クラーエフ裁判の状況 <その1>

ootomi2005-06-03


クラーエフ問題をどう考えたらよいか、まだわからない。ベスラン事件でたった一人生き残ったテロリスト、という位置づけがまずあやしい。率直なところ、ロシア側が送り込んだチェチェン人エージェントなのではないかと思っている。しかし裁判では罪状を認めていないとのことで、かならずしもロシア側の意向通りに動いているわけではない、ように見える。

ただ、仮にエージェント説をとると、彼が終身刑や極刑に処せられることはありえない。だから、罪状を認めないまま刑が軽くなれば、予定通りの茶番になるはずだ。ただ、チェチェン人エージェントの命は軽い。完全な使い捨される可能性もある。ロシア議会の調査委員会の報告はどうなったのだろう。それとの照合も必要だ。

チェチェン人は本当にあの事件に関わっていたのか。その問題意識を中心に、報道を追っていきたい。以下は最近のまとめ:

MT:クラーエフ裁判

5月31日に、ベスラン学校占拠事件に一人だけ生き残ったとされるヌルパシ・クラーエフ容疑者に対する裁判が始まった。クラーエフは証言の中で、連邦軍が突入した際、校舎内からの挑発は何もなかったと語った。また、連邦軍の先鋒が体育館に突入したさい、ゲリラの一人が狙撃されて倒れた。さらに、建物に仕掛けた爆弾の起爆装置のスイッチを踏んでいた*12人のゲリラが撃たれ、爆発したのだという。この点について、連邦当局はこれまで「軍部隊は体育館内部で2度の爆発があったために突入した」としており、クラーエフの証言と食い違っている。(モスクワタイムス 2005/6/1)

http://www.themoscowtimes.com/stories/2005/06/01/011.html

SA:クラーエフ、ロシア側を非難

5月31日、法廷のクラーエフは「<大佐>は、ロシア側の交渉人がくれば、そのつど150人を釈放しようとしていた」と語り、ロシア側が意図的に交渉を避けていたという意味の発言をした。

MN:クラーエフ裁判

「やつらには血も涙もない。最後の弾が尽きるまでやるしかないな」と<ポルコーフニク(大佐)>は言った。クラーエフの証言によると、ゲリラたちは事件以前、子どもを人質にとるか、警察署を占拠するかで意見が分かれていた。「子どもと女たちを学校の建物に追い込む計画が出されたとき、何人かは大声で反対した。どうして学校なんだ、近くに警察署があるじゃないかと」ゲリラの中にいた2人の女性は、学校占拠と爆弾の設置という組織の方針に反対していたという。(モスクワニュース 2005.06.01)

http://mosnews.com/news/2005/06/01/beslantrial.shtml

クラーエフは24歳

クラーエフ裁判は今のところ予審というか、プレ裁判の状況らしい。6月2日のイタル・タス通信によると、クラーエフは24歳で、チェチェンのノジ・ユルト近くのスタール・エンゲノイ村の出身者。今回の裁判ではロシア刑法に抵触する8個の罪で訴追されている。それには殺人、公務員に対する計画的殺人、テロリズム、誘拐などが含まれる。検察側はニコライ・シャペル副検事総長と3人の検察官をこの件に充てている。弁護人はアルベルト・プリエフ弁護士。検察側は105点の証拠物件を法廷に提出している。弁護側証人はいない。

http://www.itar-tass.com/eng/level2.html?NewsID=2097196&PageNum=0

子を失った母がクラーエフの赦免署名集め

クラーエフを赦免するための署名集めを開始した母親がいる。lenta.ru などによれば、ベスラン事件で子を失ったスザンナ・ドビィエーワさんは、クラーエフが真実を話すことを条件に、赦免のための署名をあつめようとしている。

http://lenta.ru/news/2005/06/02/kulaev1/

MN:クラーエフ裁判

クラーエフは6月2日の公判で、事件以前に存在したいくつかの攻撃計画について語った。これによると、クラーエフたちのリーダーである<大佐>は、チェチェンの首都グロズヌイ、ウラジカフカス、ナズランなど北コーカサスの都市の警察・治安省庁建屋に対する、自動車爆弾などを考えていたという。(モスクワニュース 2005.06.02)

http://mosnews.com/news/2005/06/02/beslanmore.shtml