採録:チェチェン 真実への戦い 〜逮捕されたロシア人記者〜

ootomi2005-10-10


チェチェン 真実への戦い 〜逮捕されたロシア人記者〜」
メントン・バラクラフ・ケアリー・プロ(英)2000年

果敢にチェチェン報道を続けるロシア人記者アンドレイ・バビーツキ記者についてのドキュメンタリー番組。前半に、ブーツを履き、デジタルビデオカメラと衛星電話を持ってチェチェンに向かい、ロシア軍に抵抗するゲリラたちの中で取材を続ける様子が描かれる。後半、バビーツキが放送中にロシア軍に逮捕され、失踪する。

ナレーター:バビーツキは99年9月にチェチェンに入った。

(場面:砲撃を逃れるために、戦場となった村の家にとびこんでくるバビーツキ。手にはデジタルビデオカメラを持っている)

バビーツキ(スタジオで):ロシア政府は、人の死を軽視している。この戦争は、それに対する抵抗です。政府に目をつけられてもやむをえない。これは、自分自身と、子どもたちと、ロシアの未来に関わる問題ですから、政府を恐れて見て見ぬふりをするわけにはいきません。

抵抗する町や村は一斉に砲撃され、その後に陸上部隊が侵攻してきます。チェチェンで何が起きているかを把握するのは非常に困難です。誘拐されたジャーナリストもいましたしね。

ジャーナリストに必要なのは上等なブーツと、情報を選別する能力ですが、一番大切なのは、相手にしていい人間と、いけない人間を即座にかぎ分ける嗅覚です。あとは速い逃げ足ですね。

チェチェン戦争の実態は国民の目から隠されています。実際はロシア軍も、掃討な犠牲を強いられています。軍の上層部は、政府に裏切られたと思っているんです。軍は自分たちの努力で勝利を収めたと思っていた。しかし、実際は勝利したわけではなかった。だから、今度こそという気持ちがあったんでしょう。

バビーツキ:ロシア政府は今度こそ勝利をと意地になっています。世論は戦争支持を発表し、爆撃を受けた家を撮影すると、取材許可証を剥奪します。軍は一般の村には発砲しないと言いますが、偽りです。テレビに映るのはお偉方の大言壮語ばかり。おそらく故意に真実が隠されているのです。

ナレーター:99年10月、バビーツキの姿勢は決まりました。

バビーツキ:ロシア軍の最初の攻撃で、チェチェンの村々は手当たり次第に破壊されました。市民が無差別に殺戮されていったのは明らかです。私はそのとき、ロシアの政治家が推し進めるこの戦争は、軍事行動という名の残虐な犯罪なのだと理解したんです。

99年10月21日

バビーツキ(当時のラジオ放送):「グロズヌイからです。40分前に2発のミサイルが50メートル先に着弾、30人ほどの死傷者が出たのを目撃しました。こういった爆撃は今後も続くでしょう」

チェチェンの老人:「400年間馬鹿にされてきた。ロシアはわれわれをならず者と呼び根絶やしするつもりだ。土地も奪う、そうはさせるかプーチンめ。チェチェン人が一人でもいる限り、チェチェンは絶対に屈服しないぞ」

バビーツキ:「15分ほど前です。われわれはチェチェン最大の病院にいました。床には血が流れ、いたるところに負傷者がいました。おそろしい光景でした」

チェチェンゲリラ:「ロシアの政治家は殺人者となり、帝国主義戦争を遂行している」

バビーツキ:「市民がグロズヌイから脱出しようとしています。電気も水もなく難民となって地方や隣国に逃れています」

バビーツキ:第二次大戦中のレニングラードがどうだったか、いまなら想像できます。チェチェンの首都グロズヌイは、町じゅうに死の恐怖がたちこめていました。異様な感じがしました。どこかに行くとき、常に新しい道を探さなければならないことには驚きました。連日の爆撃で、道路が破壊されていき、昨日とおった道が今日はめちゃくちゃに壊されて、通れないんです。

