ラジオ・リバティからの記事、いくつか

10月11日以降のラジオ・リバティより、ポリトコフスカヤ暗殺に関する続報です。(邦枝律)

カディーロフ、ポリトコフスカヤ暗殺容疑を否認

2006年10月11日 ラジオ・リバティ
http://rferl.org/featuresarticle/2006/10/8186F7D1-2825-498F-AFC0-E5B624271F66.html

アンナ・ポリトコフスカヤは、暗殺された当時、チェチェン親ロシア政権のボス、ラムザン・カディーロフの不正や市民の誘拐や殺害を含む人権侵害について調査をしていました。というわけで、カディーロフは事件の主要な容疑者の一人であるわけですが、当のカディーロフのコメントは「俺は女は殺さない」というもの。どこから突っ込めばよいのやら。ちなみに、プーチン大統領は、ポリトコフスカヤの記事によってカディーロフの「政治的業績」が損なわれることはない、と発言したそうです。彼の「政治的業績」というのは、不正とか、市民の誘拐とか、殺害とかのことでしょうか。

「最後の希望」としてのポリトコフスカヤの葬儀

2006年10月11日 ラジオ・リバティ
http://rferl.org/featuresarticle/2006/10/955DF0B0-A445-46EF-A7F8-A49B36A501E8.html

ポリトコフスカヤの葬儀の様子や、彼女の死に対する関係者の反応が紹介されています。

事件のもう一人の容疑者であるプーチン大統領は、葬儀の当日、ドイツのメルケル首相との首脳会談の中で、事件を「おぞましく残酷な犯罪」と非難しながらも、事件の影響を「極めて取るに足らない」ものとして、「彼女は欧米のジャーナリズムや人権活動家の中では著名だったが、ロシアにおける政治的な影響はごくわずかにすぎない」などと断言しています。要するに、ロシアの政治にはジャーナリズムも人権活動もおよびでないと言っているわけですね。すさまじい「言論の自由」です。

一方、チェチェンの人々の反応はというと、「ジャーナリズムや現在の情勢に対してまったく興味を持っていないように見える人々でさえ、すっかりパニックになっている」そうです。

「彼女はチェチェンで起こっている恐ろしい出来事に関する真実を伝えてくれる唯一の人でした・・・私たちにとってもっとも素晴らしい代弁者が殺されてしまったのです。私がどれだけ狼狽しているか、言葉ではとても表現できません。私は彼女の『ノーヴァヤ・ガゼータ』の記事をすべて持っています。絶望に陥ったときには彼女に連絡できるように、彼女の住所や電話番号も控えてありました。彼女は私の最後の希望だったのです」(セルゼン・ユルト村の女性 アミナ)

「彼女が殺されたという知らせを受けたとき、生まれて初めて涙が止まらなくなりました。男が泣くなんてみっともないですよね。でも、今日は自分が泣いたことを恥ずかしいとは思わない。彼女は私たちに献身して亡くなったのだと思います」(パリ在住のチェチェン人男性 アプティ)

「私は彼女が殺されるかもしれないという不安をつねに抱えてきました・・・心が張り裂けそうです・・・彼女は、唯一の人でした。この広い国の中で、彼女ほど、私たちのことを考えてくれる人など、もうどこにもいません」(オランダ在住のチェチェン人女性 ダグマル)

「彼女の代わりが再び現れるなんて、私には思えません。ジャーナリストたちは怯えきっています。自分の命を賭けてまで彼女のようなことをする人が現れることはないでしょう。まるで二人の息子が殺されたときと同じように、彼女の死をどう受け止めればよいか、わかりません」(トルコ在住のチェチェン人女性 ライラ)