新入国審査 効果は

2007年11月19日 朝日新聞

指紋採取・顔写真撮影 あすから

 日本に入国する外国人に指紋採取と顔写真撮影に応じることを義務づける制度が、20日から全国の27空港と126海港で一斉に始まる。入国時の指紋採取は米国に次いで世界で2カ国目。導入のきっかけは01年の米国の同時多発テロだが、本当に「テロ防止」に効果があるのか、人権侵害にならないのかと懸念は強い。お手本ともいえる米国の「US-VISIT」プログラムは、運用上の不備も指摘されている。(市川美亜子、ニューヨーク=真鍋弘樹)

米手本、「テロ対策」掲げ

 「同時多発テロがなければ、こんな法律、とても通っていないよ」。法務省幹部は振り返る。
 制度は政府が「9.11」を機につくった「テロの未然防止に関する行動計画」に盛り込まれた。06年の通常国会に提出された出入国管理法改正案は「アルカイダが日本を対象としているのに悠長な時間はない」(河野太郎・法務副大臣=当時)といった声に押されるように成立した。
 法務省は総予算36億円をかけて専用装置を開発。定期便のない港への携帯用もあわせ約540台を全国に配備する。
 もともと指紋は、刑事事件の手続きにのっとって身柄を拘束された場合などでない限り、意に反して採取されない。導入後は入国する年間800万人以上の外国人のうち、700万人程度が対象となるとみられる。同省の強制退去者情報(約80万件)や指名手配者情報、国際刑事警察機構の情報(約1万4千件)などを基にした「ブラックリスト」と照合し、「危険人物」をあぶりだす。
 実効性はどうか。過去に、アルカイダ幹部が03年にドイツで逮捕されるまでの4年間、他人名義の旅券で日本への出入国を計6回繰り返していたこともある。警察庁は「制度があれば防げた可能性がある」とみる。
 だが、テロ防止の効果を疑問視する専門家も。元東京入国管理局長の水上洋一郎さんは「日本にテロリストの指紋情報などほとんどないのに、どう照合するのか。独自の情報収集力を確立するのが先決だ」と指摘する。
 実は法務省自身、テロ対策より不法入国者を減らす対策としての効果に期待しているふしがある。日本から強制退去させられながら他人になりすまして再入国する「リピーター」は約7千人で06年の強制退去者の約13%を占める。指紋採取が始まれば、再入国を阻止できるからだ。
 日本弁護士連合会でこの問題に取り組む市川正司弁護士は「オーバーステイの外国人を捕まえるために巨額を投じる意味はあるのか。テロ対策の名の下に必要性も実証せずに『何でもあり』は許されない」と批判する。

「情報どのように利用されるのか」 在日外国人ら懸念

 入国管理は世界的に厳しくなる傾向にある。英国ではビザ申請時の指紋採取制度があり、今月からは日本人も対象になった。欧州連合EU)でも似た制度の導入が検討されている。ただ、入国する外国人ほぼ全員を対象とするのは日米以外にない。法務省は9月、入国者の6割を占める中国、台湾、韓国などに職員を派遣し、旅行会社や報道機関などに理解を求めた。
 国内に住む外国人の間にも抵抗感が広がっている。米国と違い、日本では日本人と結婚したり、長期間日本に住んだりして永住許可を受けた「一般永住者」も対象。「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」など制度に反対する団体は、「『テロリスト=外国人』という先入観を植え付け、差別につながる」とする声明を出している。
 集められた情報はデータベース化され、犯罪捜査にも使われる。政府が検討する在留管理の強化に「情報がどのように利用されるのか」と不安の声が上がる。
 今回の制度の対象から在日韓国・朝鮮人ら「特別永住者」が除かれたのは、かつて外国人登録法の指紋押捺制度が激しい抵抗を受けて00年に全廃されたことが背景にある。その反対運動を始めた故・崔昌華牧師の長男聖植さん(50)は「たった7年で再開される失望はある。長く日本に根を下ろした一般永住者から指紋を採るのはおかしい。反対の声を上げていく」と話す。

先行する米国では 監視リスト38%に誤り、無実の人の名も

 まず左手の人さし指、次に右手の人さし指を――。ニューヨークの玄関口、ジョン・F・ケネディ空港入国審査場。ゲートの前に、外国人観光客らの長い列ができる。到着便が重なると、待ち時間が1時間以上になることもある。
 「US-VISIT」は04年に導入された。仕組みは日本とほぼ同じだ。米国土安全保障省のアンナ・ヒンケン氏は「制度が始まってから危険と見なされた2千人以上の入国を拒否した」と自賛する。
 だが、肝心の技術と信頼性に、同じ政府機関から疑問符が付けられた。
 「情報管理に関して重大な脆弱性がある」。米会計検査院が同制度について、そう勧告したのは7月。セキュリティー対策が不十分なために指紋を含む個人情報が、外部の人間に改変されたり、コピーされたりする恐れがある、というのだ。
 9月には「ブラックリスト」のずさんさを司法省の監査官が報告した。テロと関係のある人物を集めた「監視リスト」からサンプルを抜き出したところ38%から誤りや矛盾が見つかったという。テロ容疑者が抜け落ちていたり、無実の人物が加えられていたりした。
 監視リストはFBIや運輸保安局など複数の政府機関のリストを統合したもので、一般には非公開だ。今年4月時点で70万人が登録されており、1カ月2万人のペースで増加しているという。
 「そもそも、そんなにテロリストがいるはずがない。リストが信頼できない上に機密だとして詳細が公表されないため、テロ防止効果を確かめようがない」。米自由人権協会のバリー・スタインハード氏は指摘する。
 監視リストは市民生活にも影響を及ぼしている。テロとは無関係の市民がリストに載ったり、特定の名前と同姓同名の市民が空港の保安検査場で止められたりする事態が、現実に起きている。
 またこのシステムは、旅行者の印象を悪化させかねない。
 米国の対外イメージを高める目的でつくられた団体が昨年、海外からの旅行者を調査した。「入管職員の対応や入国に必要な書類に関して、最も友好的でない国・地域は?」との問いに、米国と答えた人が最も多かった。団体は「旅行者は米国が彼らを歓迎せず、障壁を設けていると感じている」と分析する。