プーチン:「チェチェンテロを排除する そのためには努力も物資も必要だし犠牲者も出ます。しかしほおっておけば犠牲者の数は倍増します」

バビーツキ:ロシア政府はチェチェン人をならずもの呼ばわりをし、暴力で封じ込める政策を変えていません。人間の生命はきわめて神聖なものであり、暴力は絶対に認められるものではないという常識が欠落しているんです。エリツィンは、グロズヌイに残っているのは、兵士と売春婦だけだといいました。ひどい侮辱です。それで、いったいどんな風に暮らしているか、見せてやろうと思ったのです。

ナレーター:ロシア政府は、グロズヌイへの攻撃を正当化するために、町に市民はいなかったと発表しました。しかし、それは真実ではありませんでした。

バビーツキ:町を取材していると、そこには必死に生きている人々がいました。しかしそれは地下に隠れているために、ぱっと見ただけでは、その存在がわかりません。でも、地下には、傷つきながらも息づいている命がたしかにありました。

市民:「どの子もはだしです。靴がないんです」

バビーツキ:子供は?

市民:他に2人。

市民:その子らは爆弾なんかも扱うよ。

バビーツキ:ロシア軍は、じきに総攻撃をかけてくる。町には不穏な空気が漂っていました。ロシア軍の攻撃はすさまじく、市民はみな銃弾の犠牲になることを恐れ、脱出を考えています。しかし残される家族を思うと、心配でなりません。大変な苦痛です。

バビーツキ:なぜ残るの?
市民:「離れられないわ。ずっと住んだ土地だもの」

バビーツキ:あなたは?
市民:「できなかったんです。片腕と片足をなくした義理の母を置いていけないわ」

バビーツキ:「グロズヌイは恐怖と絶望に包まれています。市民は誰もこの町が救われるとは思っていません。ここは呪われた町です」

バビーツキ:その武器は?
子ども:「これはシュマイザーだよ」

バビーツキ:見せてくれるかい?たしかにそうだ。旧ソ連の弾が?

子ども:使えるよ

バビーツキ:撃ったことがあるんだね・・・

ナレーター:グロズヌイがどんなに破壊されても、チェチェンのゲリラたちの士気が、下がることはありませんでした。

野戦司令官:勝利に近づいたわけではない。1996年に失ったものを取り戻しただけだ」

ナレーター:ロシア軍は町を平定するどころか、苦戦を強いられていました。

バビーツキ:グロズヌイの攻防はいつまで続きますか?
野戦司令官:われわれが望む限り続くよ。可能な限りさ。

バビーツキ:「ゲリラには規律がありません。中にはひどく冷酷になる者もいます」

ゲリラの一人、兵士の死体を示して:プーチンめ、これを見ろ。やつはチェチェン人が野垂れ死ぬと思っているが、死ぬのはロシア兵だ。

バビーツキ:名前は?

ロシア兵捕虜:セルゲイ。19歳です。1年前に召集され戦車連隊に入って、ここに派遣されました。チェチェン武装兵に迎撃されたんです。

ナレーター:プーチンは公式発表で、ロシア軍の犠牲者の数を最小限に抑えて、世論の支持をとりつけようとしました。しかしバビーツキが実際に見た光景は、プーチンの目論見とは相反するものでした。この戦車部隊で生き残ったのは、若い戦車兵ひとりだけでした。

ゲリラ:19歳か。これを良く見ろ。チェチェンの反撃を受けて死んだ仲間を良く見ろ。おまえは国に帰してやるからプーチンに言え。真実を伝えろ。そしてロシア人もやつに本心を言うようにしろ。やつは国民も弾圧するぞ。

