バサーエフの死が意味するもの

チェチェン独立派最強硬派のシャミーリ・バサーエフ野戦司令官が、7月10日、イングーシ共和国で死亡した。ロシア当局は、バサーエフの死を「対テロ作戦」の成果(要するに殺害)として発表しているが、チェチェン戦争の継続を望んできたロシア当局と利害を共有し、ロシア特務機関によって命を保障されていたはずのバサーエフが、なぜ今殺されなければならなかったのか?
以下にバサーエフの死が意味するものを考えてみる。


なぜバサーエフは殺されなければならなかったのか?この問いに対するもっとも単純な答えは、「バサーエフは殺されていない」というものだと思う。バサーエフの死亡に関するロシア国内での報道のタイミングを見る限り、彼の死が計画されたものだとは考えにくい節があるからだ。あるチェチェンの政治アナリストは、「・・・爆発の結果死亡したのがシャミーリ・バサーエフだと判明するまで、メディアによって報道されていたのは、ゲリラが不注意の結果自ら積んでいた爆発物のために吹き飛ばされたということだった。それが、今や、『特殊機関による華麗なる作戦』ということになっている」(7月10日 プラハ・ウォッチドッグ)と述べ、バサーエフの死は、特殊機関による作戦の成功というよりは、むしろ単なる事故であった可能性が高いと指摘する。

各紙は、今回のバサーエフ「殺害」を、7月15日から開催されるサンクトペテルブルグ・サミットを前に彼が計画していたとされるテロと結びつけ、「サミット直前の武装組織指導者殺害はロシアのテロ対策の『大きな成果』」(7月11日付 読売新聞)などと報じている。けれども、エネルギー政策やイラン核問題などで国際社会から警戒心をいだかれている議長国ロシアが、サミット中にほとんど批判を受けずに済むもっとも効果的な方法は、サミット期間中にバサーエフにテロを実行させることではなかっただろうか。ちょうど昨年のサミットの議題が「ロンドン同時多発テロ」によって「対テロ戦争」一色に覆われてしまったように、バサーエフに大規模なテロを起こさせることによってロシアが得たはずのものも、また少なくないように思われる。また、サミットの有無に関わらず、チェチェン独立派の中枢にバサーエフを据えておくことは、チェチェン戦争の継続を望むロシア当局の思惑にも沿うものではなかっただろうか。

もっとも、バサーエフの死がロシア側の利益を損ねるものであるかというと、必ずしもそうとは言い切れないだろう。たとえば、北朝鮮による先日のミサイル発射問題に関して、コメルサント紙から「インターネットで発射を初めて知った」ことを暴露され、批判の矢面に立たされているロシア軍部が、自らの索敵能力をアピールするためにバサーエフを殺してみせたという可能性もある。より可能性が高いのは、バサーエフにこれまでのような利用価値がなくなったというものだ。米軍がイラクでのプロパガンダキャンペーンの中で「ザルカウィと呼ばれる男達」を必要としていたように、ロシアにも「対テロ戦争」を推進するためにわかりやすい「敵」が必要だった。彼らが消されることがあるとすれば、それは、彼らの生死が状況の大勢に影響を及ぼさないと判断された場合、あるいは、彼らがわかりやすい「敵」として動いてくれなくなった場合などではないだろうか。

いずれにせよ確実なことは、ロシアとの対話を望むマスハドフの遺志と権力を継ぐ者がチェチェン独立派政権内部に現れることを、ロシア側が望んでいないという事実である。なぜなら、そうした人物の存在は、誰がチェチェン問題の平和的解決を妨げているのかを国際社会に対して明らかにしてしまうから。

バサーエフの死が一人のテロリストの死として片付けられてしまうなら、一人のテロリストの誕生にロシアが責任を負っていたことも、また語られることはないだろう。バサーエフの死が意味するもの、それは彼の遺志を継ぐ者たちの新たな誕生だと思う。(チェチェンニュース編集室)