チェチェンの子どもが爆弾を作る

ootomi2005-06-24


(英紙タイムスの記事より。子どもたちが爆弾を作って、ロシア人を殺している−−−受け取る人にとっては、ショックかもしれない。あるところでチェチェンの子どものビデオを見せて講演をしたときに、会場から「子どもたちが復讐をしようとしていないのを見て、とても安心しました」という意見を聞いたことがある。「難民の子どもたちに平和教育はされているのでしょうか」という質問をされた方もいた。
その二つのことばが気になり始めたのはあとのことだ。子どもたちは家族を持つ権利はおろか、人を憎む権利さえ認められていない。それが「悪循環」を断つためなのだ。「復讐」は耳障りの悪い言葉だが、「侵略」や「軍事侵攻」がそれよりましなわけではなく、むしろずっと大規模な犯罪であることを、つい私たちは忘れてしまう。
より大きな問題に思いを巡らせるための細部として、お読みくだされば幸いです。CN編集)

チェチェンの子どもが爆弾を作る

ディマ・ベリヤコフ記:

寒いコーカサスの夜。銃弾の跡だらけの白いニーワ(四輪駆動車)の窓から、外はほとんど見えない。なのに私の3人のガイドたちは、私の黒いウールの帽子を深くかぶらせて、目を塞いだ。「あまり見ないほうが、あとでうなされずにすむのさ」と言って。私たちはウルスマルタンを走っていた。チェチェン中部の大きな町で、道は石だらけの田舎道。くるぶしに、カラシニコフ銃が触れていて冷たかった。1時間後に車はとまった。私は小さな部屋に案内された。白い漆喰壁と、白いシーツでふさがれた窓。そこにいたのは、体格のいい、赤いセーターを着た若者で、革のベルトには手榴弾と短銃のマカロフがくくってあった。カモフラージュ用のマスクをかぶっていたが、まだティーンエージャーだ。彼はサイードと名乗った。チェチェンでもっとも危険な男の一人、雇われて爆弾をつくり、ロシア軍の士官でいっぱいのカフェを爆破するときが「人生で一番幸せな日だよ」とうそぶく。

13歳のとき、彼はバイビキ(パルチザン、あるいはロシア側の言うところの「テロリスト」)に加わった。彼の家族は第一次チェチェン戦争で、みな死んでしまい、それ以来彼は「エンジェル」というコールサインを与えられた。ここでは15歳以下の子どもは、みな天使のように無垢だと考えられているからだ。「ロシア軍が攻めて来たときは、まだ5歳だった」と、彼は言う。青い、鋭い眼。だが、見開いて人を見る様子には、まだ子どもの面影が残っている。「目の前に爆弾が落ちてきたときのこと、今も覚えてる。危険だなんてわからなかった。小さすぎてまだわからなかったんだ。高速道路に飛んできたロシアの戦闘機が、母さんや、父さんや、二人の姉さんを殺したなんて」彼の伯父がサイードをひきとった。この伯父も、2000年に殺された。「好きだったよ。そのあとは、戦うしかなくなったんだ。復讐のためにね」

イードはジハードのためのトレーニングに加わった。2001年に、彼のつくった爆弾で最初の犠牲者が出た。ロシアのジープと、4人の兵士だった。「アル−ハンドゥ−リラ!(神よ誉め給え)って言葉が口をついて出たよ」という。仕事への熱中が、悲惨な結果を呼んでいった。「(現場で撮影した)ビデオで、自分の仕事を見るのが好きだね−−面白いのは、爆破したあとで、やつらが度肝を抜かれて逃げ回るところさ」

イードはうれしげにいくつかの品物を見せてくれた。「簡単なんだよ。籠一杯の爆発性ゼラチン、信管、電池、携帯無線機一組、からのプラスチックボトル、ナット、くぎ、ボルトがあればいいんだ」わたしは15キロもの爆発物からわずか数センチのところに近づき、写真を撮った。爆弾はものの5分で出来上がったが、彼の少し震える声が危険を示しているようだった。「ここが大事なところなんだ。これからテープを使って、二本のワイヤを結びつける。そうすると、信管に繋がるんだ」

祈り、ジハードを語ってはいるが、サイードは爆弾作りで金を受け取る。一度につき300ドル(3万円程度)。これにはパーツ代と危険の代価が含まれている。敵が来る前にたった一つでも爆弾が爆発すれば、彼はロシアの特殊部隊に殺されるだろう。彼にとっては、死より、捕まって拷問されることのほうが怖い。物理的な拷問も、性的な拷問もある。それでもやりとおすという。彼は毎晩、違う場所で眠る。

チェチェンでは、どこにでも地雷が埋まっている。「どこに地雷があるかなんか、わかるもんか。埋めたのがこっち側なのか、敵さんなのかだってわからないさ」と、ロシア工兵隊のニコライ・マルチューノフ少佐(仮名)は言う。ウルスマルタン地区の地図は、地雷のマークで真っ黒になっている。「山の中に行くと、もっとひどいぞ」公式には、マルチューノフは陸軍の兵士たちに地雷処理教育をしていることになっている。実際には、サイードのライバルだ。彼はいろいろな材料から地雷を作り出す。そしてどこにでも埋める。チェチェン戦士たちは、10万ドルを彼の首にかけている。彼はときどき一人で山に入って、森の中で数日を過ごす。

「チェスみたいなものだな。どこに足を置くか、どう這うか、誰かの足跡はないか? ボーっとしていると、死ぬんだ」「一歩動くだけで恐ろしいと、われわれが感じるように、チェチェン人たちは仕向けてくるんだ。道路の地雷、町の地雷、村の地雷。こっちは、山にあるパルチザンたちのけもの道に地雷をしかける。あそこにやつらがいて、武器庫があるんだ」

だが、この決闘は無関係な被害者を生む。17歳のゼリムハン・エルタミロフは、9歳のときに両手と眼を失った。バイクをしまってある納屋の扉に、ブービートラップが仕掛けられていたのだ。14歳のハバシュ・マゴマドフは、家畜を追っている最中に地雷を踏んだ。彼の父が言うには、「本当のチェチェン男の振る舞いだった」という。ハバシュは助けを求めて馬に乗って駆けたのだった。足は結局、切断された。チェチェンは世界でもっとも地雷に汚染された地域だ。2002年、国連の子どもと武力紛争に関する特別代表は、1万人以上の人々が地雷の被害を受け、そのうち半分は子どもだ発表した。

マルチューノフ自身も、チェチェン側の仕掛けた地雷で足に重傷を負っているので、何かにさわろうとすると、すぐ警告する。ビデオテープ、タバコ入れ、ラジオ、ライター。だが警告は、アイセット・マハマーエワにとっては遅かった。彼女の母親がストーブに火を入れるマッチをなくしたときに、この少女は拾ってきたライターを使ってみたのだ。そのとき、眼と両手を失った。

地雷はロシア兵が立小便をする場所に仕掛けられることあり、バスの停留所に仕掛けられることもあり、納屋に仕掛けられることもある。子どもにとっては、安心して遊べるところはない。そして、チェチェンでは子どもたちが殺人者に変わって行く。

The Chechen making this bomb is an explosives mastermind who kills for a living --and he's only 18
http://www.timesonline.co.uk/newspaper/0,,176-1647180,00.html