ナレーター:このときグロズヌイにいたジャーナリストは、バビーツキだけではありませんでした。グルジア人のバグロフも前線で取材をしていました。

バグロフ:グロズヌイに到着したとき、私は驚きましたね。町の誰もが、バビーツキを知っているんです。

バビーツキ:(犬に)「おいで、病気なのかい」

バグ:ジャーナリスト仲間よりも、よっぽどチェチェン人の方が彼に親しくて、印象的でした

塹壕を掘るゲリラ:おーい、バビーツキ、どこに行ってたんだい
アッラー・アクバル!」(労働歌のように声を上げる兵士たち)

バビーツキ:グロズヌイに残った人々は、総攻撃に備えて塹壕を掘り、白兵戦に備えていました。ロシア人もチェチェン人も、私にとっては同じ仲間です。ロシアは自分自身を相手に戦争していると言っていいでしょう。まともな未来を築けるはずなのに、その可能性を捨ててかかっているのです。

ゲリラ:カメラと銃を持ち替えてともに戦おう。

バビーツキ:もう手一杯だよ。

ナレーター:バビーツキは、チェチェンの独立という考えには懐疑的でした。

バビーツキ:イスラム武装勢力が独立をめざすということは、時間の無駄だと思います。今もチェチェン人のほとんどが、独立を絵空事だと考えています。むしろ、独立をめざして過激な行動に走るほうが危険だと、わかっているんです。

ナレーター:ロシアのあやまちは、市民に中を向けたことです。1999年12月11日、ついにロシア軍がグロズヌイ中心部への総攻撃をかけました。バビーツキはその日必死になって町に残り、歴史に残るレポートをしました。

(上空を通過する飛行機、建物の中で待機するチェチェンゲリラと、ビデオカメラを持ったバビーツキ)

ナレーター:12月11日木曜、チェチェン・グロズヌイ、ミヌトカ広場から、バビーツキ記者が戦闘の続く町の様子をリポートします。

バビーツキ:「グロズヌイ中で激しい戦闘が行われています。聞こえますか? 聞こえますか?チェチェン側は100人以上のロシアへいが死んだと発表。私も目撃しました。ここにはまだ10万人の市民がいるとチェチェン側は誇張して発表していますが、数万人いるのは確かです。バビーツキがレポートしました」

バビーツキ:言葉では言い表せない恐怖を、何度も味わいました。死への恐怖ではありませんでした。それは人間の尊厳を失う恐怖といいますか、戦場では、人間が人間らしさを保つことができないんです。

ナレーター:結局この日の総攻撃でも、ロシア軍はグロズヌイを制圧することはできませんでした。

ゲリラ:この下に誰かいる。助け出さなきゃ。車からジャッキを持ってきてくれ。

ナレーター:バビーツキは、チェチェンで撮った赤裸々な映像を手に、モスクワに戻りました。グロズヌイでの無残なロシア兵の死体の映像などを、テレビで流しました。ふたたびグロズヌイに戻ったとき、バビーツキに異変が起こりました。

バビーツキ:「2日間、グロズヌイは猛烈な集中砲火を浴びています。これがもし・・・」

ナレーター:突然電話が切れ、バビーツキは逮捕されました。それから6週間、バビーツキは消息不明になります。

バビーツキ:ロシア軍に身体検査され、ビデオカセットを没収されました。目隠しされ、手は縛られた状態で輸送車に載せられ、ハンカラという町のロシア軍情報部に48時間留置されました。

ナレーター:そのころモスクワでは、大統領の交代劇がメディアをにぎわせていました。

テレビ番組:「プーチン氏は後継者として期待されています エリツィン大統領の辞任の時期も絶妙でした」

ナレーター:1月末、バビーツキの仲間たちは、インターネットを通じて、彼が行方不明であることを世に知らせ始めました。

ナレーター:2月4日、バビーツキは、二人のロシア兵捕虜と引き換えに、チェチェン側に引き渡されました。ロシア政府は、この交換はバビーツキの要望だと発表し、実際彼はこの提案に同意していました。しかし、交換の映像を見た彼の妻や仲間たちは、すぐに、何かがおかしいと気がつきました。バビーツキは、知り合いのチェチェン人に引き渡されると聞いていました。

