メディアの中のチェチェン、あるいは一つの国に対するダブルスタンダード

今日のロシアにはチェチェンに対するダブルスタンダードが存在する。一つは、チェチェンを何一つ特別なことの起こっていないロシアの一地域として扱うもの。もう一つが、チェチェンを血にまみれた異世界としてロシアから切り離して語るもの。一見正反対に見えるこの2つのステレオタイプは、実際には同じ意図によって組み立てられている。それは、チェチェンがいかなる意味でも注目に値する場所ではないと、人々に思わせておくことだ。

2006年2月6日、プラハ・ウォッチドッグ/Karel Trepes

http://www.watchdog.cz/?show=000000-000003-000001-000021&lang=1

ロシアのメディアおよびチェチェンに対するロシアのメディアの扱いを見ていると、映画こそが最良のプロパガンダ手段であるというレーニンの助言をクレムリンが採用している理由がよく解る。けれども、21世紀の今日ではテレビもまた似たような役割を果たしている。ロシアの活字メディア―特にテレビよりもずっと見る人の少ないお高い週刊誌―は、国営のテレビ局よりは遥かにリベラルである。

とはいえ、北コーカサスの日常生活というものに焦点を当ててみると、かなりの程度チェチェンに対するロシアの世論に決定力を及ぼしている2つのステレオタイプが広まっていることが解る。それはまず、チェチェンにおける出来事を、何一つ特別なことの起こったことがないロシア連邦のまったく普通の一地域として描き出すものである。例えば、ズベルバンク*1の支店がグデルメス*2に開かれたという去年のニュースや、チェチェンの民族伝承グループがロシア全土を回るときに乗っていた「友情電車」に対する継続的な報道などがそれに当たる。けれども、定期的にニュースを読んでいると気づくことがある。それは、(その間にも)親ロシア政権のチェチェン首相セルゲイ・アブラーモフが、モスクワ近郊で自動車事故に遭っていたということだ。

だが、チェチェンに対するこの手の報道は、チェチェン第一副首相のラマザン・カディーロフの「ヤンキーたち」が手がけている骨の折れる仕事に関するうんざりした話など―ときたま流される、テロリストの襲撃によるロシア軍兵士の死、昨年ロシア連邦軍によって殺害されたチェチェン独立派大統領アスランマスハードフの血まみれの遺体の写真―とは、まったく対照的でさえある。

けれども、このチェチェンの「裏側」は、大部分のロシアのメディアにおいて現在起こっている公式な出来事とは直接結びつけられていない。それはまるで異なる惑星について話しているようなものである。昨年ロシアの国営テレビが北コーカサスで行われている誘拐に関する調査報告を行った際に、誘拐の一部が間違いなくカディーロフ一派の仕業であることをほのめかす台詞はまったくなかった。報告によると、すべての誘拐を行っているのは地下組織と国際テロリストであるという。

ロシアのテレビの中の議会選挙

「2つのチェチェン」像を作り出そうというメディアの傾向は、2005年11月27日に実施されたチェチェン議会選挙に関する報道の中でも明らかだ。その一週間を通じて、あらゆるロシアの国営テレビ番組は、親クレムリンである統一ロシア党のキャンペーンに関して選挙特集を行った。テレビが現チェチェン当局を売り出すために放送した別の話題の中には、第一副首相ラムザン・カディーロフの息子が誕生したというものがあった。まるで王子が生まれたかのように喜び、歓喜する父親を祝福するグローズヌイの市民をテレビの中に見ることもできた。

もっとも興味深いプロパガンダの例が、ロシア公共テレビによる11月23日の番組だ。番組を見た人は、チェチェン独立派司令官であり故マスハードフ大統領の支持者であるヒジル・ハチュカーエフが、チェチェン人に対して武器を捨て投票所に行くよう訴えている姿を見ることができただろう。ハチュカーエフ司令官は1994年からロシアに抵抗して戦ってきた人物で、ロシア情報機関は幾度も彼の死を報告している。その彼が今やオスタンキノ・タワー*3のテレビの前でコメンテーターと語っているのだった。今日なおテロリストと呼ばれているこの人物が、どうやってモスクワの中心まで辿り着くことができたのか?その答えはごく簡単だ。記者はただこう推測すればよいだろう。彼は本物のハチュカーエフではないか、彼の安全がラマザン・カディーロフによって個人的に保証されているのだと。

選挙当日、主要なテレビ局は、投票が始まり、それが問題なく進行していくことを報道することに重点を置いていた。夜のテレビニュースでは、カディーロフやモスクワの傀儡であるチェチェン大統領アル・アルハーノフらチェチェン政府関係者が投票したシーンが流されていた。ときたま投票にやって来た疲れた様子のチェチェン人たちが映されることもあったが、当然のことながら彼らに対して、誰にどのような理由で投票したのかを問いかけようとする番組はなかった。ほんのわずかな解説の中で、選挙前のポスターが連なっている投票所の回りにある銃痕だらけの建物が映し出されていたが、チェチェン人自身がこの選挙に何を期待しているのかということは、いくらテレビを見ていても解るはずがなかった。

翌日のテレビニュースは、投票数がいくらであったかということや、有権者投票率が高かったこと、選挙が首尾よく終了したことについてのクレムリンのご満悦な様子ばかりを報道していた。けれども、選挙に果たして意味があったのか、チェチェン共和国の状況はこれによって改善されるのか、それともより悪化するのか、といった分析が視聴者に対して提示されることは決してなかった。代わりに番組では、選挙が円滑に行われたことに対してアルハーノフに電話で礼をいうプーチン大統領が映されていた。

