カディロフ、日本メディアを招待、もう少し詳しく

 先日、チェチェン総合情報/チェチェンニュースでお伝えした「チェチェン復興」に関する記事について、もう少し論じてみたいと思います。

 まず、いつからいつまで行われたのかが、どの新聞にも明記されていませんが、あの取材旅行は「ロシア外務省が主催した外国報道陣向けの取材旅行」でした。すべての新聞社の記事に共通して書かれていることや、ある記事には書かれていても他の記事には書かれていないことなどいろいろあるので、各社の記事をつなぎ合わせながら取材の様子をもう少し具体的に想像してみましょう。(藤沢和泉/チェチェンニュース)
 いろいろな記事に書かれている記述をピックアップすると、だいたい次のようになる。

  1. カディロフの会見は首都グロズヌイの中心部にある広場で行われた。
  2. カディロフは黒い革ジャンに黒ズボンだった。
  3. カディロフの護衛は武装しておらずスーツ姿だったが、その周りではカラシニコフ自動小銃を持った兵士が警備していた(というか、取材旅行中記者たちはロシア政府の役人と重武装の軍隊に厳しい制限を受けていた)。
  4. カディロフは「12月の下院選挙では100%のチェチェン人がプーチンの党を支持する」と豪語し、それを聞いていた外国人記者たちは引いていた。
  5. チェチェンの復興もカディロフへの支持も欺瞞であり、実際は汚職と抑圧が続いている。


(写真)革ジャンで豪語するカディロフ(BBC

 以上は、毎日新聞産経新聞東京新聞BBCの記事を相互に参照して書き出したものである。前回お伝えしたとおり、確かに朝日新聞と読売新聞には関連記事は存在しない(普通に考えて、取材には同行したと思われるが)。報道していないことについて、政治的意図とか新聞社の思想とかいうことを原因として読み取ることは適切でないだろう。単に編集上の偶然だと思われるし、この記事だけを見てそんなことはわかりようがない。

 というよりも、この記事を取り上げている毎日、産経、東京の方が世界的に見ればめずらしいかもしれない。“ネット上で”だが検索してみたところ、ニューヨークタイムズル・モンドでもこの取材旅行のときに書かれたと思われる記事は見当たらなかった。チェチェン情勢とつながりの深い東ヨーロッパやアラブ諸国でなら報道もあると思うが、あまりつながりが深いとは思えない日本ならなおさらである。唯一見つけることができたのはBBCのニュースである。

 ちなみに日本の新聞社の記事が11月6日や7日掲載だったのに対し、BBCのニュース*1は11月1日と8日に関連記事がネット上で報道されている。この取材旅行が数回に分けて行われたのでなければ、カディロフの会見は少なくとも11月1日以前に行われたということになる。

 多くの新聞社でこの記事を報道していない理由として単純に思いつくのは、このことにあまりニュース・バリュー(価値)を見出していないからである。政府の案内で復興の光の部分だけを見せられて、それを素直に報道することはジャーナリストとして許されない、という意識もあるのかもしれない。どんなにうわべだけすばらしい復興を見せられたって、カディロフが汚いやり方で強権的に開発を進め、一般のチェチェン市民が虐げられていることは自明のことなのだ。

(写真)復興した部分のグロズヌイ(Kazbek Vakhayev/European Pressphoto Agency)

 そのことはロシア国民の多くも知っている。ロシアの独立世論調査機関レバダ・センターが2007年の1、2月に行った調査では、

ラムザン・カディロフを、

  • 信頼できる: 33%
  • 信頼できない: 35%
  • わからない: 32%

という結果だった。また、

カディロフがチェチェンを正常化できるかという質問に関しては、

  • できる: 31%
  • できない: 38%
  • わからない: 31%

このことを伝えたGazeta.ruによれば、投票はロシア人の3分の2がチェチェンに対して警戒心や不安を相変わらず持っており、1割の人たちはチェチェン情勢を「危機的」だとさえ見なしていることを示している。*2

 つまり、カディロフの「大統領としての資質」と「チェチェンの復興状況」を考え合わせれば、ある程度のことは予想がつくというわけである。だから多くのマスコミはそれにニュースとしての目新しさを感じず、ロシア政府やカディロフの思惑に乗るべきではないとして報道をしなかったというふうにも見ることができる。

 しかし、である。私たちにとって本当に大切なのは、ロシア政府やカディロフらが外国人記者団を招待するなどということを画策し、アピールを行っているということそのものなのである。

 つまり、そのアピールをそのまま伝えるのはもってのほかだが、何も伝えないことよりも、それを行ったということを伝えてくれたほうが、読者としては大きな意義があるのである。これは、そんなパフォーマンスをする独裁者特有の汚さ、そしてそうまでして弁明をする必要性(プーチン、カディロフといえども欧米各国や市民運動グループの批判をまったく無視することはできないということ)の表れではないか。

 今の時期行われたということは、今度の選挙に向けたアピールでもあるはずである。また、いくつかの新聞社がそうしていたように、制限された取材旅行の中でも役人の目を盗み市民の声を聞き、少しでもそれを伝えてくれたところにやはり気概を感じる。たとえそれが「予想通りのこと」だったとしても、何も伝えないのであれば、あるはずだったその人の声はこの世から消し去られてしまうし、読者の意識からも次第に薄れてしまう。

 だから、今回の報道にものすごく意義があると感じるのは、「誰も知らなかったチェチェンの状況を明らかにした」という種類の価値ではなく、「強権的な復興のもとで取り残される人々の生の声を伝える」という非常に倫理的な価値と、国際政治やロシア政治の情勢における「チェチェン政府」の位置を象徴的にあらわす社会的な価値からなのである(もしかして6日の国際欄に記事の空きがあっただけかもしれないけど?)。

 今後、チェチェンの「復興」状況も変化していくだろうし、ロシアの政治情勢も成り行きを注視する必要がある。選挙の結果次第では、カディロフのポジションもどう左右されるかわからないと見られている。そういった折にも、ジャーナリストには「名前のある」政治家たちの動きだけではなくて、「一般市民」に数えられてしまう虐げられた人たちの声を、チェチェン人だろうとロシア人だろうと、大切に伝えてほしい。

 そして、他者の悲しみが日々の消費財になってしまわないように、私たち読者はいつまでも感受性を持ち続けながら、この目で世界を見ていきたい。