イングーシにおける紛争の根源を探る

ファティマ・トリソーワ

 イングーシ共和国は、今日紛れもなく戦時下に置かれている。第一に、不吉なことに、ロシア政府はイングーシを対テロ作戦地域に指定した―ロシア政府は二度のチェチェン戦争を公式にはいまだに「対テロ作戦」と呼んでいる―。第二に、軍隊と治安当局者がイングーシに増援されることになった。第三に、イングーシでは、武装勢力だけでなく民間人が死傷する武力衝突が頻繁に起こっており、さらに強制失踪も各地で発生するようになっている。

 一方で、イングーシ共和国から発信される情報は―ロシアのメディアがそれを伝えているのだが―現状を正しく報道しておらず、政府の利益に沿う形で真実が故意に歪められている。イングーシの現状について広く流布している有力な仮説は、共和国内でいわゆる「第二のチェチェン化」が進行しているというものである。「公式見解」によると、イングーシの敵対勢力は、アルカイダのテロリストが組織し、チェチェン独立派地下勢力が支援と直接関与をしているという。「準公式見解」によると、現在の緊迫した情勢は、ラムザン・カディーロフがイングーシとチェチェンを再統一しようとしていることに関係しているようである。イングーシの指導者が明らかに無力であり、ロシア連邦の増援部隊が送り込まれたという点から見ると、イングーシが、経験豊かな東の近隣国―不安定な地域を鎮圧し、安定化させてきたチェチェン―に要請を送るということもありうる。チェチェンがイングーシを平定することができれば、カディーロフが求めているバイナフ(訳注:チェチェン人とイングーシ人をまとめた呼び名で、「われわれ」「わが人々」という 意味)とイスラム指導者のイメージは向上するだろう。マガス(訳注:イングーシの首都)とモスクワの公式声明に見られる別の説明によると、一連の事態は、クレムリンに圧力をかけて、[イングーシ大統領ムラート]ジャジコフの権力を奪うために、反対勢力がこうした敵意を利用しているために起こっているとされる。

 一方、非公式な見解も広く流布している。その中には、最近の事件が「イングーシ国民を傷つけ、イングーシの若者を物理的に一掃するための治安当局の陰謀」であると主張するものまである。全体像の背後に「オセチアの後遺症」があるとする世論もある。短期に収束しながらも大量の血が流れることになった1992年の民族紛争(訳注:イングーシと北オセチアの間で係争中のプリゴロドヌイ地方を巡る紛争)は、10年以上を経て、なおオセチアとイングーシの関係を極度の緊張状態に置いているというわけだ。こうした仮説は、イングーシのインターネット・コミュニティで広がっている。

 今日のイングーシは、間違いなく多くの様々な問題をかかえている。けれども、イングーシで何が起こっているのかという問題に正確に答えるためには、矛盾を適切に整合しなければならない。そもそも、実際に非イングーシ市民を攻撃しているのは誰なのだろうか?治安当局と軍隊を攻撃しているのは?そして、治安当局が殺害しているのは本当にイスラム戦士だけなのだろうか?

 こうした問題に答えることは容易ではない。というのは、戦時下では、通常明らかなことも部分的に曖昧になり、殺人と軍事作戦を隔てる倫理的差異が消滅してしまうからである。例えば、最近の非イングーシ市民に対する殺害は、ゲリラの仕業であるように思われた。ゲリラたちは、コーカサスからロシア人を殲滅すると繰り返し述べてきたからである。ところが、今やロシア人だけでなく、他民族の人々まで殺害されるようになってきている。これによって、地下の独立派が関与している可能性は以前よりもはるかに低くなった。これは、3名のロシア軍将校が、ロシア人一家を殺害した疑いで逮捕され、その後釈放されてオセチアの別の部隊に異動してからは、とりわけ確実視されている。ロシアのメディアがこの事件を報道しようとしないことは、明らかにクレムリンの情報戦略に適っている。ロシア社会に対して、イングーシ・ゲリラが民族的・宗教的浄化を行っていると宣伝することで、軍隊による大規模な弾圧を見事に正当化しているのである。けれども、イングーシ共和国内では、ロシア治安当局が非イングーシ市民を殺害しているのではないかという疑いが広がっている。イングーシの警察官が最近の殺人事件へのロシア兵士の関与を調査しているという発表が行われた直後に、イングーシの警官が銃殺されたことで、こうした疑惑はいっそう深まっている。

 ロシア兵士や検察庁職員、内務省FSBの職員の殺害については、ゲリラが関与しているかどうかを判断するのは難しい。FSB内務省、GRU(訳注:ロシア連邦軍参謀本部情報総局)に属する多くのいわゆる「暗殺グループ」―流動性の高い秘密組織―は、指令を受けて、地下組織を支援または支持している疑いのある個人を物理的に抹消する際に、ゲリラを装うからである。こうした集団に関する情報は、ごく少数の政府高官が独占している。イングーシは対テロ作戦地域であるため、様々な権力組織からこうした集団が大量に送り込まれている。これによって、誰がゲリラで、誰が特定の個人を始末したFSBやGRU、内務省の人間であるかを判断するのは、殆ど不可能である。多くの政府機関が衝突を繰り返し、誰もが自分以外の誰もを疑っている。暴徒たちが治安当局者を装うこともあるからだ。

