「イムラン基金」活動報告

2000年にチェチェン戦争で被弾したチェチェン難民の少年イムランの頭蓋骨修復手術を日本で行うため、2006年4月15日より「イムラン基金」として本格的に活動を展開してきました。そして去る7月28日に念願の来日手術成功にまでたどり着くことができました。皆さんへの深い感謝の気持ちと共にイムラン基金の活動報告をしたいと思います。
イムランと私が最初に出会ったのは2004年11月のことで、私がバクーのチェチェン難民子どもセンターを訪問した時でした。その際にイムランの頭部に弾丸の破片が残っていると聞きましたが、特に知的障害も運動障害も残っていないので、この時点では怪我のことには気がつきませんでした。それから数ヵ月後、イムランに手術が必要であると聞き、私の生まれ育った青森県弘前市にある弘前大学医学部附属病院の大熊洋揮教授や現地の国連職員の方々に相談し、日本での手術の可能性を確認したうえで、6月にバクーへと再渡航しました。私はイムランを検査に連れていき、そのデータを大熊教授へ送りました。

イムランの頭蓋骨には4×4.5センチの穴が開いたままでした。これは被弾したときに砕けてしまった骨を手術で取り除き、骨を補修しなかったからなのですが、この部分の脳の脈動する様子が目で確認できるくらい皮膚も薄くなっていました。障害は残っていなくても、この欠損部を放って置いて何らかの衝撃が頭に加わると万が一の事態に陥りかねません。

日本で手術を!と思う反面、私は募金活動を日本で展開することの重みを感じていました。イムランを助けたいなら自分の力でなんとかすればいいのですし、募金活動をすることの責任はとても大きいのですから。そんな風に悩んでいたとき、私は大熊先生に電話で、「ロシアでイムランの手術はできないのでしょうか。」とやや強い口調で尋ねました。内心「はい、出来ますよ。」という返事を期待していたのですが、先生はご自身がロシアの医療現場を訪ねてきた経験から「(脈動している部分は)皮も薄くなっているし、ロシアの医療水準ではなんとも言えません。日本だったら大丈夫だと言えますが。」そう言って、私に日本での手術を勧めてくださいました。周囲からの現実的な意見を目の当たりにし不安になっていた時、大熊先生は無謀な私の計画を後押ししてくださいました。

その頃、もはやイムランの命は私にとってどうでもいい命ではなくなっていたのです。ただ手術をすればいいのではなく、安全に手術を受けさせてあげたいと思いました。そしてイムランが被弾して奇跡の生還を果たし今日に至るまでに背負ってきた中での苦労や、今後イムランが手術を受けなかったがために起こり得る最悪の事態に際して私に襲い掛かる後悔に比べたら、募金キャンペーンで私に圧し掛かる重圧や苦労などとても小さなことなのです。

今年の春、親を始めとして何人かに相談しましたが、結局協力が得られなかったのは考えの甘い私をとても支えられないという当然の理由からでした。事務局もない状況で募金活動を開始せざるを得ませんでしたが、4月15日、青森県の地方紙に「イムラン基金」が掲載されたところから募金活動が始まりました。6月まで募金はなかなか集まりませんでしたが、外国からでは宣伝が困難であると思い、資金も不足した状態で来日決定をして来日の準備だけはしていました。その決定を受けて、来日が近づくに連れてマスコミに盛んに取り上げていただき、来日してからは私のほうが驚いてしまうくらいに報道してくださいました。街頭募金を一切しないつもりだった私にとって、成功の鍵を握っているのはマスコミでした。

イムランは私の母校、東小学校でチェチェン・ダンスを披露、子どもたちだけでなくテレビを通して多くの方々にその様子を見ていただきました。チェチェン文化や難民、戦争のことを知ってもらう、それもまたイムラン基金の活動目的のひとつでした。さらに日本の医療支援や国際貢献への可能性の提案、それも重要な活動目的でした。イムランの手術成功のニュースは私たちだけでなく見守ってくださった多くの方々にとって嬉しいものだったに違いありません。

手術前、「後で会おうね。」と言って笑顔で見送った私も、手術後に回復室に通されて、苦しそうなイムランを目にしたときにはとても心が痛くなりました。苦しそうに眠るイムランに「イムランのお蔭で私は(長く帰らないつもりだった)故郷に帰ることができたし、(剰余金で)他のチェチェンの子どもたちも助けることができるんだよ。よく頑張ったね。ありがとう。」と私は言いました。翌日にはイムランも食欲がでて、歩行もできるようになり、翌々日には手術前よりも元気になりました。

イムランは8月15日に退院し、18日に家族の待つバクーへと旅立ちました。イムランも私も温かく迎えられ、見守っていただき、祝福されて、入院中もとても励まされていました。皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さんからの善意を今度は戦争の続くチェチェンで医療支援に役立てていきます。チェチェン人医師ハッサン・バイエフが代表を務める「チェチェンの子ども達国際委員会」はチェチェンで医療支援を行っています。私が実際にその活動に参加し、現地に出向き、皆さんにチェチェンの医療事情やどのように皆さんの善意を役立てたか報告をしていきたいと思っています。私一人ではイムラン一人だけでしたが、皆さんが力を貸してくださったので、これからはより多くの人々を助けていくことができそうです。本当にありがとうございました。

イムラン来日手術報告をHPで写真と一緒にご覧ください。

イムラン基金 菊池 由希子
http://www.geocities.jp/imran_fund/