「プーチン首相」のシナリオ

 10月28日の東京新聞の記事より。個人的には、こうした政局分析はあまり好きではないのですが、内容は参考になると思います。(邦枝)

 「時代を読む」 木村汎

 プーチン大統領は、またもやサプライズ人事を行った。これまでほとんど無名の官僚ズプコフを首相に指名した。次いで、自らは、大統領職を辞したあと、首相に就く意向を示唆したのである。このサプライズによってプーチン大統領は、クレムリン・ウオッチャーたちの間で議論されてきた次の二つの問いを解く重要なヒントを提供した。次期大統領は、誰?辞任後のプーチンはどのようなポストに就くのか?
 次期大統領には、ビクトル・ズプコフ首相が昇格する可能性が濃厚となった。プーチンは、いったん首相ポストに退いた後、二〇一二年に大統領に返り咲く。その間、大統領職を預り、それをスムーズにプーチンへと禅譲してくれる人物候補として、ズプコフは理想的である。なぜか?
 ズプコフ(六六)は、プーチン(五五)に比べはるかに年長者なので、一時的にプーチンの上司となってもプーチンの面子を損なわない。ロシア人男性の平均寿命は五十八、九歳で、ズプコフの同僚たちは既に年金生活に入っている。ゆえに、ズプコフが「健康上の理由」でいつ何時辞任してもおかしくない。何よりも肝要なのは、ズプコフが政治家として軽量級の人物であること。したがって、おそらくプーチンおよび彼の背後に控える旧KGB(秘密警察)の圧力に抗してまで、大統領職に居座ろうとはしないだろう。
 第二問に対する答えも、ほぼ明らかとなった。大統領辞職後のプーチンは、ひとまず首相に就任。そのポストから、次期大統領の統治を監視・操作する。ロシア政治では、名義上の地位はそれほど重要でない。ズプコフ(またはその他)が大統領を名乗っていても、プーチン首相の事実上の権限の方が大統領のそれを上回るであろう。
 ともあれ、このようにしてプーチンが政治の世界から花道引退するシナリオは完全に消え去った。彼は、まだまだやる気十分なのである。これを裏づける証拠にはこと欠かない。例えば、APECアジア太平洋経済協力会議)や冬季五輪のロシアへの熱心な誘致努力。また、今夏、筋肉隆々の上半身裸の姿を披露し、心身共に健康この上ない状態にあることも誇示した。
 ズプコフを暫定大統領とし、プーチン自身はしばらく後となって大統領職に復帰する―。確かにこれは、実によくできた筋書きではある。だが果たして、現実にこのシナリオ通りに運ぶだろうか?どこかにリスクや落とし穴はひそんでいないか?
 例えば、一体いつまでプーチンは首相の役回りに堪えられるだろうか。G8など対外的に華やかな舞台への出席は、本来大統領の職務である。他方、首相の担当分野は、地味な経済分野。しかも、今後おそらく、ロシア経済はピークを過ぎ、下降へと転じ、プーチン首相はその責任を問われることになるだろう。
 また、大統領就任後のズプコフがひょっとすると実力や自信をつけ、プーチンにすんなりと大統領職を禅譲しようとしなくなるかもしれない。「プーチン―ズプコフ」コンビから外された者たち(例えばセルゲイ・イワノフ第一副首相)の不満が嵩じ、エリートが二分され権力闘争すら起こるかもしれない。
 右は、おそらく取り越し苦労にすぎない極論であろう。とはいえ、これまでサプライズで周囲を驚かし続けてきたプーチン自身が驚かされる。そのような皮肉の発生すら否定しえない。政治の世界は、一寸先は闇である。
 (北大名誉教授・拓殖大学客員教授