言論の自由を奪われたジャーナリスト、アンナ ポリトコフスカヤ

1995年からチェチェンでの支援活動を行っているメドゥサン・デュ・モンド(世界の医療団)のメンバーによる追悼文です。世界の医療団の日本語サイトはこちらをご覧ください。
http://www.medecinsdumonde.org/japan/


 ロシア人ジャーナリスト、隔週刊行誌「ノーバヤ ガゼータ」の記者、そしてチェチェン紛争に関する本の著者でもあったアンナ ポリトコフスカヤさんが2006年10月7日モスクワで何者かに殺害されました。彼女はチェチェン北コーカサスに関する本を発行したことを理由に数年前から脅迫を受けていました。殺害の直接の引き金は、チェチェンにおける拷問について言及した彼女の記事だとされています。アンナ ポリトフスカヤは、≪チェチェン問題≫を閉ざされた扉の中で独自の路線で処理しようとするプーチン政権の内部を、使命感を持って恐れることなく世界に知らせようと試みたかけがえのない存在でした。

 世界の医療団は、アンナのため、そしてアンナを通して、忘れ去られていく様々な危機に敢然と向き合い、時には命の危険を冒して不正と闘うジャーナリストたちに深い敬意を表したいと思います。怒り、失望、悲しみ、憤り、無力感、私たちの心の中に渦巻くこのような感情をどう表現したらよいのか、このような暴力行為、横暴な権力、そして責任逃れを前に無力感が漂う中、彼女の死の重みをどう訴えればよいのか、膨大な数の死者や行方不明者、破壊された家々、残虐行為の隠蔽、包帯を巻いただけの生々しい傷口、巨大な倉庫と化したグロズニーの壁画や漆喰、チェチェン紛争がもたらしたこれ等の嫌悪感一色の光景をどう説明したら良いのだろうか?

 言葉は武器になり得ることを多くの人が知っています。言葉は死刑を宣告し、実際に殺害することも出来ます。このことは10月7日、白昼のモスクワで証明されました。買い物を終えたひとりの女性が大きな買い物袋を抱えて自分のアパートに戻って来ました。エレベーターを降りたところで殺人者が彼女を待ち受けていました。銃弾が彼女の胸に一発、もう一発が頭に命中しました。生から一瞬にして向かえた死。職業はジャーナリスト。既に死体となった彼女が発見されてから数分後、彼女のニュースが世界を駆け巡り、アンナ ポリトコフスカヤは過去形で語られる人となりました。

 彼女は勇敢なジャーナリストでした。意外性があり、ある意味で人騒がせな存在でもありました。2000年以降彼女は、真実を求めるジャーナリストや一般市民に対し10年に及ぶ紛争で2度目の壊滅的打撃に見舞われたチェチェンに通じる道を開きました。それは整備されたハイウェイではなくむしろ舗装のない道と言えるかもしれません。彼女は、真実を求めそれを復元し、更に紛争を長引かせようとする権力の壁を打ち破るために、危険を冒し生命までも犠牲にしました。人間はその弱さと強さの全てを用いれば、仕掛け爆弾の装置、自称敵と名乗る相手なら徹底的に押し潰してしまう権力という名の圧縮ローラ、チェチェンで目にするこのような非道で残虐なものに対する抵抗が可能なことを証明しました。 アンナは反テロリズムの名の下に、ロシア軍のチェチェンにおける犯罪のみならず、チェチェン戦闘員による犯罪をも容赦なく告発しました。

 彼女の死という現実を前に、我々は何をすべきだろうか? 自分たち自身の運命に涙を流すのは止めよう。それよりむしろアンナ ポリトコフスカヤの家族や親しい友人、同僚のことを考えてみよう。そして彼女のように、真実を語り、表面に出し、真理に光を当てる人々に支援と連帯の手を差し伸べようではありませんか。彼女の殺人者とその黒幕たち、彼女の口を封じることによって利益を得る人々が枕を高くして眠る社会を許し放任すべきではありません。今や沈黙の人に代わって、正義のために闘わねばなりません。非人道的行為に反対しなければなりません。アンナに死をもたらした殺人者が厳罰を免れることのないよう、彼女の死を決して忘れず、私たちの心の奥底に噴き出す怒りを、真実をもっと知りたいという熱望と行動に変えて行かねばなりません。

文責:ブルーエン イザムバール
(INALCO東洋文化研究院のロシア専門研究員、世界の医療団 チェチェン ミッション メンバー)