20060717集会報告:チェチェンの現在を語る

ootomi2006-07-23

−ハッサン・バイエフ医師来日延期報告−

 チェチェン戦争が始まって約12年。ロシアのチェチェン共和国では、1994年から続くロシアの軍事侵攻によって、人口の20%〜25%が死亡し、50%が難民として国外に逃れています。私たち「ハッサン・バイエフを呼ぶ会」は、世界でもっとも悲惨な戦争を目の当たりにしながらも、敵味方の区別なく必死の治療に当たり、今もチェチェンでの監視活動を続けるハッサン・バイエフ医師を日本に招くために準備を進めてきました。
 残念ながら当初の招聘期間中にはバイエフ医師の来日を実現させることはできませんでしたが、今回の報告会では、バイエフ医師から寄せられたメッセージや、最近死亡が報道されたチェチェン野戦司令官シャミーリ・バサーエフに関する講演を交え、「バサーエフ後のチェチェン」に私たちは何ができるのかを考えました。その様子をお届けします。
親愛なる友人のみなさまへ・・・
まず始めに、「ハッサン・バイエフを呼ぶ会」の共同代表の岡田一男さんより、ビザ発給の遅延によるバイエフ医師来日延期についての説明と謝罪が行われ、バイエフ医師から寄せられたビデオメッセージが流された。柔道家でもあるバイエフ医師は、「親愛なる友人のみなさま」という呼びかけで始まるメッセージで、「日本訪問は、私の子ども時代からの夢だった」と述べ、日本の支援者に対する感謝とお詫び、訪日への意欲を改めて語っている。
バイエフ医師によるビデオメッセージ(全文)はこちら
http://www.tci.sakura.ne.jp/Baiev-message.htm

チェチェンに平和と繁栄を」

次に、バイエフ医師から届けられたプレゼンテーション映像を岡田さんが解説する。戦場の医師ハッサン・バイエフ氏は、2000年に米国に亡命するまで、すべての傷ついた人を救うために、1日に60件もの外科手術を、しばしばガスや電気、水道水、白衣さえない状況で行ってきた。彼が「人生最悪の日」と呼ぶ、バサーエフを含む300人以上の負傷者が病院に運び込まれてきた2000年1月には、ロシア政府が100万ドルの賞金を懸けていたバサーエフの右足を切断して彼の命を救っている。米国への亡命後も、バイエフ医師はNGOチェチェンの子ども達国際委員会」代表として、40%が視覚や聴覚に障害をかかえるチェチェンの子どもたちのために首都グローズヌイの聾学校を支援するなど、チェチェンに平和と繁栄をもたらすための献身的な活動を続けている。
バイエフ医師によるプレゼンテーション映像(FLASH)はこちら
http://chechennews.org/dl/20060715_baiev.swf

イムラン基金

続いて、「イムラン基金」代表の菊池由希子さんが、基金目標額達成の報告と支援者への感謝の挨拶を行った。イムラン基金は、ロシア軍の爆撃を受けて頭蓋に損傷を受けたチェチェン人難民の少年を日本に招いて治療を行うために菊池さんが設立した団体で、今月27日には彼女の出身地弘前で手術が行われる。「私一人ではイムラン一人しか救えませんが、もっと多くの方がチェチェンに興味を持ってくれることで、一人でも多くのチェチェン人が救われることを願っています」と菊池さんは会場に訴えた。
イムラン基金のサイトはこちら
http://www.geocities.jp/imran_fund/

