民族間の問題など、複雑なことを「複雑だ」と言うのは、多少学問があったり、調査に長けていれば誰にでもできる。本当なら、その複雑な状況に対して、どんな価値観を導入する必要があるかを提示する必要がある。
 言い換えると、どんな未来像を示すかだ。その上でないと現状に対して、行うべき事は見えてこない。目的もなく事実を羅列しても、データブック以上の意味はないだろう。
 また、単純化を恐れてはいけないときがある。特に、その「複雑な状況」のなかで生きる人々が、命を翻弄されているとき、事情をよく知る人が、人々を救うための鋭い言説を語ろうとしないなら、それは怠惰か、犯罪への加担だ。
 残念ながら日本の学界では、その手の怠惰は、「学問の中立」の名のもとに横行しており、救いがたいもののように見える。要するに心ない学者たちは、自分たちの飯の種に、人々の命を消費しているのである。FUCK!