自分が何をしようとしているのか、よくわからない。少なくともわかっているふりをしていないと、世の中では子ども扱いされてしまうのだが。
 思いついたことに、適当な名前をつけて、無理やり人に見てもらう。描きたいという心だけがあって、自分にも意味の分からないものを作る。総じて、理解できない。
 つじつまが合わないのは、高熱に苦しむ人間のうわごとだからだ。しかし、そんなところにしか現われない何かがある。

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 生活スタイルを変えなければできないような反原発活動は、むずかしいだろうと思う。政治的な意見そのものは、ある日ガラリと、多くの人が変えてしまうことがあるが、生活の仕方は、社会全体でいっせいに変えることなどできない。

 ただ、電気代を口座引落しから現金払いに変えたとき、多くの人が金額に驚いて、使う量を少なくしたり、あるいは東電に直接、抗議したりするようになるだろう。
 生活の変化は、政治のあとにやってくる。暮らしが変わる前に、考え方が変わるはずだ。
 
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 ホッファーは、「控えめな言葉では明晰に考えることはできない」と言った。これは、まわりの目を気にしていたら、大事な仕事ができないと言っているのとほぼ同じことだ。