私が会ったバサーエフ

最後に、11年にわたってチェチェンで19回取材を行い、バサーエフにも4回会っているジャーナリストの林克明さんが、バサーエフに対する評価と彼の死の持つ意味を解説した。第一次チェチェン戦争中の1995年に、南ロシアのブジョンノフスで病院を占拠し、ロシアを平和交渉のテーブルに引きずり出したことで、ロシア人から「テロリスト」、チェチェン人から「民族の英雄」と呼ばれるようになったシャミーリ・バサーエフは、高校時代には無口でおとなしく、サッカー好きのどこにでもいるような若者だったという。バサーエフに対する林さんの第一印象は、一種のオーラがあり、気さくに何でもよく喋る「江戸時代の火消し」(?)というもの。だが、「顔が奇麗でびっくりした」という林さんの彼への印象は、チェチェンでの戦況が悪化するにつれて同様に悪化していった。
バサーエフがインタビューの中で語った内容は、彼がイスラム過激派ではなくチェチェンの伝統的なスーフィズムイスラム神秘主義)を信仰しているということ。そして、この戦争がロシアの脅威からチェチェンを含むヨーロッパ全体を守るための戦いだというものだった。バサーエフは、モスクワ劇場占拠事件やベスラン学校占拠事件を始め、多くのテロ行為への関与を表明しており、しばしば元マスハドフ大統領との不和やロシア当局とのつながりも指摘されてきたが、林さんはそうした見方に疑問を唱えている。
チェチェンのような小国が、曲がりなりにもロシアという大国に対抗してこられたのは、独立派の中核がこれまで協力関係にあったからだと思います。独立の父ドゥダーエフ、その代行のヤンダルビーエフ、民主的な選挙によって大統領に選ばれたマスハドフ、国防大臣のゲラーエフ・・・ロシアはつねにチェチェンの指導者、交渉相手を殺してきました。これはプーチン政権がどうしてもチェチェン戦争を終わらせたくないということを意味しています。バサーエフの死が大きいのは、彼の死によって独立派の最後の中核が失われ、今後の展望がまったく見えなくなってしまったからです・・・」

質疑応答

Q:イスラム過激派がチェチェン戦争に与えている影響や、現在のチェチェン戦争の状況についてお聞かせください。
林:チェチェンだけでなくイングーシやダゲスタンなど、北コーカサス地域に戦争が広がってきていることが挙げられると思います。
岡田:イスラム過激派の影響はそれほど大きくないのではないでしょうか。バサーエフ自身は一種のポーズとしてイスラム過激派を装ってきたのだと思います。

大富(司会):バサーエフは第二次チェチェン戦争の引き金となった1999年のダゲスタン侵攻を指揮するなど、国際的な共感を自ら捨ててしまうような、チェチェンに対して非常に不利な行動を取ってきたわけですが、そうしたバサーエフの真意はどこにあったのでしょうか?
林:バサーエフは、ロシアと結託していたというわけではなく、ロシアの帝国主義に武力によって対抗するという点で戦術的に動いてきたのではないでしょうか。

Q:400年にわたるロシアとチェチェンの侵略と抵抗の歴史を見る限り、明らかに非はロシア側にあると思うのですが、なぜチェチェンの独立を支持する国際世論が盛り上がらないのでしょうか?
大富:ロシアが大国で、国連の常任理事国でもあるため、ロシアに対する国連非難決議採択を始め、ロシアを批判する国際世論が非常に作られにくい状況があるからです。

Q:チェチェン戦争に関するロシア国内の報道や国民の意識についてお聞かせください。
林:ロシアでは、日本の北朝鮮報道を100倍にしたような、徹底的な反チェチェンプロパガンダが24時間365日にわたって流され続けているため、一般的なチェチェン感情は最悪の状態です。
岡田:それでも、モスクワのプーシキン広場では、毎週木曜日の夜に反戦集会が開かれており、プーチン政権を批判するメディアも一応存続している程度の自由は残されています。
林:チェチェンで取材を続けていると、戦っている人々の強さを本当に実感します。チェチェンの人々は、いつか人権と平和を実現させるよい社会を作れるはずだと思っています。

まとめ(市民平和基金代表 青山正さんより)

人口の四分の一が死亡してなお、国際社会にほとんど知られていないのが、このチェチェン問題です。先日行われたロシアでのG8サミットでも、日本の首相がプーチン大統領の前でチェチェン問題に触れることはまったくありませんでした。チェチェン問題を知ることは、チェチェン支援につながるだけでなく、世界を知り、私たちの足元を捉え直すきっかけにもなると思います。ハッサン・バイエフ医師の招聘を実現させるために、私たちはこれからも活動を続けていきますので、どうか今後もご協力をお願い致します。
文責:植田那美
集会配布資料(PDF3.7MB): http://chechennews.org/dl/20060717distri.pdf