バビーツキ、チェチェン戦争に対する現在の見解を語る

The JAMESTOWN FOUNDATION Vol.8, 58号(2002年3月22日)
http://jamestown.org/publications_details.php?volume_id=25&issue_id=2223&article_id=19259

ラジオ・リバティの記者アンドレイ・バビーツキーは、自著「Nezhelatelny Svidetel(望まれぬ証言者)」の宣伝のために今週パリを訪れた。自著の宣伝中、バビーツキーはチェチェン戦争についての自身の見解を表明し、チェチェン戦争は進行中のジェノサイドに等しいと語った。バビーツキーは、ロシアの大統領がチェチェンにおける軍事行動を合法的かつ「ロシアという国家にとって重要な利益」を擁護するものだと確信していることに触れ、「少なくともプーチンが権力の座にある限りは」チェチェン戦争がすぐにでも終わるという幻想は抱けないと言う。バビーツキーによると、プーチンはまた、長期にわたる戦争が首尾よくチェチェン抵抗勢力を崩壊させていることを疑っていないという。アンドレイ・バビーツキーはチェチェン問題に精通したロシア人記者として最も著名な人間の一人である。1994年から1996年の第一次チェチェン戦争と、現在まで続いている第二次チェチェン戦争を通じて、バビーツキーは独立状態にあるチェチェン共和国を数十回訪れた。2000年1月、バビーツキーはロシア軍に拘束され、ロシア人捕虜と引き替えにチェチェンゲリラに引き渡されたということになっている。バビーツキー自身は、実際に彼が引き渡されたのはロシア特殊部隊の息のかかったチェチェン人であると考えている。「捕虜交換」の数週間後、バビーツキーを捕えたチェチェン人は彼をダゲスタンに連行し、偽造パスポートを持たせた。その後、バビーツキーは現地警察に逮捕され、偽造書類使用の罪に問われたのだった。一連の事件がバビーツキーのチェチェン報道に業を煮やしたクレムリンによって仕組まれたものだと指摘する人々も多い。ロシアの国内外を問わず、独立状態にあるチェチェン共和国で行われている戦争を批判するバビーツキーは、ジャーナリストが最も注目する人物なのだ。

パリで自著を宣伝した際、バビーツキーは、チェチェン過激派の中にターリバーンやイスラム原理主義者との関係を持つ者が存在することは「理論的」にはあり得なくはないと語った。しかし、彼がアフガニスタンを訪れたときには、「生死を問わずただ一人のチェチェン人戦士」も見つけることができなかったという。「ロシア人ジャーナリストがアフガニスタンに行くと必ずチェチェン人を見つけるように言われるのですが、刑務所を探し尽くしても、[アフガニスタンの]野戦司令官に尋ね回っても、チェチェン人を見つけることはできませんでした」と、バビーツキーは言う。チェチェン人がターリバーンとウサーマ・ビン・ラーディン、アルカイーダとの連合軍に参加してアフガニスタンで戦ったということは、ロシア政府によって主張され、チェチェンゲリラによって否定されているところであり、依然として議論の種になっている。興味深いことに、今月初旬、米軍とアフガニスタン軍がアナコンダ作戦中に爆撃したターリバーンとアルカイーダの勢力の中にチェチェン人戦士が含まれていたことを、アフガニスタンのシャヒコット谷の住民談として、いくつかのメディアが報じている(AP通信/2002年3月4日)。米軍も同様の発表を行った。実際には、拘束されたり、遺体を発見されたチェチェン人は一人も存在しないのだが、米国主導の連合軍はロシア語とチェチェン語で書かれたコーランを占拠した敵の陣営から発見したと報じている。

