ひとりひとりのストーリー

ootomi2006-10-01


「レバート・ヴァカエヴァさんの25歳の息子、カズベク・ヴァカエヴァさんは、2000年8月1日にロシア兵によって拘束され、それ以後消息は分かっていません。カズベクさんは『Internat』と呼ばれる拘禁施設に連れて行かれました」

「レバートさんは8月13日まで毎日、息子のための食べ物や衣類を『Internat』に届けていました。8月13日に『Internat』に行くと、『お前の息子はもうここにはいない。11日に釈放した』と告げられました」

「8月21日、ある村近くの墓地で、遺体が何体か発見され、その中にレバートさんが差し入れた服を着た遺体がありました。しかし遺体はカズベクさんではなく、同じく『Internat』に拘禁されていた男性でした。カズベクさんの行方について調査が行なわれましたが・・・誰が彼を連行して誘拐したのかについて・・・調査は行なわれませんでした」


「ひとりひとりのストーリー」というサイトがある。
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=251

これは、アムネスティがこれまで支援してきた22人をめぐる短い物語を紹介したサイトで、チェチェン人、レバートさんのストーリーもその中に収録されている。

レバートさんのストーリーは、彼女の物語であって、他の誰の物語でもない。にもかかわらず、彼女の身に起こったことは、1万8000人以上の行方不明者がいるチェチェンでは悲しいほど典型的な出来事だ。アムネスティは、レバートさんのストーリーを次のように結んでいる。

「紛争が続くチェチェンでは、ロシア軍による町や村に対する襲撃のあと、住民が『失踪』するケースが絶えません。アムネスティは、ロシア軍の留置所で最後に目撃され、その後行方が分からなくなった人たちの報告を受け取り続けています。そして、『失踪』した人びとはロシア軍によって拷問され、中には人知れず処刑されてしまったケースが多いと考えられています」

国連は、スーダンダルフール地域の紛争を「世界最悪の人道危機」と呼び、ダルフールPKO(国連平和維持活動)部隊を展開させる決議案を9月に採択した。最低でも22万5000人と推定されているダルフールの死者数は、チェチェンのそれとほぼ等しい。けれども、国連では、2001年4月20日を最後に、チェチェンでの人道危機をめぐってロシアに対する非難決議が提出されたことさえなかったように思う。

チェチェン人を見捨てる代価として各国政府が受け取ることができるかもしれないロシアとの政治的・経済的「友好関係」のために、世界は彼らの死の傍観者であることを強いられている。チェチェン人も自分たちと同じ人間であるという単純な事実は、沈黙させられたまま。

けれども、20万人とも25万人ともいわれるチェチェン戦争の死者数の背後には、数えられることもない多くの人々がいだく、悲しみや苦しみ、怒り、そしておそらく憎しみが、ある。「ひとりひとりのストーリー」は、そのことを世界に思い出させてくれる。私たちが、彼らの死の傍観者ではなく、生の目撃者にもなれるということを。

チェチェンの人々に「ひとりひとりのストーリー」があるように、私たちも「ひとりひとりのストーリー」を持っている。私たちの物語の中にチェチェンを置き、チェチェンの物語の中に私たちを位置づけるためにはどうすればよいのだろう。そういった問題意識を読者の方々と共有していければと思います。(邦枝律)