アンナ・ポリトコフスカヤ追悼 石川逸子

                   

アンナ あなたによってチェチェン
チェチェンの惨を知った


潰されてしまった グローズヌイの町 コムソモーリスコエ村を
鳥もさえずらない ドゥバ・ユルトの村を
ロシア連邦軍の懲罰作戦の餌食になった マフケティ村
明け方にふいに連行され 穴牢に放りこまれて十二日
引き出されるや体に電流を通された ロジータのことを
白い雪のなか 銃殺され焼かれた ツォツァン・ユルトの若者を
裂かれた枕 小麦袋 持ち去られたジャガイモ 赤ん坊の服 絨毯 
墓地から盗まれた 遺体用の担架 スコップ
糞便で汚された 神聖なモスクのことを 


アンナ あなたのペンは書いた  
子どもたちがただ 家にいられるために
大金をさしださねばならなかった親たちのことを
長身だっただけで逮捕され
行方しらずになったゴイティ村の若者イムランのことを
家族から金だけせびり取って 行方不明者を探しもせず
モスクワに帰っていってしまう将校たち
軍内部の強盗行為によって殺された 十九歳の兵士ダニーラのことも


アンナ あなたはまた 称えた
設備すべてを壊されたなかで 
なお 全力を尽くしている チェチェンの医師たち 
廃墟に住んで 詩をかきつづける脊椎障害の女詩人
空爆に放置された老人ホームの老人たち八十九人をすくいだした
マゴメド・ヤンジーエフ大佐の勇気 出世などつゆ望まぬ精神を


アンナ あなたは探り そして臆することなく書いた
チェチェンのはてしない惨劇
惨劇をほしがっているものたちの欲望を
モスクワの雪のなか「冷血の時代」のなかで


「私たちは二〇〇三年を生き抜けるのだろうか?」
と問うたアンナはもういない
いくども殺されかかり 不死鳥のようによみがえったあなたは
二〇〇六年十月七日、
自宅アパートのエレベーター内で 撃たれ 命絶たれた


武器一つもっていないたった一人の女性が
権力の皮をかぶった強盗たちはそんなにも怖かったのか
たった一本のペンをそんなにも怖れたのか


アンナ あなたの死は告げる
あなたの著書が真実であり 核心にせまっていたことを
アンナ あなたの死は告げる
ペンの強さを ペンの力を


アンナ・ポリトコフスカヤ
あなたの限りない勇気 
歴史の闇のなかに消されていってしまうものたちへの
あなたの深い愛に
小さな島の片隅から哀悼の花束をささげます 


アンナ・ポリトコフスカヤ著『チェチェンやめられない戦争』(NHK出版)参照

石川逸子さんの著作:
http://www.junkudo.co.jp/view2.jsp?VIEW=author&ARGS=%90%CE%90%EC%81%40%88%ED%8Eq