スライド報告会『ビルマ・長井さんの死の目撃者』

http://www.daysjapan.net/news/news2008/news200802_04.html

 昨年9月に、ビルマ長井健司さんが射殺された際に決定的な瞬間を写真に収めた、ロイターのカメラマン、アドリース・ラティーフさんが来日し、DAYS JAPAN主催の報告会で、その時の経緯を明らかにする、という会が昨晩あったので、参加した。

 軍事独裁政権の支配するビルマでは、ジャーナリストの監視がとても厳しい。入国もむずかしいし、騒乱の起こっている時期はなおさらだ。燃料費の値上げをきっかけに、国民・僧侶が連帯して街頭に繰り出したとき、長井さんとラティーフさんは、同じ街頭にいた。ラティーフさんは歩道橋の上で135mmのレンズを構え、長井さんは路上で小さなビデオカメラを回していた。
 9月27日、騒然とする路上に3、4台の幌付トラックが載りつけ、兵士たちが降りてきた。ラティーフさんはカメラのファインダーをのぞき、ピントを合わせながら、何かが起こる予感を感じていた。そして、視界に、短パンをはいた男が路上に倒れるのを目撃したのだった。流れ弾ではない。至近距離から狙い撃ちされたのだ。

 2秒間に4枚の写真。ロイターのストリンガー(現地協力者)による写真として、世界中の新聞・ウェブサイトにこの写真が掲載された。

 「長井さんが撃たれたことは悲しい。報道の現場で撃たれたことが悲しい。きっと、私と同じような情熱の持ち主だったろうと思う。彼の家族にしても、本当に悲しいことだと感じる」

 そうラティフさんは言う。この写真があまりにも知られたために、ビルマに居続けることは難しくなり、3-4日たって出国した。

 「私は勇敢な人間などではありません。皆さんと同じ、ごく普通の人間です。同じような場面にいたら、私だって逃げるでしょう。恐怖が消える瞬間があるとすれば、それは、責任を感じるときです。伝えなければならないのだと感じたとき、責任感が恐怖を上回ることがあります。ジャーナリストにとって、自分が感じた恐怖を語るのは、大切なことではありません。誰かが殺されてしまったときに、それを撮影する私の歩道橋を踏み抜いたなどという話をするのは、滑稽です。伝えなければならないのは、その現場に存在する恐怖です」

 話を聞いていて、なんて誠実な、そして職人的な人なのだろうと思った。ラティーフさんは大風呂敷を広げない。

 「フォトジャーナリストを目指している人に話したいことはありますか?」

 「ジャーナリストになるには、内なる情熱が必要です。ストレスは大きく、競争も激しく、金にもなりません。けれど仕事をするうちに、だんだん責任感が湧いてきます。そして、情熱を追うことをやめたら、今までつみかさねたすべてを捨てることになります。だから、決して撮ることをやめてほしくない、そう伝えたいです」

 アンナ・ポリトコフスカヤもそうだけれど、ジャーナリストが殺されるというのは、よくよくその国の状況が悪いということだ。私たちの知る人としての長井さんが死んだことは、単にそれを悼むだけではなくて、その人の周りにいた大勢の、死んだとしても名前さえ伝えられない人々の死を知るきっかけに違いない。

会を組織したDAYS JAPANのボランティアとスタッフの皆さんに感謝します。(文責 大富)