娘と映画をみて話す民族問題ってなに? 娘と映画をみて話す民族問題ってなに?

娘と映画をみて話す 民族問題ってなに?

娘と映画をみて話す 民族問題ってなに?

ハワイ生まれの高校生ナニと、民族問題研究者の父親が、いろいろな映画を見ながら民族問題について考える。チェチェン問題も民族問題なので、いきおい重ね合わせて読んだ。

アメリカの大都市の"サラダボール"状態となった民族分布と、アファーマティブ・アクション積極的差別是正措置)の中で生きる人々を描いた映画「クラッシュ」や、ルワンダの内戦でフツとツチが争う様子を描いた「ホテル・ルワンダ」についての解説がとても参考になった。

旧ソ連だった国々の中での民族問題についての本にまだめぐり合っていないので、この本で取り上げられているアルジェリアや、ルワンダ、旧ユーゴスラビアとは事情が違うかもしれないのだが、「植民地が独立しても、宗主国主導の経済が続く限り、脱植民地化はできない」という主張は重い。そして、国際社会が新しい独立国を助けていかなければ悲劇が起こる。
1996年に第一次チェチェン戦争が終わり、このときはチェチェン側が勝利し、ロシア軍を追い払った。しかし、チェチェンが事実上の独立を果たしたことや、チェチェンで何人もの外国人人道援助ワーカーが殺害されたことで、国際社会の関心はいっきに冷却し、わづか3年の停戦期間を経て、また戦争が始まってしまったのだ。

今のチェチェン戦争が続いてしまっているのには、もっとも重い責任をロシア政府が負っている。しかし、私たち自身も、無関心によってチェチェンを行き詰まりに追い込んだ当事者なのかもしれない。

ルワンダについては、最近ある集まりで「ルワンダ内戦とチェチェン戦争の類似性はあるのか」という質問を受けて、不勉強のために答えに窮した。後知恵にこの本の知識を元に補強すると、少数派支配階級のツチ(族)と多数派被支配階級のフツ(族)との間の、あるかなきかの僅かな民族・言語の違いが、外国勢力の(西側・東側を問わずあった)介入によって虐殺まで発展してしまったルワンダ内戦と似た様相は、今のチェチェンにあるのだろうか。

ロシア政府が後押しする傀儡政権の、ラムザン・カディロフ大統領の周辺では、もしかしたらねじれた、チェチェン人の中での支配層・被支配層というものができているかもしれない。いろいろな報道や、難民たちの間での風説を総合すると、カディロフは狂人同然だ。些細なことでも気に食わない人間がいれば銃殺している。こんなやり方が続くはずがない・・・相当長い間それが続いてしまったのがスターリンの粛清だった。でも何かがそれとも異質なのだ。

「一般的に、民族問題や人種問題は、人目につきやすい、いわば誰もが納得しやすい問題だ。だから、すべての争いや対立の背後には、人種問題や民族問題があるといえばわかりやすいし、政治家たちは、そういった単純化をわざとすることで、深い問題から人々の目をそらさせようとしたり、自分の政敵を攻撃する手段に使ったりすることもある」と、著者は鋭く指摘する。

この本に紹介されている映画を、一つ一つ見ていこうと思う。(大富亮)