<解説>バビツキー事件

 ラジオ・リバティーのベテラン記者であるアンドレイ・バビツキー氏は、2000年1月中旬、チェチェンでの戦争現場から報道中にロシア軍に逮捕された。1週間近くたってから、当局から「非合法武装勢力に参加した」として、正式に逮捕状が出された。2月3日になって、ロシア当局は「バビツキーは、ロシア軍兵士の捕虜3人と交換に、チェチェン独立派に引き渡された」と発表した。この事件でのロシア政府の態度と行為は、世界的な批判を浴びた。

 2月25日、バビツキーは突然ダゲスタン共和国の首都マハチカラで解放され、不法書類(偽造パスポート)の所持の疑いで再び逮捕された。3日後、彼はモスクワに運ばれ、プーチン・ロシア大統領代行が「彼の逮捕には理由がない」と発言したことから、モスクワを出ないことを条件に保釈された。バビツキーは3月1日のモスクワでの記者会見で、「この事件は、ロシア治安機関のずさんな計画によるものだ」と発言した。また、彼は捕虜交換をされた相手方は、ロシア政府と強い関係のあるチェチェン人グループで、最終的に2月3日に、マスクをして顔を隠したグループに手渡されたと語った。

 保釈後、バビツキーは、2000年3月に開かれたストラスブルグでの欧州評議会議員総会での証言を求められていたが、ロシア政府に渡航を禁止された。そして4月5日、チェチェンで行われている戦争は「ヒューマニティーに対する犯罪だ」として、「チェチェン戦争国際法廷」の設置を求めるビデオメッセージが、欧州評議会の議場で放送された。彼はこの裁判が、「政府による市民の虐殺を防ぐ」ため機構として、第二次世界大戦後のニュルンベルグ裁判の精神を受け継ぐ必要性を指摘した。

http://www.rferl.org/specials/russia/babitsky/intro.asp