アナスターシア・バブーロワによる、スタニスラフ・マルケーロフへのインタビュー
「人間は国家に対して守られるべきだ」
このインタビューは、バブーロワがスタニスラフ・マルケーロフから1月5日にとったもの。そのテーマは下院のスキャンダラスな決定にあった。スパイ事件、テロ事件、大衆騒乱を起こすなどという、陪審裁判になるべき事件を裁判所が扱う権限を奪うというものだった。しかし、他のテーマにも話は広がった。
これはナースチャ(アナスターシア)が用意した最後のインタビューだ。そしてノーヴァヤ・ガゼータがスタニスラフにした最後のインタビューでもある。
Q:下院が重要事件の審理には陪審裁判(суд присяжных)を廃止したことをどうお考えですか?
A:反逆行為、スパイ事件、テロ、大衆暴動などの犯罪の陪審制度を裁判所の管轄から除外したことは、有効なファクターとしての陪審裁判制度を廃止したことを意味します。陪審裁判制度に対する非難がもっとも多かったいわゆる強盗、ギャング行為のたぐいには陪審裁判を残すことになることに注目してほしい。
ヨーロッパで、反逆罪を陪審裁判から除外したのはスペインと北アイルランドだけです。アイルランドの隣の北アイルランド(英国領)では、戒厳令がしかれロンドンの直轄が宣言されました。スペインの例で言うと、バスクのテロの関連で、事実上の戒厳令がしかれています。
ロシアでこの法律を作成した者たちは、戒厳令がどんなものかの説明はしていません。ロシア連邦の刑事訴訟制度を根本から変えてしまう法制度の根本的変更の添付書を読めばわかるが・・・・
この添付書類のボリュームがどんなものか想像できますか? たった、一ページで、たった一つのパラグラフ!それでおしまい、しかも何一つ根拠らしいことは書いてない。通常、法律の変更ならどんなに小さなことでもその注解が4−8ページにわたってついているのに、ここではわずか一ページ、たった一つのパラグラフです。
下院でこの法案をまんまと通してしまった議員たちの説明から判断するに、この法案はsui generisの原則によって、つまり、特定の件に関して施行されたものなんです。
特定の件ーーつまり証拠において法執行機関が疑われるような事件の審理の準備だ。つまり陪審裁判の関与なしにこれらの事件の判決を最初から裁判所が決めてしまうことが目的です。と言うのも、我が国の法執行機関は、そして今では立法機関も陪審裁判の判決がこれらの機関の利害と合わないことを恐れているわけです。
法体制がsui generis の原則で変わるようになるなら、つまり、法の実践が特定の件について変わるとなれば、我が国の法体制がそのものが廃止されると同じことだ。つまり、我が国では法律はなく、法保護機関がアレンジする法の適用だけがあることになります。
これは行政罰が本質的には刑事犯罪のレベルまで拡大されることにも関連する。つまり、そうした行政罰は市民のための保護などとは関わらなくなるということです(訳者 拘束された者の保護のこと?)。すでに今でも事件の実質的な本質の説明なしに行政的違法行為調書が裁判所によって突貫工事の勢いで(стахановском порядке)確定されているのが実状です。
裁判官たちは事件を説明(разъяснение)している暇がない。これがたとえば数ヶ月の拘留であればこの体制に陥った者は実質上防御されません。人が刑務所に数ヶ月拘留されるとはどういうことか考えてみてほしい。
これは人生をぶちこわされたも同然。失業、稼ぎ手を失った家族、社会的なつながりの喪失。これはとても深刻な処罰で、本質的には刑事罰と同じようなものです。我が国ではそういうことを行政的違法行為に対して適用使用というのです。犯罪ではなく違法行為というだけで。ほんのわずかの誤りに対してもそんなふうに裁こうというのは、どこまで我が国では国民を信頼していないのだろうか?
Q:騒乱を起こすということについての項目は、反対派の取り締まりの新たな可能性を開くことになるのでは?
