ドゥブロフカ劇場占拠事件から5年

2007年10月23日 プラハ・ウォッチドッグ
オレグ・ルキン

 2007年6月1日、モスクワ検察庁は、チェチェン・ゲリラが「ノルド・オスト」の観客900名以上を人質に取ったドゥブロフカ劇場占拠事件の公式調査を打ち切った。
 公式調査によると、人質のうち占拠犯に直接殺害されたのは5名で、少なくとも125名がロシア軍特殊部隊による救出作戦によって死亡したという。ロシア司法当局は、ロシア当局に委託された業務を忠実に遂行した。こうした人々の死に責任を持つ人々に対する訴追は行なわれていない。当局はテロリストを「粉砕した」と発表した(ただし、行方が「判明していない」2人を除いては[訳注:ゲリラの一人として襲撃に参加し、特殊部隊の突入寸前に姿を消した人物に、ロシア側特務機関員と見られるハンパシャ・テルキバエフがいる])。
 負傷した人質に対する応急医療について、公式調査はこう記す。医療は専門家によって適切かつ迅速に施された、と[訳注:ロシア当局は、ガスの種類を問い合わせた医師に対しても、軍事機密を理由に沈黙を通した。このことは何度指摘しておいてもよいと思う]。人質の救出にともなって大勢の命が失われたことと、「調査によっても成分の判明しない」ガスの使用との間には直接的な因果関係はなく、「極めて好ましからぬ要因(慢性病、食料不足、脱水症状、ストレスなど)の複合的結果が人質を死に到らしめた、と。
 念を押しておくが、これは公式調査による説明である。そして、山のような証拠は、当局製の事実に異議を申し立てている。
 

ガスは死をもたらしたか?

 人質に対して使用されたガスの危険性についての見解はいくつかある。

 B.M.ブロヒン(医学)博士は、9月28日、人質を死に到らしめたのは、ガスの毒性というより、移送手段の不備によると主張した。当局は作戦中に全身麻酔のようにガスを人質に対して撒き散らした。このため、被害者は、人工呼吸と、舌を飲み込ませないための措置(意識不明の状態では自分の舌を飲み込んで窒息する可能性がある)が必要な状態に陥った。こうした状態のまま人質を運び出すことは、非常に危険だった。また、ガスが撒き散らされたのは午前5時半前後だったが、被害者が運び出されたのはそれから1時間半後だったことも忘れてはならない。状況が混乱していたことで、被害者を病院に運ぶまでにさらに時間がかかったということも。こうして、大勢の人質は特殊部隊が劇場に突入する前にすでに死亡していたが、それは当然の帰結だった。このことは公式調査からでさえ見て取れる。公式調査によると、114人は劇場で死亡が確認されたという。
 (Agentura.Ru)のアンドレイ・ソルダコフ記者も、ガスの使用は、人質の人命を故意に無視する、あからさまに危険な賭けだったと確信している。ソルダコフ記者が入手しているデータによると、ガスの効果を緩和するには解毒剤を吸入させるほかないが、短時間で大勢の被害者にそうした措置を施すのは、明らかに非現実的であるという。
 ところが、事件の真相はさらにひどいものだった可能性が高い。「ノルド・オスト」被害者の会の評議会委員を務める(事件で14歳のN.ミロヴィドワを亡くした父親でもある)ドミトリー・ミロヴィドフは、ラジオ「モスクワのこだま」(『出口を求めて』)に出演し、劇場で使用されたガスは解毒剤がない種類のものだったと発言した。これに関しては、同番組に出演したアナトリー・エルモリン(元FSB将校/特殊部隊「ヴィンペル」元指揮官)も間接的に認めている。エルモリンは、「『ノルド・オスト』によって、このガスを使用できないことが明らかになった――我々が出さなければならない最初の結論は、そのことだと思う」と述べた。
 「ガス攻撃」の後で病院に運ばれた人質の大半が(何人かの特殊部隊員も)生き延びたと反論することもできるかもしれない。結局のところ、ガスにはたいして致死性はなかったのではないか、と。けれども、忘れてはならないのは、劇場に混入された化学物質は極めて濃度が高かったということである。こうした状況を何とか耐え抜いた人質の中には、水を吸わせた衣服を通じて呼吸をし、毒による被害をわずかでも減らそうとした人たちもいる。一方、最前列にいた人質は、最も濃度の高いガスを吸わされることになったが、最後まで運び出されなかった。おそらく最も死亡率が高かったのが、最前列にいた人々だった。

ガスは救いをもたらしたか?

