欧州人権裁判所:チェチェンでの殺害でロシアに有罪判決

原文:http://news.independent.co.uk/europe/article2692483.ece
[The Independent 6/22]

 外交部門編集長、アン・ペンキス
 2007年6月22日

 欧州人権裁判所は、チェチェンの人権活動家とその家族が、ロシア語を話す「国家の代理人」によって頭部を撃たれて死亡した超法規的殺人事件について、ロシア当局の責任を認める判決を下した。

 昨日の判決―ロシアに対する一連の有罪判決の中でもっとも最近の判決―は、チェチェンにおける凄まじい人権侵害に関するロシア政府の責任を問い、ロシア政府に8万5000ユーロ(5万7000ドル)の賠償金を遺族に支払うことを命じるものとなった。


 「ロシア兵士の母親委員会」のメンバーで、チェチェンの優れた反戦活動家でもあったズーラ・シャラニエヴナ・ビティエヴァは、当局によって2000年に一ヶ月間収容されていたが、その際に拷問を受けたとして、欧州人権裁判所に訴えを起こしていた。3年後―裁判の係争中―、覆面をした男たちが彼女の自宅を早朝に襲撃し、兄弟と息子もろとも彼女を殺害した。

 その後、ビティエヴァの娘が母親の殺害について欧州裁判所に訴えを起こすが、彼女自身も当局によって嫌がらせを受けるようになった。

 事件の始まりは、ズーラ・ビティエヴァと息子のイドリスが、2000年1月にパスポート・チェックのために地方の警察署に出頭するよう命じられたことだった。警官は彼らを帰宅させる代わりに、「二度と生きては出られない」と看守が脅迫するチェルノコゾボの収容所に送還されたのだった。アムネスティ・インターナショナルによると、チェルノコゾボ収容所は選別収容所(フィルターラーゲリー)と呼ばれており、女性と子どもに対する拷問とレイプで極めて悪評の高い収容所である。

 証言によれば、ビティエヴァは収容中に銃身で殴られ、彼女自身、被収容者が殴られるのを目撃してもいる。彼女は治療を求めるが当局に拒否されて、その後、病気になり入院を希望していた。2000年2月、彼女にかけられていたすべての容疑は晴れた。

 判決は、「法の支配が貫徹している状況では、一定以上の長期間にわたって、責任者が不在の違法な収容所で、個人が自由を奪われることは到底許されない」としている。

 「こうした状況によって、あらゆる種類の権利の乱用が罰せられない風潮が蔓延している」

 法廷では、2003年5月21日に、迷彩服を着て覆面をした11人の男たちが、ナンバープレートのない車に乗って、ビティエヴァの家に午前3時半―彼女の村の道路が軍隊によって封鎖されている時間帯―にやってきたという証言が挙げられた。

 彼らはビティエヴァの口をテープで塞ぎ、彼女の両手を縛った状態で、彼女の顔面と手を撃った。

 証言によると、彼女の夫と兄弟、息子も両手を縛られ、一人はフードをかぶせられて、全員が後頭部を撃たれたという。ビティエヴァの娘ともう一人の息子は、運よく肘掛け椅子の陰に隠れて殺人者から逃れることができた。

 判決は、殺人者の手口―パスポートのチェックや、被収容者の頭にフードをかぶせることや、処刑の方法など―について目撃者の証言を総合して、ロシア軍が殺害の背後にいるという結論を出している。ロシアは三ヶ月以内に控訴することができる。

 欧州人権裁判所では、数十件もの類似の事件が現在係争中である。けれども、人権団体が危惧しているのは、欧州人権裁判所に訴え出たことへの報復―嫌がらせから殺害の脅迫まで―を怖れて、チェチェン人の遺族たちが法廷に訴えられずにいるのではないかということだ。

 今回の事件では、ロシアの人権団体メモリアルと欧州の人権推進センターが原告の代理人になっていた。センターの代表、フィリップ・リーチは、判決によって「ロシア当局がチェチェンでより広範な人権侵害をしていることが注目され」、チェチェン共和国で起こっている包括的な人権侵害に対して独立した国際的な調査を行う必要性が強まった、と語っている。

 チェチェンでは、1994年のロシアに対する最初の独立戦争以降、推定10万人が死亡したといわれている。人権団体は、チェチェンにおける大量の失踪事件についても報告しており、親ロシア派チェチェン治安当局とロシア軍を糾弾している。