バビーツキ記者来日講演記録その1

(2005.10.25 記者会見 飯田橋・東京ボランティア市民活動センター)

紹介

青山正(市民平和基金代表):まず始めに、今回のアンドレイ・バビーツキ記者招聘の主催団体であるチェチェン連絡会議について簡単にご説明します。チェチェン連絡会議は、チェチェン戦争の平和的解決を求めるNGOと個人が集まって結成した団体です。実は今回の招聘にあたっては、手続き上はまったく問題がなかったのですが、つい一昨日の金曜日まで外務省からビザが発給されずにいました。これは明らかに政治的な妨害があってのことなのですが、これはまたバビーツキ記者が今日ロシアでどのような位置にいるかということを象徴していると思います。

林克明(ジャーナリスト):それではアンドレイ・バビーツキさんを紹介させていただきます。バビーツキさんはラジオ・リバティの記者で、チェチェン問題の第一人者でもあります。彼は徹底してチェチェンの現場からの報道を続けてきた人物です。私自身、ロシアで取材をしているときに、「チェチェンのことを知りたければ、どこで取材をしているときでも、ラジオ・リバティの放送が始まったら取材を中断してそれを聞け」と言われてきました。その徹底した現場主義によって、バビーツキさんはロシアからは非常に疎まれています。今年の夏には、チェチェン野戦司令官、バサーエフへの取材に成功しています。今日のインタビューではチェチェンとロシアの今について、いろいろ話を聞けるのではないかと思います。

発表

バビーツキ(ラジオ・リバティ記者):それでは、現在のチェチェンの状況を象徴していると私が考えるいくつかの出来事をお話していきましょう。現在は第二次チェチェン戦争が始まってから6年目に当たるのですが、昨年、ロシア連邦軍に抵抗している、私の知人でもある一人のチェチェン人戦士がロシア軍に拘束されました。彼は自分の菜園で民間人の友人と農作業をしていたときに連行されたのです。彼とその友人はワゴン車に乗せられ、町から別の集落に連れて行かれたのですが、そのとき、彼は肘のすべての血管をハンマーによって叩きつぶされました。その友人は民間人だとわかった時点で頭を打たれて車から外に放り出されました。
また別の出来事をお話しましょう。これは1、2ヶ月前の話なのですが、親モスクワ政権が何人かのチェチェン戦士たちを拘留し、殺害しました。カディーロフは現在チェチェンにおいてモスクワの関心を代表している人間の中ではNo.2なわけですが、そのカディーロフの側近の一人が、広場で一人の戦士の頭を電気のこぎりで切り落としたのです。この事件については、ロシアや西側のマスコミでも報道されました。私自身ロシア国民の一人ですが、なぜこの戦争がこれほど残虐であるのかということは、いまだに理解できません。無論、連邦の権力を代表する警察や軍隊が、抵抗軍を取り締まろうとするところまでは理解できるのですが、なぜ彼らの頭を電気のこぎりで切り落としたり、彼らの死体をさらに傷つけなければならないのか、ということについては、いまだに理解できずにいます。

いくつかの人権団体が、チェチェンにおける民間人に対する拷問や、正当な理由のない逮捕と収容について調査を行っています。こうした拷問がどれほど残虐であるか、同じ人間に対してどれほど残酷なことが行われているかということについては、ここでは触れずにおきましょう。ご関心のある方はヒューマン・ライツ・ウォッチなどの報告書をご覧になっていただければと思います。私自身ロシア人であるわけですが、ロシアという国が自国民に対してこれほど残虐な拷問ができるとは、まったく思ってもいませんでした。今でもチェチェンでは行方不明者が多発しています。以前は行方不明者があまりに多数に上るため、その調査が行われていましたが、今では行方不明者の数というものは解っておりません。というのは、ここ数年の傾向として、行方不明者の親族は、親ロシア政権である権力側に報告せずに、彼らを拘束している相手と直接交渉してお金を支払い、何とか生きているうちに解放してもらおうとしているからです。それはロシア軍とチェチェンの地元警察によって行われているわけですが、年間の「売上高」は数十万ドルにも及びます。