 とはいえ、事件についての公式発表を支持する人々は、ガスの使用によって大勢の人質が救われ、テロリストが劇場に設置していた爆弾の起動を防いだと主張する。けれども、この主張は批判に耐えられるものではない。
 使用されたガスは、目に見えるもので、即効性はなかった。これは、人質自身と、劇場への突入作戦に参加した特殊部隊員の証言によっても裏付けられている。公式調査でさえ、何人かのゲリラが約10〜20分の間意識を保っており、13丁のライフルと8丁の銃で応戦してきたと報告している。さらに、こうした状況は、(ガスが混入されなかった)ロビーだけでなく、劇場内でも起こっていた。
 劇場が爆破される恐れが極めて現実的なものであったことは、とりわけ突入作戦に参加したセルゲイ・シャヴリン(当時の襲撃作戦司令官)が主張するところである。

 ―司令部の予測では、死傷者が発生し、銃撃戦と爆発が起こり、大量の犠牲者が出ることは避けられないというものだった。ところが実際はどうだったか?突入作戦によって、爆発が防がれ、800人以上がガスの被害から回復した。これほどうまくいくとは誰も思っていなかっただろう。
 ―爆発は予想されていたということですか?
 ―そうだ。テロリストがうようよいたからな。誰かが爆破装置を起動しないとも限らなかった。
 ―なぜテロリストは一人も自爆しなかったのでしょうか?ガスには即効性がなかったというのに。
 ―我々が劇場に突入したとき、女性自爆テロリストがいた。奴は椅子に座っていた。目を開けて、電極を持っていやがった。あとはそれをつなぐだけでよかったはずだ。なぜ奴がそうしなかったかって?知るもんか。命令を待っていたのかもしれないな。時間は充分あったんだから・・・。
 ―爆発が起こっていたとしたら、どれくらいの人が助かったのでしょうか?
 ―10%も助からなかったんじゃないか?もちろん別のシナリオもあったがな。テロリストどもが、特殊部隊を劇場に誘い込んでおいて、誰かが無線信号を使って外から劇場を吹っ飛ばすシナリオが。そうすれば何もかも終わっていた。

 爆発は、内部からも外部からも起こらなかった。確かに女性テロリストの挙動は極めて不自然だった。劇場を爆破し、人質ごと自爆することもなく、彼女たちはスカーフで顔を覆ったまま人質と一緒に床に倒れていた。約10分で全員が意識を失った(参照)
 なぜテロリストは自爆しなかったのだろうか。公式調査もこの点について説得力のある答えを出せずにいる。著者のもとに寄せられたデータからは、爆破が技術的に不可能だったという結論に辿り着かざるをえない。
 劇場への突入作戦が始まる前から、元KGB将校で、コメルサント・ヴラスト誌に所属する専門家は、劇場を占拠しているゲリラを映したNTVの録画映像を吟味し、ある特徴を挙げていた。それは、、「自爆女性」が、テレビカメラの前で起爆装置の配線をもてあそび、自爆ベルトに電極をわざとらしくつないだり外したりしていたことである。退役将校は、ベルトはおそらく完全装備のものではなく、電池も起爆剤も入っていない可能性があると結論づけた(ヴィクトル・ステパコフ著『ノルド・オストの戦い』、2002年11月10日号)。この仮説の正しさは、後に複数の情報源から確認された。
 突入作戦後に、アンドレイ・ソルダコフ記者は、こう書き記している。「我々が入手した情報によると、ベルトに実際に爆弾を巻いていた女性はたった二人だけだった・・・」
 さらに、20キロのプラスチック爆弾を含む鉄製シリンダーから製造した爆弾が、劇場の襲撃時には起動しない状態だったことが明らかになった。起爆剤につながれた配線はバルコニーに続いていた。ところが、テロリストがロビーに集まっていたとき、バルコニーには誰もいなかったのである。
 同様の情報は、ヴァーシヤ新聞の編集長のもとに送られた匿名の手紙にも書かれていた。「私は、テロリストの襲撃当時、ドゥブロフカで勤務していた検察調査官です。貴紙が45号(11月18-24日)で挙げていた疑問にお答えしたいと思います・・・
 爆発に関して言うと、すべての爆弾が起動可能な状態にあったわけではありませんでした。爆弾の殆どはダミーでした。女性たちが身に付けていた爆弾は本物でしたが、起動できる状態にはありませんでした。さらに、この情報はすべて本部に伝わっていました。ゲリラが劇場を占拠した初めの日から、本部は監視装置を用いて、ゲリラの音声と映像を拾っていたのです。また、ゲリラの遺体からは往復旅券つきのパスポートが発見されましたが、これも本部がすでに把握していたことでした」
 テロリストがダミーの爆弾を使っていたという情報は、ユリヤ・ユージック記者が著書『アッラーの花嫁たち』で検証している。ユージック記者は、匿名のFSB将校とFSB中佐からの証言を引いている。
 当局は、独立調査を行なおうとする人々に対して、過剰ほど神経質な反応を示してきた。アンドレイ・ソルダコフと、ヴァーシヤ紙の記者たちは、幾度もFSB の取り調べを受けた。ユリヤ・ユージックは、チェチェン共和国に戻れば失踪させられる恐れがあるため、チェチェンから亡命した。彼女の著書『アッラーの花嫁たち』は、ロシアですぐに出版禁止になった(ちなみに、著者と直接やり取りをしたい方は、彼女のブログにアクセスするとよい)。
 ドゥブロフカへのテロ攻撃と、人質の解放にともなって大勢の命が失われたことは、政府高官を含め、ロシア当局者の大半にとって、関心事項ではないようだ。けれども、元人質と遺族たちは、誰が事件に責任を負っているかをロシア当局に問うために、最後の望みを託してストラスブール欧州人権裁判所に提訴した。

原文: http://www.watchdog.cz/?show=000000-000008-000001-000466&lang=1