 オセチアという要素も無視することはできないし、それはただのでまかせというわけではない。ベスラン学校占拠事件以降、オセチアと国境を接する地域で大量の失踪事件が起きている。イングーシの人権活動家は、隣国には「Lesnyi bratia」(「森の兄弟」)と呼ばれるオセチアの復讐組織があると主張している。「森の兄弟」は、オセチアのあらゆる社会団体で構成され、北オセチア政府と保安機構からの支援を受けているとまで言われている。

 他方、治安当局者に対して頻繁に激しい攻撃が行われていることで、イングーシに強力な地下組織が実在するということに疑いを差し挟む余地は少なくなっている。ここで、地下組織が持っている情報や、組織がどのように編成されているのか、統一された指揮権があるのか、といった疑問が上がってくる。誰がそうした抵抗組織のメンバーになっているのかと言えば、現在のように危機的な状況が続いている中では、社会的・政治的地位に関わりなく、殆どすべてのイングーシ市民が現地政府に不満を持つべき理由を持っているということを考慮しなければならないだろう。

 イングーシは、ロシアの中で唯一、明確な国境線を持たない地域である。「共和国」という地位は、公式に宣言され、制定された境界線がない以上は、単なる虚構にすぎない。ここで問題になるのは、ヨシフ・スターリンがイングーシ民族を中央アジア強制移住させたときにオセチア編入されたプリゴロドヌイ地域だけではない。この地域は―イングーシ民族の家屋ごと―、フルシチョフの時代にイングーシ民族が帰還してからもオセチアの領土になっている。この未解決の問題が、1990年代初期の流血の引き金となり、今日にいたるまで対立の原因となっている。けれども、イングーシは西で領土を失っただけではない。多くの地域は、いまだに東のチェチェンと係争中なのである。統一されたチェチェン・イングーシ共和国を復興するという議論が絶えないのも、イングーシが完全に自主性を失っている可能性を示唆しているのかもしれない。チェチェンとイングーシの統一という問題に関して、イングーシとチェチェンの見解はまったく相反しており、イングーシでは明確な反対派が、チェチェンでは積極派が、それぞれ多数を占めている。領土の喪失はとりわけ2006年には痛手になった。この年、FSBはイングーシ市民にとって神聖な場所―Dzheriakh地区―を支配下に収めた。Dzheriakh地区は、ロシアの国境特別監視区域の幅25キロ以内の「国境」地帯にある。このように、イングーシはロシア連邦の中で最も高い人口増加率を示しているにもかかわらず、イングーシの領土は著しく狭められてきた。

 コーカサスでは、領土の喪失は、民族的・政治的アイデンティティの概念と切り離して語ることはできない。領土の喪失による対立は、民族の集団アイデンティティに関わり、近隣諸国とロシア全体に対する見方に影響する。他の民族集団に対して、より多くの権利と独立性が与えられているように思えるためである。ムラート・ジャジコフ大統領―支持率わずか10%の元FSB大佐であり、尊敬されていたルスラン・アウーシェフの代わりにイングーシの大統領にさせられた人物―が明らかに弱体であることも、状況をいっそう悪化させている。政府に正義がなく、政治的な変化によっても不正義が改まらないという根強い意識が、イングーシに現在の状況をもたらしている。

 クレムリンの主張とは裏腹に、ロシアが直面しているのは、イングーシに流入したアラブ人スパイが資金を投入している小規模な盗賊グループなどではない。一連の事件から伺えるのは、イングーシのほぼ全土に「地下組織」が存在するということである。実在する地下組織―ゲリラたち―は、2005年と2006年には、壊滅的な損失を被った。2005年には、Ilyes Gorchkhanov―イングーシの首長であり、つねにシャミーリ・バサーエフと緊密な連絡を取っていた人物―がナリチクで殺害された。2006年には、バサーエフ自身が、イングーシの多くの反乱指導者たちと共に殺された。ゲリラたちは指導者を失って混乱し、イングーシでの他の組織との連携は失われ、実質的な中央集権化も不可能だった。こうした状況にもかかわらず、抵抗組織は戦い続け、絶望した組織は彼らが自らの責務と考えることを行った。それは、軍隊や警察の車を吹き飛ばし、可能な限り多くの襲撃を実行することだった。

 モスクワが、メディアや分析者に気づかれない手段を講じたのはこのときだった。2006年、あらゆる政府機関と治安当局のコピーがイングーシ共和国内に作られたのである。簡単に言うと、イングーシの内務省FSB検察庁のオフィスには、共和国外の人員で埋め尽くされた、同様の組織がもう一つずつ存在する。ロシア政府のイングーシ当局に対する信用は、過去最低レベルにまで落ち込んだ。イングーシ社会が内部分裂を克服し、現地政府と保安当局の人員さえもが地下組織を支えることになったのは、こうした風変わりな状況のためである。ここ3ヶ月の情報によると、イングーシには、それぞれ別の武装OMON(民警特別部隊)が四つもあり、似たようないくつもの治安機関が地元市民を守るために連邦軍と対立しているという。

 平和的なデモが先週鎮圧された後、クレムリンは、イングーシの危機が解決されたと宣言した。この宣言は―上記のことを考える限り―まったく無責任極まりない。私たちは「解決」などされていないし、ロシアはすでにそうした「解決」をチェチェンで済ませているのだから。クレムリンが、チェチェン抵抗勢力を壊滅したと主張しても、戦争は北コーカサス全体に広がっているのだから。

原文: http://jamestown.org/chechnya_weekly/article.php?articleid=2373703