無難な範囲でリベラルな週刊誌

選挙の前、日刊紙―主に「無法な」コメルサント紙―*4と他の週刊誌は、テレビニュースと比べて偏りが少なく、選挙に対して懐疑的だった。例えば、ロシア版ニューズウィークは、前チェチェン独立派防衛大臣マゴメッド・ハンビーエフを候補に擁していた右派連合(SPS)について集中的に報道を行った。しかし、私が『論拠と事実』*5に議論を呼び起こすために書いた記事は以下のものだった。―選挙結果は選挙の前に決定しており、議会のメンバーの仕事はただ一つ、2006年のうちにラマザン・カディーロフを大統領にするためにチェチェン憲法を制定することである―

けれども、ロシアこそがチェチェンの状況を決定する権利を持っているということや、選挙の正当性に関してさえ、疑問をさし挟む人は誰もいない。人権活動家は、選挙準備キャンペーンに先行した唯一の議論は小型軽機関銃の問題でしかなかったこと―しかしそもそも戦時下の選挙自体が違法であること―を主張したが、いつものように、彼らの声はロシアのメディアに黙殺された。興味を持っていさえすれば誰でもインターネットや人権活動団体のウェブサイトを通じてそれを見ることができたのだが(一般の人々は興味を持つ以前に彼らの主張を知らされることさえなかった)。

ロシアの新聞記者たちは、退屈そうに疑いの目を向けながらも、結局はクレムリンによるチェチェン投票ゲームを受け入れてしまったのだ。「有権者よりも投票数が多いチェチェンの選挙」と選挙の翌日イズベスチア*6は謳った。コメルサントは「有権者を無視して投票されたチェチェン議会」と報道した。「音楽をかけながら選出されたチェチェン議会」と発表したのはネザヴィシマジャ・ガゼータだ。経済記事を中心とした新聞ヴェドモスティでさえ「昼食前に選出された議会」と評している。これらの日刊紙は、高かったらしい投票率について指摘し、選挙の有効投票率を25%以上と明記した選挙委員会の張り紙が、日曜日の昼の時点で投票箱に貼られていたことを付け加えている。

しかしながら、モスクワの日刊紙は投票の違法性について疑いを投げかけるまでには到っていない。実際、チェチェン議会選挙に関するニュースが一面に載らないことさえ珍しくはない。誰かの発言が引用されるとしても、それはまずカディーロフかアルハノフによるものである。というのも当然のことで、彼らは投票を終えた後、投票所でジャーナリストと数分間話をしているのだから。コメルサントはチェチェンから別の報告しているが、それは統一ロシア党を支持する有権者にインタビューを取ったものだった。またイズベスチアは、ドミトリー・オレスキンの分析―議会に入ったのが統一ロシアであろうと右派連合(SPS)であろうと共産主義者であろうとどうでもよいという考え―を紹介している。オレスキンの考えによると、それよりも重要なことは、チェチェン議会に新しく選出された58人のメンバーが個人的にラマザン・カディーロフ党だということである。

「平穏な国」としてのチェチェン

公式な結果は選挙の翌日にはまだ集計されていなかったが、統一ロシアとカディーロフの支持者がほとんどの票を得ることを疑う者はいなかった。まさにこうしたとき、チェチェン戦争はメディアという領域で進行しているのである。ロシア人の大多数はテレビによって国際情報を得ているので、プーチン政権は偶然国民がチェチェンについて理解してしまうという可能性を排除することができる。公式発表によると、チェチェンの状況はすでに正常化しているはずであり、満足した市民は自由に議会の議員を選出したのであり、いずれ民主主義も発展する、ということになっている。これはまさにテレビ局の放送が流している見解そのものである。

活字メディアは、無難な範囲でテレビよりは複雑なモザイクを描いてみせる。とはいえ、チェチェン抵抗勢力の右派の流れを受けたカフカスセンターのように、選挙を茶番として否定しはしない。活字メディアは、自分たちが薄氷の上を歩いていることを充分にわきまえているので、(政府やテレビによる)世論操作という最大の悪行を注意深く指摘することを物分かりよく諦めているというわけである。

ロシアの大衆は北コーカサスから10年間にも渡って血なまぐさい報道が送られてくることに飽き飽きしてしまっている。選挙は実際に平和の中で実施されたのであり、爆発と暴力のメリーゴーランドから抜け出せたのだというのが、世界中のテレビのニュースで流されるお決まりのフレーズになっている。けれども、このときテレビ局は、アルハーノフ大統領が投票所に車で向かっている道の途上で、爆弾処理隊が3つの爆発物を発見したことについて語っていない。選挙の2日後には、チェチェンの村で村長とその息子が、覆面をした男のグループによって撃たれている。だが、人々はそんなことにはほとんど気づかされることのないロシアのテレビで、「他のチェチェン」に関する報道を見るのに慣れきっている。そして、それはクレムリンにとってまったく都合のよいことなのである。

*1:貯蓄銀行。日本の郵便局のようなものでロシア国内の小さな村にも支店や支局がある。年金生活者の預金や公共料金の振り込みに利用されている。

*2:チェチェン共和国東部の町

*3:モスクワにある高さ540mのテレビ・ラジオ塔

*4:ロシアの経済日刊紙。政府に対して無難な批判をする記事が多い。

*5:ロシアの週間新聞紙

*6:ロシアの日刊紙