A:国事犯罪は、たいてい何らかの形で異端的な考え方に関わっているものです。そうした考え方が、時として違法であったり、犯罪がらみであったりすることはある。
テロリストがその思想に発して犯罪を起こすなら、もちろん彼は犯罪者であるけれど、同時に異端者でもある。かれが使うことにした手段が、社会ではまったく受け入れがたい闘争方法だったというだけのことだ。
しかしこれが社会的な裁判に掛けられれば、陪審員の名において、異端の考え方を取り締まろうとしているのか、あるいは方法方を取り締まるのかをを判断するわけです。当然、後者の場合は、容疑者の機嫌をうかがうことなく、それ相当の罰が下される。しかし、社会的な陪審裁判が行われないなら、事実上、国家の勝手な判断で決まってしまう。
Q:新しい手順が想定しているような、職業裁判官三人からなる部会になると、客観的な判決を下せるようになるのでしょうか? 陪審裁判と比べてどうでしょうか?
A:裁判官というのは国家官僚なので、必ず権力構造に組み込まれています。司法の独立といくら言葉で言っても、統計をみてほしい。どれだけの裁判官たちが失職しているか? そういう裁判官は実は多いのです。それではやめさせられた裁判官のうち市民からの不満によるものがどれだけあるだろうか? ほとんどゼロだ。
つまり、裁判官たちは裁判所の上下支配にがんじがらめになっているということです(訳者:上からの命令でやめさせられている者がほとんどということ)。司法上下関係は政権の上下関係に組み込まれているので、裁判官が三人いようが、一人だろうが、ある種の事件を扱う場合には、法的な動機ではなく、いわゆる国家の利害、あるいは役所の利害を考えて判断することになる。
Q:ブダーノフ元大佐の仮釈放について。この決定はチェチェン市民の抗議行動をひきおこすでしょうか?
A:北コーカサスの状況は社会的要因も、心理的な要因によるものもある。これはロシア全体の状況とはかなり異なっている。チェチェンではこのような決定にかならずしも直ちに反応がでるわけではないです。社会的な不満が爆発して、そのあとすべてが忘れられてしまうような反応は。コーカサスの反応はもっと長期的だと思いますね。もっとあとで、発生するーーそして、北コーカサスでは誰も何も忘れることはない。
仮に犯人が、たとえばチェチェンの野戦司令官や、分離主義やイスラムの掟にもとづいて行動している本物のギャングどもだったら、誰も仮釈放などしません。
ここで問題にしているのは同じレベルの犯罪、つまり ほとんど同時に起きた、ある個人に対するいくつもの凶悪犯罪のことだ(訳者:たぶん強姦、殺人のこと)。ブダーノフ大佐の所業については世論に対するより否定的な影響だってありうる。
というのも、チェチェンの分離主義者や過激派のイスラム教徒たちは、その犯罪をロシア連邦のスローガンのもとに行ったのではなく、その権力に反抗して行っていたわけです。ところがブダーノフの場合、まさにロシアの政権、ロシアの強権機関を代表していますから、当然、彼の行為はロシアの政権の権威失墜を招きます。そして、今、司法がその信用失墜を受け継いでいる。同じ国の同じ武力紛争における同様の犯罪の判断に客観性を期待することはできない、ということを示してしまったのだから。
Q:一連の動きは、どのような結果をもたらすのでしょうか?
A:これによって北コーカサスの人々が、ロシアの司法は機能していないと確信することになる。ロシアの司法は政治的な指図によって働き、政治的機能をはたし、客観性や普遍性の原則を破っていると。
Q:具体的にはどういう事態になるのでしょうか?
A:社会の不満が爆発するか、あるいは長期の隠された恨みとなり、かなり不愉快な結果になることは避けられないと思います。
アナスタシヤ・バブーロワ
http://www.novayagazeta.ru/data/2009/005/18.html