モスク立てこもり事件について

ootomi2007-07-13


 まるでベスランの再来だ、と思った。パキスタンの首都イスラマバードのモスク(ラル・マスジッド)に武装した神学生が立てこもっていた事件で、10日、軍が強行突入して「掃討作戦」を行い、100人を超える人々が死亡した。

 私はパキスタンのことはあまり詳しく知らないので、これから書くことはもしかすると的外れなのかもしれないけれど、連日の報道を見ながら考えたことを書き留めてみようと思う。


 今回のイスラマバード・モスク立てこもり事件と、2004年のベスラン学校占拠事件には、以下のような共通点がある。

(1) 当局による徹底した情報統制
(2) 当局が対話を拒絶し、強行突入に踏み切ったこと
(3) (1),(2)の措置が「対テロ戦争」という文脈で国内外で評価ないし黙認されること

当局による情報統制

 まず、(1) 当局による徹底した情報統制について。非常事態であることを差し引いても、パキスタン当局の発表にはあまりにも不審な点が多い。軍報道官は、「3日に籠城戦が始まってからの死者は約110人」[時事通信 7/13]と発表したが、その後、「理由は明らかにし」ないまま、死者を75人に下方修正している[読売新聞 7/13]。一方、「地元アージTVは独自集計で死者は285人に上る見通しと報じた」[四国新聞社 7/12]

 上記の四国新聞社の記事、「『人質』危機あおる誇張/パキスタン政府に疑惑の目」には、政府が強行突入を正当化するために、「武装グループが女性や子どもを『人間の盾』にした」という誇張を行ったのではないかという分析がある。「12日付ニューズ紙によると、治安部隊に“救出”された女性はいずれも、人質に取られたとの認識がない。殺害された神学生らを『殉教者』と呼び、モスクに戻り死者を祝福させてほしいと懇願したという」[四国新聞社 7/12]

 朝日新聞も同様の見方をし、さらにモスクの武装化を政府が意図的に見逃していたという地元記者の声を紹介している。

 「学生たちが神学校とモスクで籠城(ろうじょう)を始めたのは、3日に治安当局と銃撃戦を繰り広げた後だった。人数について、政府は5日の段階で『1000人前後とみられる』(タリク副情報相)と説明した。制圧後も政府は正式な人数を明らかにしていないが、実際にはその半分以下だった可能性が高い」

 「政府は、『過激派が女子学生と子どもを人質にしている』と非難してきたが、この消息筋は強く否定した。国軍が突入時に『救出した』と発表した女子学生らは、実際は『自分たちは人質だった』という認識がなかったとの情報もある」

 「今秋以降には大統領選や総選挙を控えている。ムシャラフ政権への求心力が低下するなか、事件を奇貨として『テロと戦う強い大統領』のイメージを作り上げ、任期の切れる11月以降も続投を狙っているのではないかとの憶測が強まっている」[朝日新聞 7/12]

 東京新聞は、「事件発生時、モスクやマドラサ内には千人近い女子学生や子どもがいたとみられているが、軍報道官は武装学生と軍兵士以外の犠牲者の有無は公表せず、安否が懸念されている」[東京新聞 7/11]と報じているが、人質と神学生を明確に区別することができなかったのだとすれば、当局の曖昧な態度にも納得がいく。

 東京新聞はさらに踏み込んで、「ムシャラフ大統領が、過激派問題に国民や国際社会の関心をそらすために事件を仕組んだ―との陰謀説」を紹介している。「対テロ戦争」を推進することで、軍人大統領としての指導力を強化し、「民間放送局の免許停止などを盛り込んだテレビメディア規制の導入」といった強権的な政策運営を続けられるという目論見だ。

 なんだかあまりにロシアの状況と似すぎている・・・。

当局による対話の拒絶と強行突入

 次に、(2) 当局が対話を拒絶し、強行突入に踏み切ったことについて。そもそも、モスクに立てこもった神学生たちは何を求めていたのだろうか?単に私が見落としているだけなのかもしれないが、肝心なこの点がどの新聞を読んでもわからない。

 政府側とモスク側のガジ師の間には、11時間の交渉が持たれ、政府が「同師を母親と一緒に自宅軟禁下に置く代わりに、投降することを求め」、ガジ師が「過激派や神学生全員への恩赦を求めたため」、特殊部隊が作戦を開始した[産経新聞 7/10]とされている。けれども、彼らは恩赦を求めるために立てこもったわけではなく(最初から立てこもりをしなければ恩赦を求める必要もない)、立てこもりをするにいたった本来の理由があるはずではないだろうか?

 ムシャラフ大統領は、「女性や子供の救出のため突入は不可避だった」と述べ、作戦の正当性を強調している。けれど、そもそもモスク側の要求が明らかにされていないとすれば、軍による強行突入が不可避だったかそうでなかったかを誰が判断できるというのだろう。とりわけ、当局以外の人々が。

対テロ戦争」という虚構

 最後に、(3) (1),(2)の措置が「対テロ戦争」という文脈で国内外で評価ないし黙認されることについて。

 「パキスタンイスラマバードで続くイスラム神学生らのモスクろう城事件で、『投降か死か』を迫るムシャラフ大統領の強硬姿勢が、市民から多くの支持を得ている」[毎日新聞 7/9]

 「ブッシュ米大統領は十日の声明で、パキスタンの首都イスラマバードの立てこもり事件に関して、治安部隊を突入させたムシャラフ大統領の対応を支持した」

 「ブッシュ大統領ムシャラフ大統領を『過激派と戦う強い同盟者』と称賛。パキスタンの民主主義を確かなものにするために、今後もムシャラフ大統領と協力していく考えを示した。また米国務省のケーシー副報道官も同日、今回の事件対応について『パキスタン政府は責任ある方法を進めた』と評価した」[東京新聞 7/11]

 もはやお馴染みになってしまった「対テロ戦争」という虚構。今回の「掃討作戦」について、日本政府はもちろん、欧米各国もムシャラフ大統領を非難しようとはしていない。それは、簡単に言ってしまえば、当局に過激派と見なされた人間は殺されても仕方ないと、私たちが思っているということだ。

 神学生がモスクに立てこもったのは7月3日、治安部隊による強行突入はその一週間後の7月10日だった。この空白の一週間が意味することは明らかだと思う。ムシャラフ大統領は、強行突入をほのめかしつつ、国際社会が非難と沈黙のどちらを選ぶかを試していたのだ。そして、彼は正しい結論を得た。

 私たちは、彼らを過激派に仕立て上げたものの正体を知ることなく、こうしたニュースを日々消費している・・・。(邦枝律)