Vol.05 No.09 2005.03.28

発行部数:1709部

集会報告:チェチェンで何が起こっているのか

マスハドフ大統領殺害と、紛争の今後を考える対話集会>

(報告:植田那美)

集会資料: http://chechennews.org/dl/20050324distribution.pdf
この日公表された共同声明: http://chechennews.org/activity/ap20050324.htm
それに対する意見
(写真01)

マスハードフを送る晩鐘は、彼を送るだけのものでなく、昨日までと比べても、さらに堕落を重ねて、はるかに平和から遠ざかってしまった今日のロシアを送るものです」(エレーナ・ボンエル)

 ロシア連邦保安局部隊によってマスハドフが殺害されてから2週間。 3月24日に開催された対話集会ではジャーナリストの林克明さん、チェチェンニュース発行人の大富亮さん、日本山妙法寺僧侶の寺沢潤世さんが、報告者としてマスハドフの人物像やチェチェンの情勢を解説し、後半に市民平和基金の青山正さんを含めた4名がパネリストとして参加者と語り合った。ロシアとの和平交渉を一貫して訴え続けてきた一人のチェチェン人の死が何を意味するのか、ここでもう一度考えてみたい。

侵略と抵抗の歴史

 まず始めに大富さんがロシア−チェチェン問題の背景を解説。チェチェンの歴史は400年以上も続くロシアの侵略に対する抵抗の軌跡だ。 1944年にロシアが50万人のチェチェン人をナチスドイツへの協力の疑いを理由に中央アジア強制移住させたことについて、大富さんは「たとえドイツに協力したチェチェン人がいたとしても決して正当化はされない、正当化してはいけない。このことは現代の紛争にも通じる」と言う。チェチェンニュースがマスハドフを「<元>ではなく現大統領」と呼び続けてきたのも、民主的な選挙に託されたチェチェン人の意志を、傀儡政権の指導者が代弁することに正当性はないからだ。

チェチェンマスハドフ

(写真03)

(写真04)

 次に林さんが4度の直接取材から得た映像をもとにマスハドフを紹介する。出口の見えない日常化した紛争の中で人間として生きることについて、また、「過去の対立は誤りであり、和平が成り立った」と第一次チェチェン戦争の終結について述懐するマスハドフ。ビデオを通して見たマスハドフは、静かな語り口が印象的な深みのある人物だ。もっとも中には自軍の行進の下手さを見かねて直接兵士を訓練している彼の姿も・・・。荒廃した首都グロズヌイ、チェチェン民族の精神的支柱であるというスーフィズムイスラーム神秘主義)の儀式の映像がそれに続く。チェチェンを間近に感じるひとときだ。

ブラックホールを抜けて

(写真05)

 最後の報告はチェチェン運動創始者の一人である寺沢上人から。チェチェンでは、人は3人集まれば密告の可能性があり、本音を語り合うことができない。欧州に脱出した青年も、絶望から多くが過激主義に陥ってしまうという。チェチェンの将来は「戦争を直接体験した若い世代がどう未来を創るか」にかかっていると説く上人は、チェチェンの青年を他の紛争地への行脚に連れて行く。それが彼らにとって「チェチェン戦争というブラックホール」を抜けて新たな視点と客観性を育むきっかけとなると信じるからだ。欧州での連帯を図る次回のジュネーブ行程にも、3人の若者を連れて行くべくカンパを呼びかけた。

参加者との対話

参加者:マスハドフの暗殺に対する反応はどうなのでしょうか?

大富:ロシア国内では彼の死を悼む文章やプーチン大統領を非難するメッセージが発表されています。特にロシア側が遺体の返還を行わないことについて厳しい批判が寄せられています。

岡田(司会):まずは大ニュースになりました。 FSBロシア連邦保安局)は彼の死についての多くの錯綜した情報を流して世論を混乱させようとしています。

参加者:マスハドフがこの時期に殺害されたのはなぜでしょうか?