チェチェンで誘拐される人々は様々ですが、まず一つには抵抗勢力を支持している、または抵抗勢力を支持しているとされる人々がいます。しかし、そうした人々の数はたいしたことはありませんし、殆どの人はまず生きて帰ってこられません。現在誘拐されている人々の大半はビジネスマンです。より身代金として多額のお金を払ってくれるであろうと思われる人々が狙われています。三番目に、1年ほど前に始まった新しい種類の誘拐があります。それは抵抗勢力の親族を誘拐するというもので、チェチェンの大統領であったマスハードフの親族もいまだに行方不明ですし、チェチェン地下政府の副大統領、ドク・ウマーロフの親戚も誘拐されています。

また、チェチェンでは裁判によらずに制裁を加えるという現象があります。その状況は第二次チェチェン戦争が始まってから6年間ずっと続いています。事例の数は減少傾向にあります。減少の理由の一つは、大量のチェチェン人がチェチェン外に逃れて総人口が減少しているからであり、もう一つの理由は連邦政府がつかんでいた抵抗勢力を支持していたとされる人々がすでに殆ど殺されてしまっているからです。

それでは、チェチェン戦争を象徴する最後の話をしましょう。先ほどチェチェンの外に逃れるチェチェン人が増加しているということを申し上げました。チェチェン地下政府の副首相であるザカーエフは、彼自身がロンドンに亡命しているチェチェン人の一人であるわけですが、そのザカーエフの調査によると、ロシアの外に逃れているチェチェン人は現在20万人だということです。この状況がなぜ象徴的かと言うと、チェチェン人は伝統や土地、特に祖先の墓をたいへんに重んじる民族だからです。そのチェチェン人が故郷を捨てて外国に逃れてしまうということは、もはやチェチェン人が未来への希望を失っていることの象徴に他ならないのです。

チェチェン戦争を象徴する出来事についての私の話はここで終わりにしようと思います。それでは質問をお願いいたします。

質疑応答

Q:チェチェンから逃れた人々の現状はどのようなものでしょうか?彼らはどこへ行って、どのように生活しているのでしょうか?

バビーツキ:まず隣国のイングーシ共和国に逃れているチェチェン人の数はそれほど多くはありません。数万人から多く見積もっても5万人というところでしょう。というのは、イングーシ共和国のチェチェン難民キャンプは、公式にはすべて閉鎖されているということになっているからです。チェチェン難民の多くは西欧に逃れています。ドイツやフランス、ベルギー、オーストリアといった国々です。

Q:チェチェン難民は北コーカサスには残っていないのですか?

バビーツキ:相対的には北コーカサスよりも西欧にいるチェチェン人の方が多いのですが、チェチェンの人口を考慮するとイングーシ共和国の5万人という数は少なくはありません。さらにイングーシ共和国の総人口が30万人であるということを考えても、決して少なくはないでしょう。ただし、第二次チェチェン戦争初期に30万人のチェチェン人がイングーシ共和国に逃れていた状況と比較すると、今では少なくなっています。

バビーツキ:このまま質疑応答を続ける前に、チェチェンにおけるロシアの軍事政策についてお話しておいた方がよいかもしれません。まず、プーチンの政策ないし戦略である、力による支配というものは、ここ数年で完全に失敗であるということが明らかになったと思います。例えばナリチクの事件*1は、チェチェン戦争がダゲスタンを含む北コーカサス全体に広がっていることを証明しています。しかも、現在のこうした状況は決して自然発生的なものではなく、チェチェンの地下武装勢力が戦争をチェチェンの外へ、ロシアの国土のより内側へと意図的に広げていることによって生まれているものなのです。そこから判断する限り、チェチェン地下武装勢力の指導部は、ある程度成功していると言ってもよいかもしれません。一方、ロシア政権がチェチェン戦争の初期に掲げた目的の中で、これまでに達成されているものは一つもありません。パルチザン*2勢力は押さえ込まれることもなく、むしろこの6年間を通じて確固たる地位を獲得しているのです。急進イスラム主義は、山火事のような勢いで北コーカサスの若者、さらには若者だけではない住民の間に広がってきています。私は今現在ロシアの政権が北コーカサス全体を失ってしまうかもしれないという脅威に直面していると考えています。無論、それは1年後、3年後といった話ではなく、もう少し先の将来のことになりますが。

