に関する連載を始めると書いて以来、数ヶ月も経ってしまいました。遅ればせながら7月1日より、『バイナフ自由通信』で「チェチェン日記」を始めました。ぜひ読んでみてください。気が向いたときに読んでいただければ幸いです。

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閉ざされた声=チェチェン(3)アブバカール

ootomi2005-07-06

信濃毎日新聞2005年4月22日掲載原稿を一部改稿

<「生き抜く」という抵抗>

チェチェンの首都グローズヌイ。外壁のレンガに弾痕が残るアパートの部屋には、ベッド以外に家具がなかった。この部屋に住むアブバカール・アミーロフ(52)は、白髪頭で、実年齢よりだいぶ老けて見える。


彼の運命を変える事件が起きたのは、第二次チェチェン戦争でロシア軍がチェチェン全土を占領した年、二〇〇〇年十一月十一日のことだった。

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