“ロシアでジャーナリストになることは自殺である”


 「ロシアは記者になるのが世界でもっとも危険な地域のひとつです。アンナ・ポリトコフスカヤ殺害の裁判が続いているなか、リューク・ハーディングがひとりのエディターの命をかけた戦いをリポートしました。」今回はこのガーディアンの記事を和訳します。ロシアにおける「表現の自由」の状態が劣悪であることはすでに何度も指摘されてきたことですが、ひとりひとりのジャーナリストの戦いを知ることは、それが何度であろうと決して無駄なことではないでしょう。「ロシアでジャーナリストになることは自殺である」。この言葉はとても心に突き刺さりました。


リューク・ハーディング
(ガーディアン、2008年11月24日
http://www.guardian.co.uk/media/2008/nov/24/anna-politkovskaya-russia-press-freedom

 ロシア人ジャーナリスト、ミハイル・ベケトフは自身が危険を犯していることを知っていた。一連の記事の中で、ベケトフはモスクワ郊外にあるヒムキの地方行政に対するキャンペーンを張っていたのだ。彼は何度にもおよぶ脅迫を受けていた。彼の車は燃やされたし、この夏には家に帰ると愛犬が戸口で死んでいたこともあった。

 ベケトフは、地方役人の汚職や職権乱用を一貫して批判している彼の新聞、ヒムキンスカヤ・プラウダ[ヒムキの真実]の発行を続けている。とうとう、行政府もこれに業を煮やしたらしく、11月11日、暴力団が彼の自宅の外で待っていた。彼が帰宅すると、彼らは棒で彼を残虐に殴り、指と頭蓋骨を骨折させ、殺そうとした。
 ベケトフは意識のない状態で自宅の庭にほぼ2日ほど横たわっていたが、ついに近所の人が警察を呼んだ。彼女が彼の足を見つけたのだ。警察は現れると襲撃に困惑することもなく、(彼が死んだと思って)ベケトフの顔に毛布を放り投げた。このとき、ジャーナリストの腕がぴくっと動いた。

 「ミハイルは生と死の間をさまよっています」、彼の友人であるリュドミラ・フェドトヴァが先週そう述べた。ベケトフはこん睡状態にある。医師たちは彼の左足を切断した。凍傷にかかった指もまた除去するという。「彼は誰も恐れなかった」、とフェトドヴァは言う。


沈黙した批評家たち

 ベケトフの運命は、プーチンのロシアでジャーナリストとして働く危険を絵に描いたような実例である。彼の話は憂鬱かつ典型的だ。ニューヨークに拠点を置くジャーナリスト擁護委員会(CPJ)によれば、ロシアはいま記者として働く者にとって、イラクアルジェリアについで世界で3番目に危険な場所だという。

 1992年以来、49人のジャーナリストがロシアで殺されている。先週、3人の男がアンナ・ポリトコフスカヤ――活動的ジャーナリストで、恐れを知らないクレムリンの反対者だったが、2006年10月に自宅の外で射殺された――の殺害に関わった容疑で裁判に出廷した。

 捜査当局は、ポリトコフスカヤの殺害者や、あるいはそれを依頼した人物を見つけることができていない。実際、ロシアにおけるジャーナリスト殺害の責任者は、決して逮捕されたことがないからだ。(一度起訴されるだけである。)CPJによれば、当局は事件を解決するのに積極的ではない――事件の痕跡はいつも権力機構に戻ってくるので、(熱心に捜査すれば)捜査員自身に危険が及ぶからだ。

 「ロシアのジャーナリストには、とてもたくさんの触れてはならない話題があります」と、CPJのヨーロッパ・中央アジア担当プログラム・コーディネーター、ニーナ・オグニアノヴァは述べる。これらの中には、連邦保安庁FSB)、秘密諜報機関クレムリンの内部の汚職について書くことなどが含まれているという。さらに立ち入り禁止なのが、ロシアの北コーカサスだ――チェチェンにおける人権侵害を繰り返し批判していたポリトコフスカヤのテーマである。

 「ロシア当局は犯罪を調査する能力はある。政治的な意志が欠けているだけです」と、オグニアノヴァは説明する。「検査官たちは跳ね返りを恐れているのです。多くの場合、彼らは小さな集団の中だけで働いており、みんな顔見知りです。地方警察と権力機構はそれらの輪の中で正義を停止させることができるのです」。

