サマーシキ村虐殺事件から13年

1995年の4月、ロシア軍はチェチェンのアチホイ・マルタン地区のサマーシキ村を包囲し、「掃討作戦」を行なった。非武装の住民たちが、レイプや虐殺の被害に遭った。いくつかの現地のNGOや著名人が、グローズヌイで会議を開くほかには、現在のチェチェン当局(カディロフ傀儡政権)は、この事件を記念するいかなる公式行事も行なっていない。
4/10に、NGO「カザフスタンの子どもたち」の事務所で開かれた会議では、いくつかのNGOからの代表者や、著名人あわせて15人が参加した。「強制移住者の権利委員会」のアスランベク・アパーエフと、モスクワ・ヘルシンキグループの北コーカサス担当者が、この会議のオーガナイザーとなった。

「13年前、連邦軍はサマシキ村において、大量虐殺を行なった。数日の間に、非武装の市民たちが殺害され、財産は略奪された。現在まで、サマシキでの軍の行動は何ら政府から査問されておらず、この『特殊作戦』の司令官達も、参加した軍人達は誰も処罰を受けていない」と、アパーエフ氏が報告した。

人権団体によると、90人を超える(200人以上という報道もある)人々が、この事件のなかで裁判なく処刑された。130人の人々が逮捕され、「フィルトレーション」(独立派ゲリラかそうでないかを判別する意)された。彼らは数日間にわたって拷問・虐待を受けた。連邦軍は、2日間にわたって、国際機関や、メディア、医師たちをこの村に入れることを拒んだ。

原文: http://eng.kavkaz-uzel.ru/newstext/engnews/id/1211922.html