Vol.05 No.13 2005.05.13
発行部数:1711部
集会報告:チェチェンで何が起こっているのか<トルコのチェチェン難民報告>
(文責:植田那美 写真:山口花能)
チェチェン戦争が始まって10年。それは20万人とも言われるチェチェン難民の多くにとって、家族や故郷を奪われた喪失感と疎外感を抱えながら、様々な国でマイノリティとして生きることを強いられてきた10年でもある。5月7日に東京・青山で行われた集会では、日本における難民サポーターの周さんとチェチェン問題の取材を続ける常岡さんのお二人から、日本とチェチェンをつなぐ難民問題についてお話を伺った。参加者53名。
日本の中のクルド難民(周さんの報告)
「最初は外国人ホームレスだと思っていたんです。でもある日ポストに『助けてください』というチラシが入っていて、彼らが座り込みをしている難民だと知りました。」
2004年7月13日、東京青山のUNHCR(注1)前でクルド難民二家族(注2)が日本政府の難民認定却下に対する座り込み抗議行動を開始した。難民条約(注3)に加入していながら日本が2003年に認定した難民は申請者654人に対してわずか10人。米国の2万4千人はもとより、先進7ヶ国では下位2位にあたるイタリアの625人の2%にも及ばない。周さんが偶然手にしたチラシには、彼らが座り込みをせざるを得なかった経緯とともに、水も食料も不足しているという訴え、そして小さな子どもの写真があった。「それを見て、いてもたってもいられなくなって・・・。それで難民問題に関わるようになりました」と周さんは語る。「子どもの虐待死ってありますよね。近所の人が気づかないうちに子どもが死んでしまう。もちろん彼らは難民で状況は違いますが、なぜかそのことを思い出したんです。」
座り込みの現場近くに住んでいた周さんは、二家族に差し入れをしながら、それまでは趣味で撮るだけだったカメラを、彼らと彼らの眼差しの先にある日本の社会に向け始める。しかし9月に入ると国連側から退去の勧告が届き、22日には二家族と共に座り込みをしていたイラン人男性が突然逮捕され(注4)、強制排除に直面した家族がガソリンをかぶってライターを手にしたため現場は大混乱に陥った。弁護士とドーガンさんの身元保証人の福島瑞穂氏が仲介に入り、話し合いの継続と引き換えに二家族の自主退去が決定され、72日間の座り込みは終わる。すべてが私たちの今いる会場の隣で起こっていた出来事だ。
だが、日本で働いて生活することを求めていた彼らの望みは砕かれた。2005年1月17日、カザンキランさんと長男のラマザンさんが入国管理局に収容されたのだ。しかも皮肉なことに、2人を強制送還する便が翌日の緊急記者会見中に成田を出国したことが判明する。知らせを聞いて泣き崩れる家族に向けて、周さんも泣きながらシャッターを切った。「彼らはマンデート難民認定(注5)を受けて、難民認定を求める6万筆の署名を法務省に提出していたのに、政府は日本で難民運動を広めようとした見せしめに、2人を強制送還したんです。UNHCRは残された家族の第三国出国をサポートすると言うだけで何の援助もしてくれません。彼らは『何もすることがなくて頭がおかしくなりそうだ』と言っています。『ただ家の中でじっと待つことしかできない』と。」
一方ドーガンさんも3月18日に入管に収容されるが、支援者の連日の抗議行動によって4月27日に解放された。今は家族で暮らしているが、いつ幼い子どもたちと引き離されるかわからない不安と恐怖からは、いまだに解放されないままだ。
(注1)国連難民高等弁務官事務所。難民を保護・援助する国連機関。
(注2)カザンキランさんとドーガンさんの二家族12人
(注3)難民の権利保護を目的とする条約。任意帰国・再移住・帰化に関する便宜の供与や、迫害のおそれのある国への追放・送還の禁止などが定められている。
(注4)イラン人難民のジャマル・サーベリさんの逮捕と収容については以下のサイトが救援活動をを呼びかけている。
http://www2.bbweb-arena.com/jamalq
(注5)UNHCRの発行する難民認定書。国連のマンデート難民が強制送還されたことは過去にまったく例がないという。
トルコの中のチェチェン難民(常岡さんと周さんの報告)
周さんはその後、送還されてしまったカザンキラン家の2人に会うために、トルコへ向かう。そこで1999年からチェチェン戦争の取材を続けるジャーナリストの常岡さんと出会い、トルコのチェチェン難民の訪問に加わることに。