(捕虜交換の場面。バビーツキを受け取ったチェチェン人たちが、彼を手荒に扱う)

ナレーター:誰の手に落ちたのかもわからないまま、バビーツキはまた行方不明になりました。

バビーツキ:そのとき、わたしはこう推測しました。わたしは犯罪者集団に引き渡された。わたしはもうすぐ処分されるだろう。たぶん、最悪の形で。

ルシャイロ内相:「バビーツキは無事です。彼の望んだ仲間のところにいます。武装集団の要望にこたえたことで、ロシア兵の捕虜が多数解放されました。それが情報のすべてです。多分南部に彼はいますよ」

(バビーツキを武装勢力の一員として誹謗するビデオ)

ナレーター:しかし、政府の説明に、市民たちは納得しませんでした。バビーツキは、ロシア側に内通しているチェチェン人グループに引き渡された、彼の仲間たちはそう考えました。

(BBCのモスクワ支局にビデオが持ち込まれる。憔悴したバビーツキが「今のところ自分は無事だ」と語る2月6日付けの映像)

バビーツキ:私が生きていることを伝えるこの映像は、逆に、深刻な状況を作り出したようでした。

(不安を語る妻リュドミラ)

ナレーター:やがて、バビーツキの行方不明事件は、国際的な問題となり、プーチンを困惑させるようになりました。アメリ国務省はロシア政府に対し、この事件に関する説明を求めました。そして、ロシア政府の矛盾する話には、疑いを抱かざるをえないという見解を発表しました。また、アメリカの国務長官は、この事件について、ロシア政府に直接不満を述べたというニュースは、ロシアのニュース番組でも取り上げられました。

プーチンは、元KGBであるという過去をぬぐいさり、新時代の指導者として、西側諸国に認められたいと願っていました。それが、一人のジャーナリストによって、阻まれたのです。バビーツキの処遇に困ったロシア政府は、バビーツキに偽造パスポートを持たせ、アゼルバイジャンに向かわせました。しかし、アゼルバイジャン国境警備隊は、バビーツキを追い返しました。

バビーツキ:ロシア政府の思惑は失敗しました。私は、アゼルバイジャンにはいきたくないと、付き添いの人間を説き伏せ、ダゲスタンに行くことができたんです。

(バビーツキは同僚に電話をかけ、符丁でダゲスタンにいることを伝えた)

ナレーター:それから4日後、ようやくバビーツキはモスクワに着きました。しかし不自由な生活を送っています。政府に持たされたものにも関わらず、偽造パスポート所持の罪に問われているのです。2000年5月、プーチンは大統領に、バビーツキはメディア戦争の英雄になりました。

バビーツキ:私はロシア政府に反抗する記者たちの見せしめに選ばれた、無名の記者に過ぎませんでした。そんなわたしでも、心の中では、いつかチェチェンで起こっていることを、世の人々に広めてやろうと、決意を固めていたんです。

ナレーター:結局ロシア政府は、バビーツキの口を封じることはできませんでした。バビーツキは、今も世界に向けて、チェチェンの真実を伝えつづけています。

同僚:90年代の初めには、ロシアにも表現の自由が確立されつつありました。それが、チェチェンとの戦争をきっかけに、一気に昔にもどっているんです。プーチン政権は、ロシアの時限爆弾と言えます。いつ私たちに危険が及ぶかわかりません。

(自動車の後部座席で眠りこけるバビーツキの顔。チェチェンの音楽がかすかに流れている)

ナレーター:モスクワに帰って半年、バビーツキの行動は、依然として、警察の監視の目にさらされています。バビーツキは、チェチェンでの取材活動によって、欧州安全保障機構(OSCE)から賞を授与されました。しかしチェチェンでは、今も戦争が続いています。

(了)