「もう一つのロシア」活動家、殴打され死亡

[もう一つのロシア 12/12]
原文: http://www.theotherrussia.org/2007/12/12/severely-beaten-activist-dies/

 12月10日、午後5時頃(モスクワ時間)、「もう一つのロシア」の活動家、ユーリー・チェルヴォシキンが、ブルデンコ病院の神経外科で死亡した。チェルヴォシキンは11月下旬に昏睡状態で運び込まれてから入院していた。チェルヴォシキンは、生きていれば12月31日で23歳になるはずだった。
 チェルヴォシキンと親しかった人々は、彼を殺したのはUBOP特殊部隊であると述べている。国家ボリシェビキ党のウェブサイトが報じたところによると、UBOPの将校たちは執拗に若者を脅迫していたという。「ユーリーの死は、反対派すべてに対して新しい時代が訪れたことを象徴しています。ロシアの体制派は、紛れもなく独裁体制に変質しており、反体制派からの最初の犠牲者をプーチンの後継者に捧げたのです」(ウェブサイトによる声明文より)

 ユーリー・チェルヴォシキンは、「もう一つのロシア」のモスクワ州・議員候補の一人だった。2007年11月22日、チェルヴォシキンはモスクワ郊外のセルプホフで殴打され、自宅アパートの入口近くで意識不明の状態で発見された。UBOPの将校は、チェルヴォシキンが別の場所で発見されたと主張しているが、目撃者の証言とは噛み合っていない。

 襲撃される一時間前、チェルヴォシキンはSobrok@ruの編集部に電話を掛け、UBOPの隊員たちに監視されていると告げていた。チェルヴォシキンによると、彼らは以前彼を拘束したメンバーだったという。

 遺族が失望し驚愕したことに、事件の捜査が開始されたのは、チェルヴォシキンの死後のことだった。母親のナデジャ・チェルヴォシキナは幾度も軍のオフィスから追い払われ、「逮捕された容疑者はいない」こと、取り調べがまったく行われていないことを知らせれた。

 「彼らはこの三週間何もしていないだけでなく、息子を葬ることさえ許してくれないのです。彼らは、息子の遺体を、六カ月間も遺体置き場に置いておくつもりなのです」(ナデジャ・チェルヴォシキナ)