ロシアの良心

 (東京新聞10月3日夕刊「放射線」欄より)
 10月7日は、私が世界で最も尊敬するロシア人ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの命日である。2006年のこの日、プーチン政権の闇を暴き続けてきたポリトコフスカヤは、自宅前で何者かに銃で暗殺された。
 4年前に彼女の『チェチェン やめられない戦争』を読んだとき、勇気ある衝撃のレポートに感銘を受けると同時に、その歴史観に驚いた。冒頭には、150年前に書かれたトルストイの小説が引かれているのだが、チェチェン人との戦いを描いたその一節は、現代のチェチェン戦争そのままだったのである。
 明治維新後、富国強兵を強引に実施した日本は、その急激な近代化の矛盾に苦しむことになる。そのときに明治の知識人たちが心の拠り所としたのが、トルストイの徹底した平等主義だった。そのトルストイは青年時代、途上国ロシアが急速に近代化を進める中で、チェチェン地方を植民地化する戦闘に兵士としておもむき、近代化の矛盾を実体験したわけだ。やがて、新興国としてのし上がってきた日露が戦争に至るのはご存知のとおり。日本はあの戦争を通じて、ナショナリズムを確立させることになる。
 今、日露の関係はよくも悪くもない。だが、両国とも「愛国教育」を過熱させており、何らかの摩擦が起これば、相手を敵視することもありうる。日露戦争の記憶が召還され、ナショナリズムを激しく高揚させるかもしれない。そんな愚かな歴史を繰り返さないためにも、私はポリトコフスカヤを読み返す。(星野智幸=作家)