から騒ぎ−またもや意味のない選挙−
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2005年11月28日、プラハ・ウォッチドッグ/Petr Janouch
ヨーロッパでは、新聞の第一面と主要テレビのゴールデンタイムに、チェチェンが再び躍り出た。長期に及ぶ紛争がヨーロッパのジャーナリストにとってもはやセクシーでなくなってしまった今、これだけチェチェンが報道されるからには特別なことが起こっているはずだ。モスクワ劇場占拠事件の、ベスラン学校占拠事件の再現か?それともまた大統領が暗殺されたのか?よし、次は何だ?まずは死者の数を調べてそれから・・・あれ?どうやら違ったらしい。今回、そのセクシーさを報道されたのは、まったく別の話題であり、それはクレムリンのメディア戦略にも適ったものだった。新しい話題はこう呼ばれている−「投票」と−。
2003年3月に行われた「憲法制定のための国民投票」と、その後の連邦(2004年3月)および二度の地方(2003年10月、2004年8月)大統領「選挙」、一連の連邦議会選挙(2003年12月)に続いて、チェチェン人は投票能力を証明するために再び選挙箱の前に呼び出されたというわけだ。
(今回の)日曜日の選挙と以前のこうした選挙の間に殆ど違いはないだろう。投票した人間は(今回の方が)いくらかは多かったのかもしれないが、いずれにせよ公式に発表された投票率は実態とあまりにかけ離れている。こんな日には、不用意に外に出かけるよりも、家にいる方がましだと思うのは当然のことである。テロリストに襲撃される可能性も馬鹿にならないし、まして選挙の結果もあらかじめ解りきっているのだから。そう、選挙に行く必要など、どこにもないのだ。
例のごとく、連邦軍の兵士や国家公務員たちは投票しないわけにはいかなかったが、残りの大半の人々は、ただ家にいた。こうした選挙とは一体全体何なのだろうか?政治的にも社会的にも殆ど意味のないイベントが、なぜこれほど注目されなければならないのだろう?チェチェンにおける議会の役割を誰も知らないのだろうか?それが、隣国のダゲスタンやイングーシ共和国と同じであるとすれば、答えは「何一つない」というのが正解だ。
チェチェン人にとっては、どの政党が勝っても同じだったのだ。彼らは、勝利した親クレムリン政党が唱えていた(はずの)政治的主張を(選挙に先立って)聞かされることさえなかった。それは投票したロシア人にしても同様である。こうした政党は結局のところ、何らの政治的意見を代弁するものですらないのだから。
では、なぜ私たちは選挙「ごっこ」に参加し、チェチェンにおける議会「選挙」が果たして民主的なものであったか、共和国の正常化に向けての新たな第一歩となり得たか、などということを真面目に考える振りをしなければならないのだろうか?答えはこうだ。私たちはそう教えられているから。私たちは、チェチェンはロシア連邦内で自由な議会選挙が行われたことのない最後の地域であると繰り返し教え込まれてきたから。あたかも選挙で選ばれた議会が究極の安全保障となり、今日のロシアの繁栄につながっていくとでもいうように。
(選挙の)真の結果と実際の投票率がチェチェンに生きる人々にとってどうあれ−私たちはいずれにせよそれを知ることはできない−、先日の投票はまったく意味のないものであった。(今回の)選挙は、チェチェンの一般情勢にも、ごく普通の暮らしを渇望している100万人以上の人々の生活にも、何ら影響を与えることはないだろう。「選挙」がもたらすであろう最大の変化は、58名の議員−そのすべてが(チェチェン)「第一副首相」ラマザン・カディーロフの子分である−に家族予算が割り当てられるようになることであろう。そしてカディーロフは確実に定期的なリベートを受け取ることになるだろう。とはいえ、これはすでに慣習として今も行われているのだが。
私たちに注意を払わせるというただそれだけの目的のために行われたイベントに乗せられて、これ以上こうした政治茶番劇に参加してはならない。それを止めることは、礼儀にも尊厳にも適ったことである。そう、この日曜日には、チェチェンで何ひとつ特別なことは起こらなかったのだ。