大富:民主的に選挙で選ばれた大統領が生きているということ自体がロシアにとって不都合だったからではないでしょうか。私たちを含め国際NGOマスハドフの停戦命令と和平交渉を支持しており、交渉を拒絶するロシアは道義的に不利な立場にありました。戦争を継続するためにはマスハドフの排除が不可欠だったということだと思います。

青山:1999年の第二次チェチェン戦争以降、ロシアでの反戦運動は殆どありませんでした。しかし今ロシア世論は大きく反戦に傾いています。この時期の殺害にはやはり意味があります。

(写真06)

岡田:世論ということで言えば、プーチン政権は和平交渉を拒否していますが、ロシア世論の70%は交渉を支持しており、90%はマスハドフの死に関する政府の発表を信用していません。

林:要するに戦争を終わらせたくないからでしょう。

参加者:寺沢さんはヨーロッパに逃れたチェチェン青年の90%が過激主義になるとおっしゃっていましたが、チェチェンの未来はどうなってしまうのでしょうか?

寺沢:彼らが過激主義に走る背景には国際社会に対する幻滅や絶望があります。 9.11後の米国のアフガニスタン攻撃によって、「正義の原則」や「デモクラシー」の嘘が明らかになりました。アフガニスタンでは紛争解決も平和復興もすべてが失敗しています。国際社会の無関心もタリバンという原理主義の台頭を招きました。これ以上チェチェンで同じことを繰り返さないためには国際社会が変わらなくてはなりません。

林:民主主義といってもあくまでヨーロッパのためだけの民主主義であったという欺瞞への反感があります。アメリカもブッシュ政権前にはロシアのチェチェン侵攻を批判していましたが、今では「対テロ戦争」を名目にすっかり変節しています。

参加者:ヨーロッパのチェチェン人はチェチェンに援助をしているのでしょうか?

寺沢:そこまでの力はありません。チェチェン人は難民としてヨーロッパでも除け者にされています。生きるのに精一杯という状態です。

(写真07)

岡田:明日のことは考えられないという状態が、特に青年層の絶望を生んでいます。現在日本に留学中で「春になったら」(注1)を制作したティムールも、父親を戦争で失ったとはいえチェチェン人としては相対的に恵まれた立場にいますが、それでも日本の青年のようには将来のことを考えにくい、考えられないという状態です。これは戦争の汚さが将来への展望を奪っているからで、非暴力をどう実現していくかが日本の平和、チェチェンの平和、世界の平和を考える上で決定的に重要です。

(注1)http://www.rakuten.co.jp/arekore/573996/675292/

参加者:マスハドフがあえてこの時期に停戦を提案していた理由は何でしょうか?

大富:マスハドフはこの時期に初めて和平を唱え出したわけではなく、報道されてはいませんが、第二次チェチェン戦争が始まった1999年から一貫してロシアとの交渉を求めていました。

岡田:停戦が1月でなければならないという理由はないとマスハドフ自身も述べていますが、とにかく戦争を止めさせたいからでしょう。

林:ロシアと交渉しなければチェチェンの未来はないという危機感からではないでしょうか。

寺沢:昨年の12月から今年の1月にかけてプーチン政権は国際的非難の的になっていました。連日の座り込みや集会といった徹底した非暴力運動によってウクライナ市民が実現したオレンジ革命(注2)をきっかけに、情報操作や脅し、プロパガンダを繰り返してきたクレムリンプーチンの威信が地に落ちたのもこの時期です。マスハドフはやはりこうした国際動向を読んでいたと思います。

(注2) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E9%9D%A9%E5%91%BD

参加者:共同声明(注3)では「チェチェンの人々へ」や「ロシアの人々へ」、「日本と、世界の人々へ」という呼びかけはありますが、ロシア軍や傀儡政権への弾劾は行わないのでしょうか?

