ザカーエフ:シャミーリ・バサーエフの死を語る
チェチェン独立派外相のアフメッド・ザカーエフは、7月10日、ラジオ・リバティのインタビューに応じて、シャミーリ・バサーエフの死について語った。対ロシア最強硬派野戦司令官の死がチェチェン情勢の行く末に様々な憶測を生む中で、ザカーエフは彼の死によって変わるものなど何もないと述べている。なぜなら、ロシア当局の中に問題の政治的解決を求める意思が生まれない限り、18世紀から続くチェチェン独立戦争の歴史に終止符が打たれることはないからだ・・・。
ラジオ・リバティ
http://rferl.org/featuresarticle/2006/07/1D173EFD-6C69-4991-9084-7DB1FF71953C.html
2006年7月10日 プラハ
ラジオ・リバティ:
プーチンや(クレムリン傀儡政権の代表であるアル・)アルハーノフは、バサーエフの死がチェチェン紛争を制御する上で新たな局面をもたらしたこと、そして、バサーエフが極めて激しい憎悪の対象であったために、もはや多くの問題が解決してしまったということを、本日表明しました。バサーエフの死は、チェチェンの武装抵抗運動にどのような影響を与えていくのでしょうか?どんな変化がもたらされるのでしょうか?
アフメッド・ザカーエフ:
何も変わりません。もしも何かが変わるのだとすれば、それは個性というものの変化にすぎません。本質的に、状況は変わっていないのです。私たちの紛争は、私たちの武装闘争は、何百年も続いてきた歴史の中にあります。けれど、ロシアのプロパガンダ、特に軍部のプロパガンダは、この紛争の本質を特定の人物の個性によって説明することが見当違いであるにもかかわらず、こうした問題をつねに個人の責任に押しつけようとしてきました。
チェチェンの人々は、チェチェンの独立、国家としてのチェチェンという理想を抱いている人々です。というよりも、むしろこうした理想の中心にいるのがチェチェンの人々で、いつの時代でも指導者たちはその理想の担い手になっているのです。ですから、今日変わったことなど何もありません。同じような状況の変化は、(チェチェン初代大統領の)ジョハール・ドゥダーエフが(1996年に)殺されたときにも、(チェチェン元大統領のアスラン・)マスハドフが(2005年に)殺されたときにもありました。またそれが繰り返されただけです。
けれども、すべての始まりは、(18世紀に現れたチェチェン独立戦士である)シェイク・マンスールに遡ります。当時の(訳注:ロシアの)将軍や軍部も、この問題を直接各個人の問題と結びつけ、独立運動の指導者たちを消すことで政治的問題を解決しようとしました。ですが、そんなことは完全に不可能なのです。なぜなら、こうした人々は抵抗運動の核ではないからです。抵抗運動の真の核は、チェチェンの国民です。1人や2人、あるいは10人の死によっても、状況は変わらないと、私は確信しています。この戦争の中ですでに25万人の命が失われましたが、今も紛争は続いていますし、ロシア軍部の中にこの紛争を政治的な手段によって解決しようとする政治的意思が芽生えない限り、今後も紛争は続くでしょう。互いに受け入れ可能な合意が達成されて初めて、私たちはロシアとチェチェンの長期にわたる安定した平和について語ることができるのですから。