ロシアン・ダイアリー 真実追い殺された記者

10/6 産経新聞【書評倶楽部】NHK副会長・永井多恵子 『ロシアン・ダイアリー』

真実追い 殺された記者

 灰色の髪、銀縁のめがねの奥から鋭い視線が読者を見据えている。

 アンナ・ポリトコフスカヤ、ロシアの独立系新聞社の女性記者は2006年10月、何者かに殺害された。言論の自由を封殺するロシア現政権を批判できるジャーナリストとして欧米にも知られる存在だった。そして何より真実を知ろうとする市民たちから信頼されていた。特に、チェチェンの人々の惨状を知ってからの筆は鋭く、多数の犠牲者の出たモスクワの劇場占拠事件ではチェチェン独立派からも信頼され、危険をかえりみず解決のための仲介役として交渉にあたった。しかし、この一件で当局からはチェチェン独立派にシンパシーを抱く人物としてマークされたにちがいない。殺害の犯人が逮捕されたがしばらくして釈放されるなど捜査には不審な点もあると報道されている。
 この、2003年末から2年弱にわたる彼女の記録をみると、圧倒的な人気を博している大統領とは裏腹に、政権の負の側面がうかがわれる。下院選挙では同じ人物が二重に投票し、ある投票所ではウオツカが振る舞われ、現政権支持の党が勝利してゆく。対抗する党候補は負けるための傀儡(かいらい)候補でしかない。彼女は言う、結局、大衆はだまされているのだと。現状を批判する人々が次々に抹殺されてゆく。自身に迫る危険も十分に察知していたのだろうが、アンナはひるむことなく、真実を語り続けた。命を賭(と)してペンを揮(ふる)うとはこのようなことか、その勇気には驚嘆するばかりだ。

 アンナの殺害を知って大勢の人々が花を手に広場に集まったという。

 チェーホフプーシキン、多くの日本人にも愛されている詩人たちを輩出した国に、今、何が起こっているのか、彼女の記録を読むことで一端を知ることができる。

アンナ・ポリトコフスカヤ著 鍛原多恵子訳/日本放送出版協会・2520円)

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【プロフィル】永井多恵子

ながい・たえこ NHK解説主幹などを経て、平成9年、東京・世田谷文化生活情報センター館長。17年から現職。