なぜチェチェン人は「ロシア軍によって実行される組織的な殺人」に対抗するために、パレスチナ人が行うような(ロシア)民間人へのテロ行為に訴えないのかと、フランスの哲学者アンドレイ・グラックスマンに問われたとき、バビーツキーは、今のところチェチェン抵抗勢力に存在する過激派でさえ、「モスクワとの対話によって平和を実現することを諦めていない」アスランマスハードフ率いる穏健派の影響下にあるからだと答えた。バビーツキーによると、「チェチェン人は、犯罪を行った者に対しては復讐を求めるが、国家や直接関係のない人々に対しては復讐を行わないとする法に従っている」のだという。バビーツキーはまた、「チェチェンとロシアは完全に別のものではない」と考え、チェチェンの伝統の中にも数多くあるロシア的な要素を好み、「黄金時代」(フィガロ/2002年3月21日)として「ソビエト時代を懐かしむ心情」を持っている、比較的上の世代がチェチェン抵抗勢力の指導者であることも大きいと語る。

チェチェン抵抗勢力テロリズムの関係についてのグラックスマンとバビーツキーの見解には議論の余地もあるだろう。例えば、シャミーリ・バサーエフと彼の軍隊が1995年6月に南ロシアの都市ブジョンノフスクで人質を取った行為は、1996年1月にサルマン・ラドゥーエフの軍隊がダゲスタンの都市キズリャルに侵攻した行為は、いったいテロ以外の何なのか、と問いさえすればよい。こうした事件によって、多数の民間人を含む200人以上の人々が殺害されている。さらに、チェチェン抵抗勢力は、1997年に北コーカサスの都市ミネラリヌィエ・ボーディやピャチゴルスク、ナルチクで大規模なテロ攻撃を実行した。ブジョンノフスクへの侵攻を率いたバサーエフ隊100名のうち10名のメンバーが、テロリズムや強盗、誘拐を含む多くの罪によって、現在スタブロポリ地方で裁判にかけられている。有罪が確定すれば彼らには懲役15年から25年の刑が執行されるだろう(インターネット新聞レンタ/2002年3月21日)。

いずれにせよ、バビーツキーはチェチェン人の間に「憎悪と身近な人に対する殺害や拷問をつねに見せられている」15歳から20歳までの「新しい世代」が生まれていることに危惧を感じているという。このため、バビーツキーは、チェチェン抵抗勢力内部では上の世代と下の世代との決裂が不可避であると語り、将来について非常に悲観的な見解を示している(フィガロ/2002年3月21日)。この点に関するバビーツキーの危惧には充分な根拠がある。1991年にチェチェン最初の独立派指導者ジョハール・ドゥダーエフが権力を握ってから、チェチェンの公立学校は事実上機能不全に陥っている。1990年代の半ばには、モニターの特派員が、読み書きもできないのに武器の扱いだけは超一流のチェチェンティーネイジャーを目撃している。チェチェンで誘拐ビジネスに手を染めているのが殆ど若者であるということは特筆すべきだろう。こうして、チェチェンは「戦争の世代」がすでに形成されてしまったアフガニスタンの轍を踏んでいくように思われる。アフガニスタンという国の中でしか生きることのできない「戦争の世代」の子どもたちにとっては、戦争が人生そのものになってしまうのだ。

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付記:

全体としてバビーツキーの紹介と彼のチェチェン戦争観がまとめられた記事だと思いますが、著者の論調に対してはいくつか疑問に思う点もあったので、下記に挙げておきます。

<第四段落>
チェチェン過激派の何百倍あるいはそれ以上のテロ行為を繰り返しているロシアでは殆ど誰も罪に問われることさえありませんが、そうした現実に対しては一切言及せずにチェチェン過激派の個別のテロ行為だけを取り上げていること。

<第五段落>
戦争しか知らない世代が育っていることなどチェチェン内部の問題に対しては、チェチェン人に対する「ジェノサイド」を続けているロシアがより多くの責任を負っているはずですが、そうした視点が欠けている(ように読める)こと。チェチェンにおける誘拐ビジネスにロシア側が関わっていることにもまったく触れていません。

以上です。

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