 一方、ベケトフが地方行政を激怒させたのは、ヒムキの森林を開発者たちに売却する計画を批判したことでだった。彼はまた、役人らが第二次大戦で亡くなったパイロットたちの遺体を、スーパーマーケット建設のために内密に掘り起こしていたことに関しても痛烈に書いていた。彼の最後の論説――あざけるようにつけられたタイトルは“愛国者”――は、役人たちが無担保で巨額の銀行ローンを引き出していたことを暴露したものだった。

 「ロシアでジャーナリストになることは自殺です。真実を語ることは自殺行為なのです」。ベケトフの同僚で友人のウラジーミル・ユーロフは言う。別のヒミキの独立系新聞でエディターをしているユーロフも、3回ほど攻撃を受けたことがある。一番最近では、暴漢に10回も刺された。しかし彼は生き延びた。「検察官はろくに取り合いません」。そう述べると、次のように付け加えた。「私はまだ働いています」。

 ロシアのジャーナリストに対するこれらの攻撃の背後にあるのは、近代ロシア社会や、メディアが中心的役割を果たすようになったプーチンの洗練された専制国家の本質である。クレムリンはすべての国営テレビ・ネットワークと、ほとんどの新聞を支配している――独立メディアで働く残りのジャーナリストたちも、ますます攻撃されやすく、危険にさらされやすくなっている。

 極限状態のジャーナリズムのためのモスクワ・センター(Moscow’s Centre for Journalism in Extreme Situations)のディレクターであるオレグ・パンフィロフによれば、ロシアで本当の表現の自由があったことはない。ここ数年、当局を批判するジャーナリストが、ロシアの刑事規則にもとづき過激主義であるとして起訴されるなど、傾向はますます悪化しているという。加えて、国家プロパガンダソビエト・レベルにまで達していると彼は指摘する。パンフィロフは「現在ではロシアのジャーナリストに対して、毎年80あまりの攻撃がなされています」と言及した。


自由のかすかな光

 ロシアのテレビが容赦なく親クレムリンである一方、新聞の展望はより多様である。ノーヴァヤ・ガゼータ――ポリトコフスカヤのいた新聞――や経済紙であるコメルサントなどを含むいくつかの出版は、本当に独立している。また、ほかにもモスクワのラジオ局、エホー・モスコヴィ[モスクワのこだま]――視聴は限られた範囲だが――を含む反対的言論の表出口がある。

 なぜクレムリンは、ロシアにある独立メディアの最後の残りを閉め出すことができないのだろうか?「ロンドンやフランスにはたくさんロシアの政治家が住んでいます。ロシアはもし独立メディアを閉め出したら西側との間に多くの問題をもつことになるでしょう。彼らはロシアが全体主義国家だと呼ばれることがないように、自由のかすかな光が見えるようにしておかなければならないことを完全に理解しているのです」、とパンフィロフは述べる。

 外国人ジャーナリストは、気骨のあるモスクワ特派員として働いていても、ロシア人ジャーナリストと同じような物理的危険に直面することはない。「ここでのすべての話は、ぼんやりとした層の中に折り込まれているのです」、と言うのは、タイムズ紙のモスクワ支局長であるトニー・ハルピンである。「ここで外国人としていると、国家の深さと複雑さを理解することは非常に困難です。多くのケースにおいて、あなたは真実をちらりと見ることだけしかできない」。

 ロシア政府は現在、親プーチン的メッセージを行きわたらせるために、いくつかの主要なPR会社とブロガー軍団を雇っている。それは、やっかいな質問をする西側の記者たちを見越してのことだ。2000年以来、ロシアは40人のジャーナリストを国外追放あるいは入国拒否している。6月には、英国のフリーランス・ジャーナリストであるサイモン・ピラニが、有効なビザを持っていたにもかかわらず、モスクワへの入国を拒否され、ロンドンに送還された。連邦の問題について執筆しているピラニは、防衛上の脅威だと考えられたのだと、後に高官が語った。

 こうした間も、ミハイル・ベケトフの友人は、彼が回復するように祈っている。兆候はあまりよくない。「私が彼を見たとき彼はひどい状態だった。顔は腫れ上がり、皮膚はガラスのように見え、喉にはチューブを通していた。ロシアでは真実を書くジャーナリストになることは非常に危険なことなのです」、そうフェドトヴァは述べる。

(訳/藤沢和泉)