イスタンブールのチェチェン難民は約2000人。3つの難民キャンプにそれぞれ150人前後が暮らし、残りの人々は市内に住んでいるという。だがロシアの圧力を恐れるトルコ政府からの公式援助は一切なく、学校にも仕事にも行けない彼らを支えているのは「カフカスヤ・フォルム」(注1)などのNGOの存在だ。2人が聴き取りを行ったムサさんは、ロシア治安機関が「毎日のように『テロリストの掃討』と称してチェチェン人の虐殺や略奪や誘拐をやっている」チェチェンから逃れてきた一人だが、「トルコにはチェチェン人がたくさん住んでいて、家もない、食べ物もない状態で生活している」と語る。
ドゥダーエフ(注2)時代の元代議士のドクさんを始め、チェチェン難民には手足を失った人が非常に多い。地雷(注3)で両足を失った男性は、義足で20mも進めば痛くて歩けなくなるため医療先進国での手術を希望しているが、UNHCRは一年ほど前に写真を撮りに来たきり音沙汰もない。あるキャンプでは女性が40人から50人の子どものために教室を開いていた。授業はロシア語、数学、応急処置、ロシア文学の4科目。「ロシア人と戦うなら、ロシアを知る必要があるからね」とサイフッラーさんは言う。トルコではチェチェン難民の子どもが木に登ってりんごを取って食べただけで逮捕されたこともあるという。だが、そんなトルコ政府への失望からヨーロッパや日本への憧れを口にする彼らを前に周さんは言葉に詰まる。そんなトルコの対応でさえ「強制送還がないだけ日本よりはマシ」と指摘するのは常岡さんだ。去年の夏から周さんの眼に映ってきた日本は、もはや平和で豊かな先進国の仮面を脱ぎ捨てて、世界に類を見ないほどの難民鎖国の素顔をさらけ出していた。
しかし、周さんが帰国した直後、それまでチェチェン難民の認定を拒否してきたトルコは、急遽彼らの難民認定を始めるようになる。EU加盟を狙うトルコを変えたのはEUの外圧だった。難民認定を受けたチェチェン人は永住権を得てトルコで働けるようになり、ムサさん一家も保険や福祉が受けられるようになったのだ。学校もチェチェン人の子どもを受け入れ始めている。トルコ社会でチェチェン難民が人間として生きていくためのボトムラインがようやく引かれたのだった。「話を聞いた中で唯一救われた部分です」と周さんは語る。「子どもは生まれるところを選べません。チェチェン人に生まれたらゲリラになるとか、クルド人に生まれたらトルコ人として生きるとか、そういうことは可哀想というより子どもに対して間違っていると思うんです。他国から難民が来ても受け入れられない日本にいることは、本当に恥ずかしいと思います。」
(注1)ロシアの全体主義への抵抗とカフカスの完全独立を掲げて活動しているNGO
(注2)1991年から1996年までチェチェンの初代大統領。衛星電話で通信中にロシア軍のロケット弾により殺害された。
(注3)地雷禁止国際キャンペーンによると、2002年における地雷の死傷者数は全世界で11700人、うち49%がチェチェン共和国の被害者だという。
http://www.icbl.org/lm/2003/chechnya.html#Heading16971
世界の中のチェチェン難民(常岡さんの報告)
常岡さんの報告はトルコからグルジア、ジュネーブと多岐に渡る。会場に流された映像は常岡さんが4年前に取材をしたグルジアのパンキシ渓谷だ。武装している人々は故郷に帰るために武器を取ったチェチェン難民であるという。しかし彼らは結果としてグルジアから独立を目指す少数民族のアブハジア人との戦闘に参加。それはロシアの侵略に対して団結してきたコーカサスの少数民族同士の争いであり、ロシアへの抵抗を掲げてきたチェチェンの負の歴史の記録でもあった。現在グルジアのチェチェン難民は約2000人。しかし実際にはグルジア国民さえも難民申請を行ってしまうほど社会の貧困化が進んでいるという。
続いて話題に上ったのはジュネーブの国連人権委員会(注1)だ。だが、チェチェン運動創始者の一人である日本山妙法寺僧侶の寺沢潤世師に誘われてジュネーブを訪れた常岡さんがそこで見たものは、国家間の政治力学に翻弄される「人権」の軽さだった。ロシアの石油に依存するヨーロッパの思惑からチェチェンは議題にさえならず、ダルフール(注2)の非難決議も否決。「結局事実がどうとかいうことではなく、ダルフールの件では『何もしない』という国の力が強かったというだけの話なんですね。チェチェン問題が扱われなかったのは今ロシアが国際的に強いという、ただそれだけの理由からでした」と常岡さんは振り返る。国連委員会が3月22日に終了すると、常岡さんは寺沢師とともに欧州議会のあるストラスブールに発つ。チェチェン人によるパリ=ストラスブール間の非暴力平和行進が行われていたからだ。フランスでは約1万人のチェチェン人が難民認定を受けて政府からの支援を受けているが、それでも貧困という問題はあると常岡さんは語る。
