ガイドブックで「迷い」

旅行ガイドブック「行ってはいけない」(仮称タイトル未定)のチェチェンの部分(26ページ)を担当している。

チェチェン問題とは何か」という囲み記事で躓いている。つぎのうち、何を中心に書こうか迷っているからだ。ガイドブックなので、このような文章は短くしなければならないので、なおさら難しい。下記にあげる①を中心にして②を少し書く、というスタイルが「無難」といえば無難なのだが。
①石油利権、ロシア政治の権力維持の問題(国内政治の暗部)、イスラム急進派の問題、ロシアの戦争推進派とチェチェン急進派の一部との黒いつながり。

②18世紀から現在までつづくロシアの植民地主義にたいする抵抗戦が戦争の重要な要因であること。つまり歴史中心に書く。

③帝国の臣民VS自由人の争い

 臣民であるロシア人(ロシア化された人たち)と縛られるのがきらいなチェチェン人との対立。あるいは近代国家<ここでは大ざっぱに富国強兵+帝国主義植民地主義・ヨーロッパ文化至上主義・科学万能主義など)と、それになじめない人びととの争い。この10年間にモスクワとチェチェンを行ったり来たりして、つくづくそう思う。

 チェチェンでは、年長者を敬う風習がある意外、階級というものが存在したことが歴史上なく、人びとの間で平等意識が強い。それと自由であることを何より大切にする。

 それぞれの村は、就任期間を定めて長老を選出し、自治を行なう。危急存亡のときにだけ、自治による村々の代表が集まり、チェチェン全体で対処する。こういう社会を何百年もつづけてきた。

 ロシアに併合されてから、このような平等主義と高度な自治は抑圧されていたが、ひとびとの風習のなかには残っている。

 これでは、ロシア帝国ソビエト連邦、そして現在のロシア連邦の支配に甘んじられるわけがない。

 パワーポリティックスのロシア<米英仏なども基本的には同じ)に対して徳治主義の伝統が、まだチェチェンには残っている。「徳治主義」という言葉は、『美の文明をつくる〜「力の文明」を超えて』(川勝平太著 ちくま新書)から拝借した。この本を読んでいてチェチェンのことが思い起こされたのである。

 ロシアの支配に対して武力闘争しているのだから、これも力の論理で、という見方もあるだろう。しかし、挑発に乗って事件を起こしたことはあっても、チェチェンはいままで侵略戦争をしたことはない。そこがポイントだ。

 ただ、ロシアの徹底した弾圧で、この「徳」が一部崩壊しかかっている。そこがロシアによるチェチェン攻撃の最大のねらいではないかと思うくらいだ。

 ここまで書いてきて思った。やはりガイドブック用の囲み記事としては、①と②をコンパクトに書くしかない。③は、整理したうえで別記事にしたほうがいいのかもしれない。