「私たちは怖れていない」 ノーヴァヤ・ガゼータ紙のコラムより

 殺人犯は、ノーヴァヤ・ガゼータのジャーナリスト、アナスターシア・バブーロワと、弁護士のスタニスラフ・マルケーロフの頭を後ろから撃った。彼が何かを怖れる理由はない。政治的な暗殺事件が裁判にかけられたことなどないからだ。

 スタニスラフ・マルケーロフは、とても例外的な弁護士だった。

 彼が弁護したのは、見通しの暗い、危険な事件ばかりだった。モスクワで、彼はチェチェンでの不法な処刑や虐待の犠牲者たちの利益のためにいつも働いていた。それに、ロシアのファシストグループに攻撃されるような案件にも関わった。

 国家によって屈辱を加えられたり、殺害されたりするような事件を弁護するのが、スタニスラフという人だった。私たちノーヴァヤ・ガゼータの友人であり、顧問弁護士でもあった。彼はアンナ・ポリトコフスカヤの記事の執筆にまつわる訴訟事件でも、代理人になっていた。2000年に殺された私たちの編集者、イゴール・ドミニコフの家族の代理人を務めたのも彼で、犯人と背後の黒幕を見つけ出して裁判を開始するように、国に要求を出しつづけていたが、犯人はまだ自由の身だ。
 私たちの新聞で働きたがっていたアナスターシア・バブーロワは、2008年の10月に仲間になったばかりだった。とくにロシアのネオナチグループの関わる犯罪についての記事を書こうとしていた。彼女がその職にあった時間は、あまりにも短い。

 言ってみれば、スタニスラフとアナスターシアは、この国のほとんどの人々に受け入れられないくらい、立派な人たちだった。ロシアを支配する者たちが、「この国の中で殺害してよし」の判決文を発行してしまうくらいに。

 この事件で犠牲になったのは、現在の体制に適合しようとしなかった二人だ。34歳の弁護士マルケーロフは、チェチェン人をロシア軍から守ろうとすると同時に、その兵士たちを腐りきった司令官たちから守ろうとした。政府がバックアップするネオナチに言うべきことを言い、刑務所に送られそうなアンチファシズムの活動家を弁護した。マルケーロフが守ろうとしたのは、ジャーナリストや人権活動家だけでなく、彼が権利のために働くことそのものだった。結果として、安全な柵の中のエリートになった仲間たちからは、のけ者にされても。

 25歳のナースチャ・バブーローワも同じように、アンチファシスト運動や異論派に属するロマンチックな抵抗者で、アナーキストだった。

 彼女はそこでは、水を得た魚のようだった。わざわざそういう人生を選んだのだ。権力や、ふつうの人ーートラブルに巻き込まれないようにし、目立たないようにこの時代を生き延びようとする人々の目には、ナースチャの選択も、好き好んでのけ者に身を落とすことでしかなかった。だから私たちの国では、彼女のように、暗殺の恐怖と闘いながらも死んでいったのは、わずか一部の人々ではある。スタニスラフとナースチャが撃たれた場所の目の前のビルで働いていた人々は、銃声が聞こえたときに、すぐに何が起こったかを理解した。だが恐ろしくて、外には出ようとしなかった。そのかわり、ガラス越しにじっと遺体を見ていたのだった。

 マルケーロフの殺人の動機は、ブダーノフ事件をはじめ、彼の関わった案件のどこにでも見つけられる。チェチェンの少女エリザ・クンガーエワを殺してなお刑務所から早期釈放されたブダーノフ元大佐に対して、彼は新しい事件を立件しようとしていた(前の裁判はエリザの殺害に対して10年の懲役を課したが、釈放されてしまったので、今度は殺害直前の強姦についての裁判を始めようとしたらしい:訳注)。過去に法廷に提出されていた証拠の中に、強姦についての資料があったので、勝算はあった。

 アンナ・ポリトコフスカヤを脅迫していたカンティーミンスク地区の民警官ラピンの上司たちが、今回の暗殺の背後にいる可能性もある。ラピンは、チェチェンの少年ゼリムハン・ムルダーロフを誘拐・虐待した咎で11年の刑を言い渡されていて、マルケーロフはその遺族の代理人も務めていた。ラピンの上にいた者たちもまた、こうした誘拐に関わっていた。数年前に逮捕状も発行されているが、彼らの居場所は誰も知らない。

 マルケロフを殺害する指示は、チェチェンから来たのかもしれない。彼と怖いもの知らずの仲間は、ラムザン・カディロフの村であるツェントロイに作られてチェチェン人たちの拷問や処刑に使われていた秘密収容所に関する立件にも関わっていたから。

 ポリトコフスカヤの暗殺以降、マルケロフは北コーカサスの事件に以前より深く関わることになったので、私たちはーーこの新聞の記者や、弁護士、人権活動家が、次に犠牲になることを予期せざるを得ない。アンナが殺された後、多くの人々が政権に対して、見解を明らかにし、明確な行動を取るように求めた。しかし実際に聞いたことは、よい答えだったとは言いがたい。その上19日に、私たちの損失のリストには、マルケーロフとバブーロワが加わってしまった。それも驚くには当たらない。

 スタニスラフとナースチャが友人だった時間は長くない。何といってもナースャはたった25歳だったのだ! でも二人は善と悪の区別がついていた。その概念が意味を獲得するのは、人間が何かをしたときだけだ。

 殺人者たちが怖れを抱くことはない。決して処罰をされないと知っているから。しかし一方で、私たちも怖れることはしない。なぜなら、人は人を守ることができ、少なくとも怖れを鎮めることができるからだ。恐怖はいま、この最悪の時を黙って逃れようとしている人々の目を問題から遠ざけているが、待つだけでは、この時代の終わりは決して来ない。

エレーナ・ミラシーナ/ノーヴァヤ・ガゼータ 2009年1月21日
http://en.novayagazeta.ru/data/2009/05/00.html