ベスラン学校占拠事件:誰が嘘をついているのか?

ootomi2006-09-03


2004年9月1日にロシアの北オセチアで発生し、治安部隊の強行突入によって330名以上(うち半数は子ども)が死亡する大惨事となったベスラン学校占拠事件から2年。ロシアの上下院議員によって設置されたベスラン独立調査委員会は、今年の2周年追悼式典を前に、政府の公式見解を根底からくつがえす報告書を発表した。


8月31日付のラジオ・リバティの記事によると、モスクワ市当局は、ロシアの人権団体が独自にベスラン学校占拠事件の追悼2周年集会を開催することを禁止した。主催団体の代表、スベトラーナ・ガンヌシキナは、モスクワ市の動きを、「(ベスラン学校占拠事件に関する)政府の調査が『客観的な事実』と異なっているという私たちの主張を広めさせないため」のものであると指摘し、「当局は、いま私たちがベスランの事件について自由に語ることを望んでいないのです」と語る。なぜなら、8月29日にベスラン独立調査委員会がまとめた報告書は、政府による公式見解とあまりにもかけ離れていたからだ。

8月29日付のラジオ・リバティの記事から、報告書の要点をまとめてみる。

(1) 政府は、体育館内の爆発とゲリラ側からの銃撃が、治安部隊の突入のきっかけとなったと発表している。一方、独立調査委員会のメンバーであり、爆発物専門家のユーリ・サヴェルエフは、700ページにもおよぶ報告書の中で、最初の銃撃がゲリラ側からではなく外部から体育館に対して発砲されたものであるということを科学的に説明し、爆発が起こったとされる場所に関して公式見解と人質の証言が一致していないことに言及している。この点については、「装甲兵員輸送車が一台、爆発の前に校舎に向かって攻撃を仕掛けた」、「爆発はそのあとで起こった」という市民の目撃証言もあり、独立調査委員会による報告がそれを裏付ける形になった。

(2) 政府の公式見解によると、実行犯は32名で、うち31名が治安部隊によって殺害されたという。しかし、独立調査委員会の報告書は、実際には60名から70名の実行犯がいた可能性を指摘する。それが事実だとすれば、彼らはいったい誰だったのだろうか?これに関しては、ゲリラ唯一の生存者とされるヌルパシ・クラーエフの裁判の中で、「人質犯たちのなかには、少なくとも数人のスラブ系(チェチェン人はコーカサス系)の人物がおり、うちひとりの狙撃手は、指揮にあたっていたと見られている。しかし、9月3日にロシア治安部隊の突入のあと、その遺体はどこからも見つからなかった」ことなども明らかにされている。

(3) さらに、報告書では、ロシア内務省が事件に関して事前に情報を得ていながら何も対策を取らなかったことも指摘されている。

こうした報告を受け、ベスラン母親委員会は、当局に真相究明を求める請願書を作成している。ベスランで活動するジャーナリストのムラート・クボーエフは、次のように語る。
「大勢の人質の死に対して治安部隊が責任を負っていることは解りきっています。それが故意であったかそうでないかは問題ではありません。問題は、検察当局が目撃者の証言にまったく耳を貸そうとしていないことなのです」