「チェチェン共和国:はびこる拷問」

国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチが、2006年11月にまとめた報告書「チェチェン共和国:はびこる拷問」から、チェチェンで今も蔓延する人権侵害の具体例を紹介します。チェチェンの人権侵害は、主にラムザン・カディロフ首相の私兵集団「カディロフツィ」と、ロシア治安当局によって行われているのですが、今回取り上げる事例は後者。

「拷問と殴打は数日にわたって繰り返され、彼らは、自白をしないなら、お前の妻をさらってきて目の前で犯した後に、お前も同じ目に遭わせてやろうと言って、私を脅迫しました。彼らは、太い棒を持ってきて、これをお前の尻の穴に突っ込んでやると言いました・・・こんな辱めを受けるくらいなら死んだ方がマシでした」

Suliim S./Salambek S.兄弟に対する不当逮捕および拷問

原文:http://hrw.org/backgrounder/eca/chechnya1106/chechnya1106web.pdf

 2006年3月中旬、29歳のスリム・Sは、仕事に向かう途中で、10人ほどの武装した男たちに路上で呼び止められ、無理やり車に押し込められた。彼は車の中で手錠をかけられ、目隠しをされて、座席の下にねじ伏せられた。後に判明したところによると、スリムはORB-2の施設に連行されたのだった。スリムは、自分が体験した拷問を以下のように語っている。
 >>最初の5日間は目隠しをされたままでした。彼らが何をしたいのかということさえわかりませんでした。彼らは幾度も「何を白状すればいいかはわかっているだろ?」と述べ、私が何のことだかわからないと答えると、拷問が始まりました。私はガスマスクをかぶせられて、息ができない状態にさせられ、窒息しそうになりました。電気ショックによる拷問が繰り返され、私の頭は前後にガクガク揺れました。彼らは私の舌にも電気を流したのですが、そのときには舌が膨れ上がって口からはみ出してしまったほどです。
 彼らは容赦なく私を殴り続けました。私は、両足を広げた状態で壁に身体を押しつけられ、股間を蹴りつけられました。後で自分で見たところ、腿から上の部分が内出血ですっかり黒くなっていました。彼らはさらに私の下着を脱がせて、私をレイプすると脅したのです。
 私は「さっさと殺せ」と叫び続けましたが、彼らは「お前をすぐには殺したりしない。ゆっくり時間をかけて殺した後で、お前の弟を引き裂いてやろう」と言いました。拷問されている間、私は何度も死にかけ、そのたびに彼らは私を生き返らせた、そんな気がしています。ついに、私がもう本当に拷問に耐えられなくなったとき、彼らは三つの犯罪―バスの爆破、二人の警察官の殺害、女性の殺害―のうちから好きなものを選ぶように言いました。ですが、私はどれも嫌だと答えました。<<
 スリムの家族は、彼が拘留されてから三日後に彼の行方を突き止め、彼の代理人として弁護士を雇った。スリムが拘留されてから約一週間後、武装した男たちの集団が彼の弟であるサラムベックを拘留し、彼をORB-2の施設に連行した。サラムベックは、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対して、自分が受けた拷問を次のように語っている。
 >>私は車の中にいるときから殴られ続けましたが、なぜ自分が連行され、どこに連行されるかということは、何一つ説明されませんでした。私は部屋の中に入れられて、「すべて」を白状しろと脅されました。私は、1999年の一時期に誰もがしていたように街で塹壕を掘っていた件について訊かれているのだと思いましたが、彼らはそんなことには興味がないと答えました。彼らは爆破や殺人について私の自白を求めていたのです。私は彼らが人違いをしていると主張しました。
 すると、彼らは私の指と耳に針金を巻きつけて、電気ショックによる拷問を始めました。顔にガスマスクをかぶせられていたので装置は見えなかったのですが、スイッチを入れる音が聞こえました。私は壁に身体を押しつけられて、腎臓を殴られ、床に転がされました。胃を踏みつけられて、一人の男が背中に乗っている状態で、別の男にブーツで胸部を蹴りつけられました。他の男たちは足の急所を踏みつけ、私の体が反り返ると、ブーツによる強烈な蹴りが胸に飛んできました。もう心臓は止まり、息もできなくなるかと思ったほどです。
 こうした拷問と殴打は数日にわたって繰り返され、彼らは、自白をしないなら、お前の妻をさらってきて目の前で犯した後に、お前も同じ目に遭わせてやろうと言って、私を脅迫しました。彼らは、太い棒を持ってきて、これをお前の尻の穴に突っ込んでやると言いました。
 こんな辱めを受けるくらいなら死んだ方がマシでした。チェチェンの文化では、こうしたことはまったく考えられないものでした。私は、バスの爆破について自白をすると言って、思いつく限りもっともありえないような脚色をして、話を作りあげました。私が自白を取り消そうとすると、彼らは隣の部屋にいる兄を拷問し、「聴こえるか?お前の兄貴が叫んでいるぞ」と言いました。<<
 ORB-2の施設で約10日拘留された後、サラムベックはグローズヌイの再拘留施設に送られた。そこでは、拷問中に受けた負傷の一部が医師によって記録されている。一方、自白の調書にサインをすることを拒んだスリムは、ORB-2の施設に計25日間拘留された。スリムも、グローズヌイの再拘留施設に送られたときに医師に負傷を記録されているが、それは、肋骨の骨折、脚と腿(内側)の打撲、手と舌の腫れ、耳の火傷といったものだった。
 二人の兄弟に対する容疑の大半は晴らされ、二人は「違法な武装グループへの参加」を問われて裁判にかけられ、2006年8月、執行猶予つきで解放された。彼らは裁判で拘留中に拷問を受けたことを訴え、裁判の記録には彼らのカルテが残された。にもかかわらず、裁判所は彼らの訴えを調査するために何一つしようとしなかった。


補足:ORB-2での拷問については、2月にアムネスティ・インターナショナルでも抗議アクションが行われています。
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/print.php?articleid=169