ブダーノフの後継者たち

アンドレイ・バビーツキー(プラハ・ウォッチドッグへの特別寄稿)

スケープゴートにされた大佐

 ロシアの政府や裁判所がブダーノフ大佐を早期釈放した動機は法的に疑問であり、道徳的にも筋が通っていないことが明らかである。ロシアに住む普通の人びとが、反省のしていない精神病の殺人者(そして強姦犯でもあろう)が、表通りを自由に闊歩するのを見たいのだとしたら、尋常ではない。にもかかわらず、チェチェン当局によって組織された動きによってこの話の焦点は変わり、ブダーノフの事件は突然広く話題にされるようになったのである。

 ロシア陸軍の大佐に言い渡された判決は、もちろん不当なほど寛大であり、このことは人権擁護家や被害者の親族たちによって繰り返し指摘されてきた。しかし率直に言うならば、処罰されないままでいる膨大な数の同じような犯罪を背景して、ブダーノフの事件が例外的なケースであることを認めなければならないーー他に殺人や拷問、侮辱行為などを行った多くの人々が、軍事作戦に参加した場での責任は放免するという国家の庇護を享受しているのに対し、[ブダーノフのケースは]単独犯として、偶然あるいは意図的に犠牲にされたのである。

 どんな理由にせよ、結果として、ブダーノフはスケープゴートにされたが、彼が関与した殺人の責任は少しも軽減されない。しかしながら、こうした状況自体は、ロシア軍がチェチェンで行った犯罪行為の全てを背負った不幸な人物が表面上に投げ出されただけで、戦争犯罪や人道に対する罪の巨大な層は断固として正義から守られている事実に、タイムリーな反応を引き起こさせるであろう。政府がこの状況下でとった選択は、もちろんブダーノフへ同情するいかなる理由も私たちにもたらさないが、これはもし私たちが今日提起されるべき問題を理解しようとするなら、考えなければいけないことである。

チェチェンでの抗議運動を考える

 ブダーノフや、他のロシア人高官が、たまたま「相応の罰」を受けたとしても、政府の仕事はちっとも減らない。仕事とは、殺人や失踪、拷問の犯罪責任を明らかにし処罰するために、調査へと立ち戻ることである。人権擁護家たちがブダーノフの早期釈放に対してはらう注意は理解できる。選択的処罰とは関係なく、彼らは単純に個別の犯罪事件の内容を検討する。彼らの結論はまったくプロフェッショナルである――裁判所の決定はとても疑問に満ちている。

 しかし、チェチェンで組織された一大抗議運動は、クレムリンの選択的処罰の論理を完全に踏襲している。政府の視点から見て、ブダーノフは犯罪者である。彼の早期釈放はおそらく連邦レベルでの政治家の関与ないし支援は抜きに認められたものであり、それは状況を変えることはない。彼は、殺人の有罪判決を言い渡されたのであり、それは永遠にそのままである。

 一方、殺人、拷問、レイプを行ってきた多くのロシア軍高官たちは――欠席裁判で――いかなる刑事起訴からも守られ、その地位はそれゆえ無傷な、一人前の市民である。カディロフの公式人権機関はブダーノフの釈放に激しく抵抗したが、連邦政府のやり方に合法性の問題を提起することさえしようとしなかった。ロシアの大佐は裁判所の判決によって命令された期間の服役をするべきだと主張しただけに過ぎない。

 カディロフも人権オンブズマンのヌルディ・ヌハジーエフも、チェチェンで闘ったブダーノフのすべての犯罪の調査の必要性を言明することはしなかった。一つは、それが共和国の平定のための軍事作戦、プーチン政権の基盤である政策の正当性に疑義をはさむことになるからだ。そしてもう一つには(こちらがより重要なのだが)、フダーノフの事件は忘れられていないのである。カディロフ自身と彼の無数のギャングたちは、ロシアの大佐の才能をもつ成功した後継者たちであり、彼らはブダーノフの輝かしい功績を何度も反復し、最も極悪な報復の方法を使って目覚ましい前進を成し遂げている。

カディロフにとってのブダーノフ事件

 ここにはナショナリズムの強力な要素もある。カディロフはただ独りで絶対的な地位におり、チェチェン人を罰したり許したりする権利を認められている。なぜならチェチェン人たちは、カディロフがアッラーの意志かプーチンの意志かによって――程度の差はあれ彼にとっては同じことだと思われる――所有権を与えられた国民なのだ。

 彼とその血まみれの家来たちだけが、チェチェン人の血を流れさせることを認められているのであり、これは、ロシア人による介入がチェチェンの国内問題への干渉として公的に位置づけられるべきところでの、内密の手順である。彼のこのような国民感情を利用しようとする企ては、クレムリンによって隠されている他の多くの犯罪を黙って否定していることと相容れないのは明らかである。しかしこのことは、カディロフをあまり心配させていない。おそらく彼は、矛盾に気づいてさえいないのだ。

 現在はみっともなく釈放された不幸な、追い出された殺人者は、周縁の暗闇に完全に沈むことになるので、これ以上彼のことを聞くことは長年ないだろう。しかし他のブダーノフは――昨日はロシア人の名を名乗って、今日はチェチェン人の名を名乗って――、この世界でも次の世界でも、最後の報復と出会う夢を見ることさえない。そして彼らの犯罪の重さは、ロシアの国家と社会の道徳的構造の一部と、取り返しがつかないほど歪んだ私たちの人生を形成し続けるのである。

http://www.watchdog.cz/?show=000000-000008-000001-000498&lang=1
(藤沢和泉訳)