Q:去年のベスランや今年のナリチクの事件に関与したシャミーリ・バサーエフ北コーカサスイスラム国家を建設しようとしているとも言われています。実際のところ、何が彼の最終的な目的なのでしょうか。ロシアへの抵抗でしょうか。それともイスラム国家の建設なのでしょうか。

バビーツキ:難しいご質問ですね。というのは、バサーエフの中にも二つの主張が見え隠れしているのです。チェチェンには二つの抵抗勢力があります。一つが急進イスラムで勢力で、彼らは北コーカサス全体の解放とイスラム法による支配を望んでいます。一方、伝統的なイスラムを信仰するドク・ウマーロフなどの勢力は、チェチェンそのものの独立を求めて戦っていますが、彼らもチェチェン独立のために北コーカサス全体を不安定にしておく方が有利であると判断すれば、戦いを北コーカサスに広げることも辞さないと言えます。さらに、私にはバサーエフ自身も変化しているように思います。数年前、彼はワッハーブ*3を自認していましたが、今年の夏、彼にインタビューをしたときには、宗教的な動機は二次的なものにすぎないと述べています。一つ私が言えるのは、北コーカサスのどこか一国でもイスラム急進派が政権を握り、アフガニスタンタリバンが行ったような政策を敷いてしまえば、その国は文明に取り残されてしまうということです。

Q:チェチェン武装勢力に対して、タリバンアルカイダといったイスラム原理主義からの支援はないのでしょうか。また北コーカサスにおけるアメリカの影響力というものはどうなっているのでしょうか。

バビーツキ:まずイスラム原理主義についてお話しましょう。サラフィーヤ、これはアラビア語で祖先を意味する言葉なのですが、このサラフィー派の教義というものは、1930年代にエジプトでムスリム同胞団が生まれてから広がってきたものです。こうした勢力から資金が流れているということは、あり得ないことではありません。ただし、第二次チェチェン戦争が始まる前にはアラブ戦士やアラブ的教育というものがチェチェンに入ってくることもあったのですが、この戦争が始まってからは、彼らはすっかりチェチェンを引き払ってしまっています。チェチェン人がアフガニスタンイラクの戦争に参加しているということもよく言われていますが、それはロシアのプロパガンダであり、アメリカのプロパガンダです。私はどちらの政府が言っていることも嘘であると100%確信しています。チェチェンの中にいるアラブ人はどんなに多く見積もっても10人から20人ほどですし、彼らは単なるボランティアとして参加しているようなものです。一方、アフガニスタンチェチェン人がいるという証拠はまったくありません。

現在までアフガニスタンでは一人の遺体も見つかっていませんし、チェチェン人が参戦していることについての一つの証言もないのです。チェチェンの急進派は、アラブ急進派からの何らかの資金援助を受けているとは思いますが、その額はたいしたものではないというのが私の推測です。というのは、過去6年間におけるロシア国内でのテロや破壊活動を見る限り、個々の作戦はそれほど資金がなくとも行えるものになっているからです。

Q:バサーエフの指揮するテロ行為に参加する人たちというのは、どういった人々なのでしょうか。政府側の発表によると、身内を殺され、復讐を動機とするチェチェン人たちが作戦に参加しているということですが。また、ナリチクでは失業者が傭兵になっているという報道がありました。実際には誰がどのようにテロ行為に携わっているのでしょうか。

