「フレンチ・ドリーム」を追うチェチェン難民
ポーランドにいる数千人のチェチェン難民のたった一つの夢は、西ヨーロッパにたどりつくことだ。とくに、2007年12月にシェンゲン協定エリアが拡大したフランスに行くこと。
「フランスに行きたいですね。ここにいる人はみんなそうですよ」と、40すぎのチェチェン人ルスランが言う。
ルスランはグロズヌイから、1ヶ月前にここに来た。ここはポーランドの首都ワルシャワの近くにあるDebakデバク難民センターだ。
「ここでは生きていかれません。フランスに行けば、サルコジ大統領はすぐにでも何かしてくれるのではないでしょうか?」と彼は言う。
デバクでは、多くのチェチェン人が彼と同じ夢を見ている。ポーランドがシェンゲン自由旅行地域に加わったことで、フランス行きは難しくなくなったと考えているのだ。
12月21日の深夜、15の古いシェンゲン協定加盟国と、新しく協定に加わった9つの旧共産国の間の国境が取り払われ、西側との交通が簡単になった。そのかわり、協定の外側の国境管理は強化されることになった。
「ほとんどの難民はコーカサス地域から、12月21日より前にポーランドに着きました。西ヨーロッパに簡単に移動できるようになるのではないかという期待と、ポーランドが東部国境を閉ざすかもしれない(チェチェン・ロシアからの受け入れを締め切る)という懸念からです」とデバク難民センターのワルデマール・ミコラスジューク副所長は言う。
「9月から10月にかけて、ほとんど毎日100人の難民が到着するようになって、12月の終わりにはそれが250人から300人にまでなりました」とも。それ以降は軽減している。
ミコラスジョーク副所長によれば、難民のほとんどはポーランドへの定着を望んでいない。
12月21日から1月7日にかけて、1,300人がポーランド各地の難民センターから去っていった。「ある日、このデバクセンターの点呼でも32人がいっせいにいなくなっていました。1月7日以来、479人がまた姿を消しているんです」
その多くは、西ヨーロッパへの経路上で逮捕されている。EUの法律では、難民は最初に入国した国でしか難民申請できないことになっているためだ−この場合はポーランドで。
ポーランドがシェンゲン地域に参加して以来、48人のチェチェン人がワルシャワとウィーンを結ぶ列車内で逮捕されている。
ほかに、ベルリン行きの列車でも59人の難民、うち子ども28人が拘束されている。難民達はみなフランス行きを望んでいる。フランスには大規模なチェチェンコミュニティーがあり、政府は手厚く処遇してくれると信じているからだ。
また数日後、子ども12人を含む28人の難民が、他の経路で国境を越えようとして逮捕された。
しかし最近、ポーランドを脱出する難民の数は減少しつつある。
「彼らは逃げたものの、目的地にたどりつけなかった人々から話を聞いたのです。閉鎖された西側の収容所にいきついた人もいました」と、副所長は語る。
ハミッドは、他の仲間と同じように、チェチェンから逃げてきた理由を「安全が守られないから」と語った。
チェチェンは、独立運動を弾圧するための、2度にわたるロシア軍の侵攻によって破壊されている。ロシア軍に対する小規模なゲリラ攻撃と、親ロシア・反ロシアのグループに分かれた衝突もたびたび繰り返されている。
9月にポーランドに来て以来、ハミッドは鉄道と徒歩でオーストリアに違法入国しようとした。
彼はポーランドに到着して、オーストリアの警察にコンタクトしたが、またポーランドに送り返された。
デバクに戻ってからは、二段ベットが詰め込まれた小さな部屋で寝起きしている。
壁には、手書きのモスクの絵と世界地図が貼りついている。ヨーロッパの国境は明細に描写されているが、チェチェンはといえばロシアの一部に埋もれている。窓の近くには祈りのためのじゅうたんが折りたたまれている。
ハミッドは、いまはポーランドの難民認定を期待している。
「私はポーランドに住みたいです。ここの人たちは私たちの境遇を理解してくれます。もし認定が取れなければ、フランスにいきたいです。あそこの人たちも親切だと聞いていますから」と。
Chechen refugees chase 'French dream' following Schengen expansion
Jan 24, 2008
http://afp.google.com/article/ALeqM5jmEJCfRqcBE_6Ao-OrsITwSfziKA