作家アナトーリイ・プリスターフキン死す


(7/11 AP)7月11日、作家で、1990年代を通じて大統領直属の恩赦委員長を務めたアナトーリイ・プリスターフキン氏がモスクワで死亡した。76歳だった。プリスターフキンの死はロシアの国営メディアで広く報道され、プーチン首相も哀悼の意を表明した。死因は報道されていない。
 プリスターフキンは、1992年から2001年までの間、大統領直属の恩赦委員会で委員長を務めたが、プーチン大統領政権になってからこの委員会は廃止された。エリツィン時代、この委員会では人権活動家なども委員となって毎週会合を持ち、過密化した刑務所からの山のような受刑者簿を調べては恩赦の対象者を決めていた。この恩赦委員会により、9年間で7万人が刑を免じられた。
 この委員会をプーチンが廃止してから、恩赦の権限は地方政府に移管され、対象者数は激減した。2004年には72人、05年には42人、06年にはわずか9人となり、07年にはついに一人もいなくなった。
 プーチンは故人について、「アナトーリィ・イグナチエヴィッチは、誇り高く生き、人間性の理想を確信し、道義の勝利を実現しようとされた」と賞賛する談話を発表した。
 生前、プリスターフキンは26冊の本を書いた。もっとも知られているのは1987年に出版された小説「コーカサスの金色の雲」で、これは作家本人の孤児時代をもとにしている。1931年10月17日、モスクワの郊外で生まれ、第二次大戦当時の少年時代は孤児だった。

http://www.iht.com/articles/ap/2008/07/11/europe/EU-Russia-Obit-Pristavkin.php

(以下解説と雑記)

 表記は「アナトーリィ・プリスターフキン」が群像社の「コーカサスの金色の雲」にあり、その他「アナトーリー・プリスタフキン」などとも。
 この「コーカサスの金色の雲」は、モスクワとチェチェンでの孤児生活を描いた自伝的小説で、悲しみと小さな希望でできた、美しい物語だ。もちろんチェチェン人も登場する。映画版の「金色の雲は宿った」はロシア映画社が配給していて、ごくたまに見ることができる。
 この作品に描かれている時代はチェチェン民族の強制移住の頃なので、今のチェチェン問題がどうして存在するのかということが、読めばとてもよくわかるようになっている。ひところはよく人に勧めて、映画の上映会を開いたりした。今もその気持ちは変わらない。
 それにしても、死亡記事というのは、どうしてこう、なにもかも確実に書かれていて訳しやすいのだろうと思いながら日本語に移した。人が死ぬと動けなくなるから、棺という小さな空間に収まってしまうのと同じように言葉も萎縮してしまうのだろうか。しかしこの記事、プーチンに対しては、そうとう嫌みである。
 プリスターフキンがいなくなり、一方でミラーナ・テルローヴァのような若い書き手が現れたのは、戦争のせいとはいえ、きっと貴重なことなのだと思う。合掌。(大富亮)

 藤沢和泉さんによる書評と、貴重なプリスターフキンへのインタビュー記事、米原万里さんの書評などを特集したページがありますので、よかったらそちらもご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20070717/1183617429