青山:ロシアが交渉を拒絶している今の状態で停戦を求めるにはロシア市民や日本国民に呼びかけた方がよいと判断して、ロシア軍や傀儡政権への呼びかけは特に行いませんでした。

岡田:共同声明は「国家テロリズム」や「ジェノサイド」という用語によってロシア政府を充分に糾弾する内容になっていると思います。

(注3)http://chechennews.org/activity/ap20050324.htm

参加者:やはりマスハドフの意を汲んでロシア政府に直接声明をアピールしなければ、運動の向きがずれて弱いものになってしまうのではないでしょうか?

大富:起草にあたって侵略への批判はもちろん必要なのですが、私たちにはむしろマスハドフの死をきっかけとしてチェチェン社会に過激主義がはびこることへの懸念がありました。チェチェンの青年たちが過激主義に陥る歯止めとして日本からの手紙を送りたかったということがあります。私たちとしてはマスハドフの理想をやはりチェチェン人に引き継いでもらいたいわけで、ロシア政府に対するアピールは別の機会にも行えると判断しました。

青山:ロシア政府を交渉の場に引きずり出すのは世論であると判断し、ロシア政府に対する圧力を高めることを第一に考えました。ロシア政府がすでに当事者能力を失っている以上、国際社会の介入が必要不可欠だからです。

参加者:マスハドフが暗殺され、サドラーエフが後継者となったわけですが、チェチェンは今後どの方向に行くのでしょうか?

大富:予測不可能です。マスハドフは平和への一つの可能性でした。

寺沢:予測不可能です。チェチェン人は民族としてのどん底にあります。

岡田:サドラーエフ自身はマスハドフの路線を守ると主張していますが、チェチェン側にはマスハドフの死をきっかけに過激主義に訴えようという勢力もあります。

参加者:チェチェン紛争の隣国への拡大はどうなっているのでしょうか?

岡田:昨年から急速に紛争が波及しています。ロシア軍がイングーシやダゲスタンで掃討作戦を行い、一般市民への被害を出しています。チェチェン独立派の中でもチェチェン戦争をチェチェン国内に留めるべきかどうかという議論が行われてきましたが、マスハドフは戦闘をチェチェン国内に限定すべきであると断言していました。

参加者:チェチェン運動では南アフリカ共和国マンデラに対して行われたような世界的支援運動はないのでしょうか?

大富:各国ごとにそれぞれ支援団体があるのが現状で、国際的な連帯は今後の課題です。

参加者:旧ソ連圏の報道は情報操作が顕著なのですが、今回はウクライナに対する国際的支援がありました。まずは情報を正確に伝えることが必要です。

参加者:チェチェン問題に関して国連はどのような態度を取っているのでしょうか?

寺沢:国連では人権委員会チェチェン問題を扱っていますが、 9.11以降「テロとの戦い」を名目に、ロシアを非難する決議案が否決されています。昨年には決議案も出されなくなってしまいました。イスラーム圏の支持も得られず、チェチェンは大国の論理に翻弄されています。
対話集会を終えて

 チェチェンの今後は予測不可能――今回の集会にあえて散文的な結論を求めるとすれば、それはどこまでも暗いものになってしまうのかもしれない。だが、平日にもかかわらず50名以上の方が参加してくれた会場には、そんな絶望や諦観とはまた違う空気が創り出されていたように思う。願わくは今後も多くの方々とそうした感覚を共有できることを。 3人のチェチェン青年のジュネーブへの旅費についても寄付をいただいた(引き続きのご支援はチェチェンニュース編集室へ)。マスハドフに哀悼を、そしてチェチェンを、私たちの活動を、見守っていてくださるすべての方に感謝を捧げます。

参加者からの感想(アンケート用紙による): http://chechennews.org/activity/20050324shibuya.htm
参考・マスハドフはどうして殺されたか?: http://chechennews.org/chn/0508.htm
マスハドフの人物情報: http://chechennews.org/basic/biograph.htm#Maskhadov