モスクワ劇場占拠事件から5年(1)

 2002年10月にモスクワ劇場占拠事件が起こってから、明日で5年になる。事件は、チェチェン人テロリストが約900人の人質を取ってモスクワのドゥブロフカ劇場に立てこもった10月23日に始まり、ロシア軍特殊部隊が劇場に強行突入した10月26日に終わった。少なくとも、ロシア政府の公式説明では、そういうことになっている。
 けれども、どんな事件にも、公式説明が語ろうとしない事実がある。モスクワ劇場占拠事件の場合、それは、チェチェン人「テロリスト」の要求がチェチェンからのロシア軍撤退であったこと、アンナ・ポリトコフスカヤと実行犯グループの交渉によって実行犯グループが人質の解放に合意した直後にロシア軍特殊部隊が強行突入を行なったこと、特殊部隊の使用した軍用ガスによって129人以上の命が犠牲になった(当局が軍事機密を盾にガスの種類を隠し通したため被害者は誰一人として適切な治療が受けられなかった)こと、実行犯の中にロシアの特務機関員が混ざっていたらしいこと、ロシア当局が事件の発生を予期していながら予防しようとしなかったこと…そして、最も肝心なのは、誰が129人の死に対して責任を負っているのかということがいまだに突き止められていないことである。

 事件から約2年が経った2004年7月、モスクワ劇場占拠事件の捜査本部が解散した。報告書には、大部分のテロリストの身元も、129名の命を奪ったガスの正体も、誰がガスを使う決定を下したのかも書かれていなかった。それどころか、書かれている内容自体、そもそも事実とかけ離れていた。ポリトコフスカヤは、著書『ロシアン・ダイアリー』で、報告書の矛盾を辛辣に批判している。

 カリチュクが署名をした報告書の結論にはあまりにも事実が少なすぎる。テロリスト全員が眠り込んだ状態だったと発表され、これは作戦の成功だったとされていた。しかし彼らをなぜひとり残らず殺したのかというくだりで、著者の詳述もきわまる。テロリストが眠り込んでいたという発表など知らぬかのごとく、カリチュクはこう記す。「彼らは十三丁の突撃ライフルと八丁の拳銃で激しく応戦してきた」
 こうして報告書は大円団を迎える。「ロシア連邦の権威ある諸機関が下した適正な決定および諜報機関の優秀な諜報員が講じた措置によって、テロリストたちの犯罪は終息し、国際舞台においてロシアの権威を失墜させるやもしれぬ更なる悲惨な事態が回避された」

 もしも、この報告書をもって事件が解決されたと考えるなら、当局が事件の真相究明を求める遺族に対して「検死のためにおまえの息子の墓を掘り返してやる」(アンナ・ポリトコフスカヤ著『プーチニズム』)と恫喝することすら、肯定しなくてはならなくなるだろう。ロシア政府が事件を「解決」するために用いてきた手段は、そして、これからも用いようとしている手段は、一言でいえばそうしたものだから。

 今週で5周年を迎えるこの事件について、大きく取り上げているメディアはまだ見つからない。ノーヴァヤ・ガゼータが掲載した短い記事によると、遺族は独自の調査団を立ち上げ、欧州人権裁判所に提訴したという。
 http://www.novayagazeta.ru/data/2007/78/38.html

 モスクワ劇場占拠事件はまだ何一つ終わっていないと思う。(邦枝律)