女性たちのチェチェン戦争

ootomi2006-08-31


8月30日、チェチェンの首都グローズヌイで、女性たち約100名による抗議デモが行われた。彼女たちは、行方不明になっている家族の写真を手に、街頭に繰り出した。ヒューマン・ライツ・ウォッチの統計によると、チェチェンでの行方不明者は約1万8000人とされる。

プラハ・ウォッチドッグ

http://www.watchdog.cz/?show=000000-000008-000001-000421&lang=1

2006年8月30日 ルスラン・イサーエフ

チェチェン グローズヌイ

本日、女性たち約100名が、家族が誘拐され違法に拘留されている状況を訴えるために、チェチェンの首都に集まった。彼女たちは家族の写真を掲げて丸一日待ち続けていたが、公式な回答は得られなかった。

多くの女性たちは、第2次チェチェン戦争の間に誘拐された男性や若者の写真を2〜3枚掲げていた。

インタビューをした女性は、当時学生で、覆面を被って武装した男たちに自宅から連れ去られた3人の息子の行方を4年にわたって追い続けていた。「どこへ行っても、当局が無関心で私たちを助けてくれようとしないことを思い知らされます」と彼女は語る。

隣に立っていた彼女の姉は、トラックの前で農業用の靴を履いている若い男性の写真を掲げていた。彼は彼女の一人息子で、2002年にシャリンスキー地区のメスケル・ユルト村で誘拐された。

少し離れたところに、大きなベッドシーツを広げて、2人の少女と、軍部に誘拐された若い母親の写真を貼りつけている女性がいた。シーツにはこう書かれてあった。「お母さんを返して!」

また別の女性は、誘拐された彼女の息子の写真と、彼らの消息に関する情報公開を求める嘆願状を、チェチェン親ロシア派政府首相のラマザン・カディーロフに渡してもらえないかとジャーナリストに懇願していた。

「彼らがどうなったかを知ることが私たちにとっては重要なのです。私たちには彼らの死を受け入れる準備があります。けれど、もしも奇跡が起こって彼らが生きているなら、彼らが今どこにいるのか、私たちには知る権利があるでしょう?」と、彼女は涙をこらえながら言う。

チェチェンでは、行方不明者の母親たちによるデモは幾度も行われている。第1次チェチェン戦争が始まってから、今日のようなことは何百回となく繰り返されてきた。だが、当局は彼女たちの訴えをひたすら無視し続けてきた。けれど、チェチェンの母親たちは、この問いに対する答えが得られるまで、決して諦めはしないだろう。「私の愛する人は、誰に連れ去られていったのですか?なぜ殺されなければならなかったのですか?」