「チェチェン共和国:はびこる拷問」(2)

ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書(2006.11)より、ラムザン・カディロフ首相の私兵集団「カディロフツィ」による拷問の例を紹介します。チェチェンでは、ただでさえ、加害者を処罰して被害者を救済するための法がほとんど機能していない状態なのですが、多くのケースで加害者が被害者を脅迫して沈黙を強いていることが、状況をさらに悪化させています。チェチェン人にとっては、欧州人権裁判所などの国際機関に訴えるという最後の選択肢さえも、残されているとは言いがたいのが現状です。

「ハミッドは、自分を拷問した人間を覚えており、その気になれば犯人を特定さえできるにもかかわらず、彼らに法の裁きを求めるつもりはないと語っている。なぜなら、『黙っている』ことだけが自分の身の安全を保障する手段であると、彼らに警告されているからだ」


原文:
http://hrw.org/backgrounder/eca/chechnya1106/chechnya1106web.pdf

Magomed M. ら5名の村人に対する不当拘留および拷問

 2006年6月初旬、カディロフツィによって、チェチェン中東部の村で、24歳のマゴメッド・Mを含む5人の男性が拘留された。
マゴメッドは、カディロフツィが彼と4人の男性をツェントロイの村の外れにあるカディロフの基地に連行したと、ヒューマン・ライツ・ウォッチに供述している。兵士たちは、最初に彼を基地のボイラー室に連行し、その後すぐに基地の司令官が5人のうち3人を尋問のために近くの野原に連れ出した。マゴメッドはヒューマン・ライツ・ウォッチに次のように語っている。
 >>私たちの前には3、4人ほどの兵士がいました。私たちを連行してきたのと同じ兵士たちでした。彼らは私たちの地域出身の独立派兵士について尋問し、彼と同い年であるというだけの理由で、私たちが彼について情報を持っているはずだと言ってきたのです。私はそんな男のことは何も知りませんでしたが、信じてもらえませんでした。彼らは私を蹴り飛ばし、棒で殴りつけました。それが5時間か6時間ほど続きました。<<
 マゴメッドは、拘留されている間、毎日尋問のために連れ出されて執拗に殴られたと話している。
 5人の被拘留者の家族は、カディロフツィを通じて彼らの所在を知り、何とか彼らを解放させることに成功した。4人の男性は拘留された翌日に、マゴメッドもその数日後に解放された。「解放される前に、彼らは拘留について一切黙っているよう私に警告しました」と、彼はヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。「さもなければ、もう一度連行して行方不明にさせてやると言われたのです」
 マゴメッドは解放された後も三週間以上を病院で過ごすことになった。病院では医師が全身の内出血、腎臓の損傷、脳震盪といった彼の負傷について書き留めている。

Khamid Kh に対する不当拘留および拷問

 2006年4月初旬の夜、武装し、覆面をかぶった約10人のグループが、チェチェン西部の村に住む年老いた建設業者であるハミッド・Kh.の家に押し入った。彼らはハミッドの名を聞き出し、何の説明もなしに、彼の頭に袋をかぶせて車で連行した。
 誘拐犯たちはハミッドを地元のATC基地に連行し、彼を部屋に押し込むやいなや、彼が食料と武器を独立派に供給しているという疑いで尋問を開始した。彼はヒューマン・ライツ・ウォッチに対して以下のように語っている。
 >>彼らは私を蹴りつけて、「地獄の機械」にかけて電気ショックによる拷問を行いました。私はつま先に針金を巻きつけられ、電流を流され続けました。私は耐えられなくなって、「もうどんな自白調書でもいい。サインさせてくれ。どんな文書にもサインする」と懇願しました。<<
 ATCの兵士はハミッドを翌日解放した。彼は、心臓の状態に深刻な問題をかかえ、次の二週間を病院で過ごすことになった。彼は、電気ショックによる拷問を受けたために入院することになったと考えている。ハミッドは、自分を拷問した人間を覚えており、その気になれば犯人を特定さえできるにもかかわらず、彼らに法の裁きを求めるつもりはないと語っている。なぜなら、「黙っている」ことだけが自分の身の安全を保障する手段であると、彼らに警告されているからだ。