「チェチェン戦争が始まってすでに10年が経ちました。今年3月の発表によるとロシアからの難民数はついに世界一になったそうです。この10年間、日本政府、チェチェン問題に何もしない姿勢はまったく変わっていません。これは寺沢さんが指摘してくれたことなのですが、ヨーロッパやトルコの政策を批判する以前に、日本でチェチェン人が暮らせる可能性を考えること、それが私たち日本人の役目ではないでしょうか。」
(注1) 1948年に成立し、世界人権宣言や国際人権規約を起草した国連の専門機関。毎年春にジュネーブで世界の人権侵害状況を課題別、国別に討議し、各国へ政治的圧力をかけて人権問題の改善を図っている。
(注2) スーダンのダルフールでは政府系のジャンジャウィードと呼ばれるアラブ民族民兵が黒人住民の民族浄化を行っており、すでに30万人以上の死者が出ている可能性が指摘されている。
質疑応答
参加者:この集会は何を目的としているのですか。
青山(司会):チェチェン戦争の平和的解決が最終目的です。しかしそのためには単にチェチェンとロシアの問題としてだけではなく、難民問題や全体主義への回帰を、日本の問題として捉えることが必要だと思い活動を続けています。
参加者:日本が難民を受け入れない根本的な理由とは何なのでしょうか。
周:民族主義ではないでしょうか。戸籍制度や天皇制など民族の「純粋性」を掲げることで、そうでない人々を排除しようとするのだと思います。私の父は台湾人ですが、日本国籍を得るときに日本人風の名前にさせられた家族もいます。
常岡:島国で田舎者だからでしょう。要するに村社会なんですよ。
参加者:アブハジアとグルジアの仲が悪いのは宗教紛争なのですか。
常岡:宗教ではなく、アブハジアにグルジア人を、グルジアにアブハジア人を残すようにして国境を引いたスターリンの対立政策が紛争を生んでいます。
参加者:以前の集会ではヨーロッパのチェチェン難民への支援はないということを「チェチェンを支援する会」の鍋元さんがおっしゃっていましたが。
常岡:基本的に支援グループはヨーロッパにあり、アジアや中東にはあまりありません。鍋元さんの活動しているアゼルバイジャンは状況がよくありませんが、北欧やドイツの状況はよいですし、ポーランドもよくなっています。トルコはこれからが始まりでしょう。
参加者:トルコに難民受け入れの外圧をかけたEUでは国内で移民への排斥運動が行われています。EUの外圧は人権を標榜した難民の押しつけなのではないでしょうか。
常岡:EUはそれでも世界的には難民を断然受け入れているわけで入国も容易です。むしろ日本の難民政策こそが問われるべきだと思います。
参加者:どうやって難民を受け入れる準備をすればよいのでしょうか。運動は個人的にするべきでしょうか。それとも組織的に行うべきでしょうか。
周:私たち難民サポーターの結論はクルド人二家族を「日本から安全に出す」というものでした。「日本で安全に住む」という運動への応えが2人の強制送還になった以上、日本を変えるのは外圧だけだというのが私たちの結論です。日本はUNHCRに一番お金を出している国なのですが、日本国内には難民を住ませたくないんですね。ですから日本人自身がこれはおかしいという方向に行かない限り、日本を変えるのは外圧しかありません。
常岡:政治運動だけではなく学問分野、たとえば留学生の受け入れや研修など、いろいろなレベルでできることはあると思います。
青山:難しい問題ですが個人でできることも多いと思います。難民にとって不自由な社会は、実はそこに住んでいるすべての人にとっても不自由なのではないでしょうか。できることが限られていても諦めた時点で何も変わらないわけで、きっかけは偶然でも動き始めることで見えてくるものは大きいと思います。私たちは今後の計画としてチェチェン問題に関する映画の公開やプーチンの来日へのアクションの準備を進めています。毎月チェチェン連絡会議を開いていますので、サポートしてくださる方はぜひ参加をお願いします。
青山:では最後に一言ずつどうぞ。