バビーツキ:今現在、ロシア連邦内の北コーカサスの共和国はすべてイスラム系なのですが、そこにはジャマートと呼ばれる急進イスラムのコミュニティが存在しています。こうした動きは先ほども申し上げたように自然発生的なものではなく、何年もかけて周到に計画されてきたものです。私自身、2年前にチェチェン抵抗勢力のキャンプで、他の共和国から教育を受けにやってくる若者を目撃しました。彼らは抵抗勢力のキャンプで教育を受け、自国へ帰ってそれを広めていくのです。こうした状況を見ると、ロシアは今日非常に緻密に張りめぐらされた多くのチェチェン地下組織の脅威、すなわち北コーカサス全体が失われるかもしれないという脅威に直面していると言えます。最近のナリチクの事件では、若者たちは2000ドルというような笑ってしまうような報酬によって作戦に参加したのだということがロシアによって宣伝されています。しかし騙されてはいけません。コーカサスの誇り高い男性たちが、そんな金額のために自分の命をかけるはずはないのです。彼らは自分が死んだときに残される肉親のことをつねに思いやっています。ナリチクの戦闘に参加した殆どすべての男性の遺体は、指を伸ばした姿勢を取っていました。これはワッハーブ派が死を迎えるにあたって取る、特徴的な姿勢でもあります。カバルジノ・バルカル共和国だけではなく、隣国のチェルケシアやダゲスタンを含めて、ウェブサイトを持つ急進イスラム勢力は、チェチェンの地下組織に対する支持を表明しています。これは、隣国の同胞を助けなければならないとするサラフィーヤの教義によるものです。ナリチクの事件では、チェチェン地下組織のアブドゥール・ハリム・サドゥラーエフ大統領が、自ら作戦を支持していたことを表明し、バサーエフが犯行声明を出しました。私は彼らの声明の真偽について、疑いを差し挟む理由を持ってはいません。

Q:先ほどプーチン政権が失敗したとおっしゃいましたが、プーチン政権は今後も泥沼の戦争状態を続けるように思えます。停戦への突破口はどこにあるとお考えですか。

バビーツキ:先ほどロシアが北コーカサスを失うかもしれない脅威に直面しており、そしてそれは決して遠い将来の話ではないということを申し上げました。しかし、北コーカサスの住民の大半は、自分たちの政権に急進イスラム勢力が来ることを望んではいませんし、まだロシアの国民でいることを望んでいるのではないかと私は考えています。ただし、チェチェンについてはこの北コーカサスに含まれておりません。というのは、チェチェンについては国民の意思を調査することも不可能な状態にあるからです。北コーカサスの状況は必ずしもロシアの崩壊を促すものではありませんが、不安定さとロシアの平均値よりも高い失業率の増大と官僚の腐敗によって、社会的公正を求める声が高まる中、イスラム社会主義を標榜する急進イスラムが浸透してきています。加えて北コーカサスでは民族の対立も起きつつあり、解決の糸口は見つかっていません。今までロシア連邦は、こうした問題を解決するとき二つの手法を用いてきました。一つ目が金、つまり地元への資金援助であり、二つ目が軍、すなわち力による制圧です。しかしこの二つのやり方はつねに失敗に終わってきました。プーチン政権は2008年に選挙を控えており、憲法によれば彼の任期は終わるということになっています。私は、プーチン政権がチェチェン戦争によって退陣を余儀なくされるのではないかと考えています。というのは、まだロシアには健全な考えを持つ人々がいますし、彼らは北コーカサスの安定がロシアにとって重要であることを認識しているからです。ですから、プーチンには退陣という賢い決断をしてほしいと願っていますが、彼にその見識がなく、2008年以降も政権に居座るようであれば、それから5〜7年後にはより広域な領土で行われるコーカサス全域戦争を巻き起こすことになるのではないかと私は危惧しています。

Q:チェチェン戦争に対するエリツィン政権、プーチン政権の責任をどう考えていますか?

バビーツキ:まず、チェチェン戦争はエリツィンが始めたもので、これはとてつもない道徳的な間違いでした。自分の国の中で戦争を始める権利があると思ったことが、そもそも大きな間違いだったのです。しかし、エリツィンはその失敗を認める勇気がありました。彼は停戦への決断を下すことができたのです。一方、プーチンはまだエリツィンの半分だけであると私は言いたいと思います。6年半に渡る戦争では、チェチェン人に対する人権侵害を正当化するために、ロシア全土でチェチェン人に対する非人道的なキャンペーンが、今なお繰り広げられています。チェチェン戦争終結への希望はどこにもありません。ただし、第一次チェチェン戦争が始まった責任は、チェチェンの初代大統領であったドゥダーエフにもあります。第二次チェチェン戦争に関しては、とてつもなく大きな責任が、バサーエフマスハードフの両人にもあります。特にバサーエフはダゲスタンに侵攻し、ロシアに開戦の口実を与えてしまいました。

Q:チェチェンを報道するにあたってロシアの政権からの圧力はありますか?

