原発ダイアリー 大富亮絵画展 (A Nuclear Diary - OOTOMI Akira Art exhibition)

京都で展覧会を開催します。お近くの方はぜひ遊びに来てください。カフェです。


PDFファイルのダウンロードはこちらから: 2012_jun_ootomi_dm.pdf 直

6月5日(火)〜10日(日) 12:00〜19:00
(最終日17時まで)

「カフェ・ギャラリー ヒルゲート」2階  入場無料
京都市中京区寺町三条上る天性寺前町 TEL 075-252-1161

http://www.hillgate.jp

地図は上のPDFファイルにあります。

ごあいさつ

この展覧会について

2011年3月11日の東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所事故は、多くの人の人生を変えてしまった。地震津波によって直接亡くなられた方々だけでなく、原発事故によって、今も10万人にのぼる人々が避難生活を続けている。そして、公式発表でも70万京ベクレルもの放射能が大気に放出され、今も止まっていない。

 私の家は神奈川県にある。ここでは、福島県よりは低いものの、やはり事故前の2、3倍の放射線量が観測され続けている。この1年3カ月、チェルノブイリ並の事故が進行する中で、私はかなり動揺している。しかし社会全体には「日常」を続行しようとする力もあり、それには違和感も感じずにはいられない。
 日常とは、今までと同じように生きようとすること。しかし、山や野原、川に、そして街のアスファルトの上にまでまき散らされた有害な放射性物質と「今までと同じ生き方」は、根本的に相容れないものがある。

 ところで、私たちの住む日本にも、大勢の難民がいる。この人々は、ビルマや、トルコ、ロシアなどで迫害され、命からがら日本に逃れ、政府に庇護を求めている。しかし日本の政府が昨年中に認定した難民は、2999人中、わずか21人。1%にも足りない。
 私が関わっている難民の一家は、震災の直後、早い時点で放射能の危険に気づき、お母さんと子どもたちは国に帰り、迫害される可能性の高いお父さんだけが、日本に残った。つまり一家離散だ。
 私にしても、この原発事故が起こるまで、難民問題は、ある種他人事というか、遠いものだった。しかし、もし日本から数百万人、数千万人の難民が流出することになったとき、どの国が受け入れてくれるだろうか? これだけ排外的に振る舞ってきた日本人を……。そう考えたとき、背筋が寒くなった。

 ここで皆様にお目にかける作品の多くは、私たちの生活が、目では見えない次元で、根本的に変えられてしまった後に、そのことを強く意識して描かれた。おそらく、ここに来てくださった方々も、どこか感じ方や考え方が変わり、そのために落ち着かない思いをされているのではないだろうか。
 芸術というものは、その感覚をこそ大事にし、伝えあうものだと思う。それは社会と結びついている。社会をよりよい方向に動かすために、何らかのインパクトを作り出そうとするさまざまな活動は、実は芸術とよく似ているか、もしかすると同じものかも知れない。

 この展覧会では、離散してしまった難民のMさん一家のこと、そして「日常」の無理な続行の最たるものである原発再稼働を食い止めるための活動「電気料金の不払い」も、同時にご紹介します。作品とともに、ご関心を持っていただければ、幸いです。

大富 亮 2012年6月5日