常岡:なぜチェチェン問題の取材をしているかということですが、チェチェンはイラクやアフガニスタンと比べてもまったく規模が違うくらいめちゃめちゃなんですね。チェチェンというのは状況がむちゃくちゃなまま悪くなる一方なんです。そして本当にヤバい場所というのは世間では殆ど知られていなかったりする。それがチェチェンです。
周:私は去年の今までは無関心を絵に描いたような日本人でした。でも難民の人たちと友達になってみると、目の前でこんなに苦しんでいる人がいるのに、日本は民主主義で豊かで平和だということが言われているわけですね。もういい加減にしろと思います。昨日も牛久の難民収容所に行ってきましたが、カビの匂いのする六畳ほどの部屋に大人が5人も押し込められて、彼らの多くが膝や肘を真っ赤に腫らしてPTSD (注1)になっています。スリランカのララさんは硫酸をかけられて治療のために日本に来たのに、傷も治らないうちに家族と引き離されて収容されてしまいました。難民問題の深刻さを知っている人はまだまだ少ないです。まずは知ることですが、署名(注2)という手段もあります。今日は本当に長い間ありがとうございました。
(注1)心的外傷後ストレス障害
(注2)署名はクルド人難民二家族を支援する会のリンクより行える。
http://homepage3.nifty.com/kds/
集会を終えて
誰かが人間としての尊厳を踏みにじられているとき、それに同情するのは簡単だと思う。なぜなら同情は自らの立ち位置を問い直すことなく良心を働かすことのできる行為でもあるからだ。私たちは誰かに同情するとき、心の片隅で優越感を覚えていないだろうか。それは相手との距離を主観的に縮めこそするが、必ずしも相手との立場を対等にはしないのだ。今回報告をしてくださったお二人を動かす根本にあるものは、難民への同情ではなく、彼らと同じ目線で物を見られる人の怒りだと感じた。そこには、同情がしばしば怠ってしまう、自らの生きる社会への厳しい問いかけがある。
――とここまで書いたところで、ネット上に難民の「自己責任」論なる主張を発見してしまった。いわく「普通の親なら大衆の面前でガソリン被って焼身自殺のマネなんかしない。不法入国を行い、難民申請とか座り込みとかを行う前に、子育てを真剣にやってほしい」・・・ということで前言を撤回します。どうやら単なる同情さえ今や高等技術を要するらしかった。私たちはそんな国に生きている。
参加者からの感想
(アンケート用紙による。PDF141KB): http://chechennews.org/dl/20050507ancate.pdf
集会資料:
p1-2(83KB) http://chechennews.org/dl/20050507distri001_002.pdf
p3-7(134KB) http://chechennews.org/dl/20050507distri003_007.pdf
p8-10(215KB) http://chechennews.org/dl/20050507distri008_010.pdf
p11-15(199KB) http://chechennews.org/dl/20050507distri011_015.pdf
p16(73KB) http://chechennews.org/dl/20050507distri016.pdf
p17-21(1.8MB 重!) http://chechennews.org/dl/20050507distri017_021.pdf
アンケートシート(56KB) http://chechennews.org/dl/20050507distriancate.pdf
いつかチェチェンで会いましょう(熊本)300人の人出が!
チェチェンとロシアの紛争を知ってもらおうというイベントが熊本市で開かれた。これは熊本在住の作家、姜 信子さんたちが開いたもので、7日は約300人が参加した。東京の写真家本橋誠一さんが撮影したチェチェンでの人々の暮らしぶりをスライドで見たあと高校生も参加しての座談会が開かれた...
つづきはテレビ熊本サイトで: http://210.128.247.29/newsfile/view_news.php?id=5299
動画も(リアルプレイヤーで再生): http://210.128.247.29/newsfile/topic_movie.php?id=5299
姜信子さんの報告: http://moon.ap.teacup.com/frances/62.html