バビーツキ:始めに申し上げておきますが、私はチェチェンを取材するにあたってはロシアの法律をまったく守っておりません。そうしなければまったく取材ができなくなってしまうからです。私は自分の活動の根拠を、正当な取材を妨げるロシアの法律にではなく、「あらゆる人間は情報を探求する権利を持っている」*4とする世界人権宣言の条項に置いています。次にロシア政権からの圧力についてですが、私はロシアの諜報機関によって逮捕されたことがあります。もしもこの事件が世界中のメディアによって注目されていなかったなら、私はおそらく殺されていただろうと思います。まして今はバサーエフに会ったというだけでも、チェチェンに関する情報統制を敷いているロシアの6年間の努力を私が水の泡にしてしまったわけです。ロシア政府はますます私を疎ましく思っていることでしょう。

Q:バサーエフに実際会ったときの印象についてお話ください。

バビーツキ:これも難しい質問ですね。私はバサーエフのことを以前から知っていますが、彼の印象は10年間ほぼ変わっていません。基本的には強い意志を持った人で、誰も彼のすることを止められない、という印象があります。彼が普通の人間と違うのは、自分の目的のために普通の民間人を殺したりする権利を自分が持っていると思い込んでいるところです。彼は自分の目的が人命よりも高いと思い込んでいるのです。木曜日の報告会では、私がバサーエフに対してインタビューを申し込んだときの映像資料を7、8分のビデオに編集してお見せする予定です。ビデオには、彼が森の中で祈っていたり、部下とどのように付き合っているかということなどが収められています。ご関心のある方は、ぜひ報告会にいらしていただければと思います。

Q:チェチェン問題は、ソ連の崩壊後、民族意識の高揚から起こったものであると記憶しています。しかし最近ではチェチェンでは宗教的な要素が強まってきたようにも思います。チェチェンの一般の人々は、独立と宗教のどちらを求めているのでしょうか。

バビーツキ:チェチェンの一般の人々は、イスラム急進主義に同調することはなく、スーフィズムというより伝統的なイスラムを信仰しています。スーフィズムは急進イスラムからは土着信仰にすぎないものだと見られていますが、チェチェンの一般人はイスラム原理主義を自分たちのものとしては捉えてはいないのです。しかし、そのチェチェンの大半の一般人は、地下抵抗勢力がどのような宗派であっても彼らを支持していると思われます。というのは、今では地下抵抗勢力チェチェンにおける唯一の野戦警察、ロシアという巨大な力と対抗して自分たちの秩序を守ってくれる唯一の存在、になっているからです。実際にチェチェン人がロシアからの独立を願っているのかどうかということに関しては、私にはわからないとしか申し上げることができません。彼らが独立を望んでいるのか、それともロシア内の連邦共和国の一つとして生きていくことを望んでいるのか、ということについては、15年間一度もまともな世論調査が行われていないからです。ロシア政権もチェチェン政権もチェチェン人を代弁するような発言をしていますが、チェチェンの人々が本当は何を望んでいるかということについては、私にはわからないとしか言えません。

しめくくり

青山:最後に今回バビーツキ記者を呼んだ意図についてお話します。チェチェンでは100万人の人口のうち、すでに一割から二割の市民が殺されていますが、チェチェン問題はいまだにテロとの関係でしか扱われることがありません。チェチェンは世界から黙殺されています。私たちはチェチェン戦争の平和的解決を求める市民として国際的な反戦世論を盛り上げていくことが必要だと考えています。11月20日プーチン大統領が来日しますが、その前に何とかしてチェチェン問題についてアピールをしたいと思い、今回の招聘を実現させました。10月27日にはバビーツキ記者の報告会を開催しますので、ぜひご参加と宣伝をお願いいたします。

(文責:バイナフ自由通信社)

*1:2005年10月13日、ロシア南部カバルジノ・バルカル共和国の首都ナリチクの警察署や空港など約10施設がチェチェン独立派と見られる武装勢力によって同時に襲撃され、市街戦および治安当局の制圧に巻き込まれた多数の住民が死亡した

*2:占領軍に対するレジスタンス

*3:18世紀にアラビア半島内陸に起こったイスラム教の改革運動。一般的に「イスラム原理主義」として知られている

*4:「すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」(世界人権宣言、第19条)