RFE/RL via ChechenWatch:チェチェン共和国・サドゥラーエフ大統領へのインタビュー

6月4日づけの「チェチェンプレス」は、サドゥラーエフ大統領が、「ラジオリバティーチェチェン語放送」記者の質問に答えたインタビューのロシア語訳を掲載した。このインタビューには、マスハードフ大統領の殺害後の大統領職務継承の裏話が詳しく語られている。

Интервью Президента ЧРИ А.-Х. Садулаева радио «Свобода»
Чеченпресс, Отдел СМИ, 04.06.05г.

6月3日、チェチェン共和国(イチケリア)大統領アブドゥルハリム・サドゥラーエフは「ラジオリバティーチェチェン語放送のインタビューに応えた。紹介するのはチェチェン語からロシア語に訳されたものの重訳である。

マルターノフ、バウーディー: ドイクル・エヴレ(訳注:トルストイ・ユルト村のチェチェン名)でチェチェンの大統領アスランマスハードフで殺されて3ヶ月が経とうとしています。ロシア指導部の目論見では、マスハードフの死をもってチェチェンでの戦争は終息するというものでしたが、これは外れでした。戦争は続き、ロシア軍にあたえるチェチェン戦士達の攻撃は弱まりません。今、チェチェン抵抗運動は、アブドゥルハリム・サドゥラーエフによって指導されています。彼は自分の最初のインタビューとして、「ラジオリバティー」の質問に回答してくれました。この取材はアユーボフ、アスランが行いました。

アユーボフ、アスラン: アブドゥルハリム・サドゥラーエフは、チェチェン戦士達の上に立つことは考えもしなかったことでした。しかし、今年の3月彼の人生は一変しました。3月8日、ドイカル・イェウラでロシア軍との戦闘の中でアスランマスハードフチェチェン共和国大統領が死亡したのです。この事件からまもなく、ウルス・マルタン新しい指導者を決めるため、マスハードフの命令で創設された会議、チェチェン共和国国家防衛評議会(GKO=MS)が招集されました。この会議に参加したメンバーの一人が我々に語ったところによると、当初、レジスタンスの指導者にはシャミリ・バサーエフが推されました。しかし、彼はアスランマスハードフが自分の後継者にアブドゥルハリム・サドゥラーエフを推していたことを理由にその受け入れを拒みました。こうして、38歳のアリム(イスラム学者)がチェチェン抵抗運動を指導して行くことになったのです。A-Kh・サドゥラーエフは、彼が副大統領に指名された経緯を次のように語っています。

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: 2001年にアスランマスハードフは、この責務について私を指名する大統領令を書きました。しかし、永いことそれは公表されませんでした。というのは、この指名に私自身が同意しなかったからです。もとより私は、大統領の発するいかなる命令にも喜んで従う決意でしたが、このような責任の重い地位につくことは望みませんでした。しかし、2002年、アスランマスハードフは、私の副大統領指名に関する審議を国家防衛評議会(GKO=MS)に提起しました。それでGKO=MSは、私の候補を確定し、自分が新任務に従うよう指示したのです。私は、私には進んで指導的地位を志向する気持ちは一切なかったので、いつかアスランマスハードフに替わって大統領職を引き継ぐということなど、考えもしなかったし、考えたくもなかった。ただ今日は戦時であり、我々は自らの任務果たさねばならない義務があるのです。我々が自国から占領者を一掃した暁には、我が国民は自由な選挙を実施して、自らが最適と判断する指導者を選ぶことが出来るのです。  

アユーボフ、アスラン: アスランマスハードフの死はチェチェン戦士達にとって大きな打撃だとアブドゥルハリム・サドゥラーエフは語っています。しかし、同時に戦争は一個人のものではないので、アスランマスハードフの死は、戦争を停止させるものではないとも語っています。

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: 我々にとってマスハードフの死が大きな損失であることは、全ての者が等しく認めることです。しかし、この戦争は民族解放戦争であり、一個人のものではないのです。いかに卓越した光栄ある英雄で彼があったとしても、彼は民族の一構成員でしかなく、その全てではありえません。ですから、指導者の死は、ジハード(イスラム教徒の聖戦)を止めるものとはなり得ないのです。生き残っているものが、戦いを続けていくことになるのです。

アユーボフ、アスラン: 我々は、アスランマスハードフの路線から、いかなる変更を目指すのかについてA-Kh・サドゥラーエフに質問しました。.

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: 我々の任務に変更はありえません。我々は我々の路線が正しいものだと確信しています。アスランは、自らが指揮する大業の意義に精通していました。そしてそれに自らの生と死を賭けました。その大業に向かって目を見開いて、その人生を捧げました。我々の路線には停滞も変更もあり得ません。そんな必要を私は感じていません。

アユーボフ、アスラン: A-Kh・サドゥラーエフは、チェチェン民族にとって国家の独立達成こそ、必要な唯一の道であると考えています。自らの独立国家にあってこそ、チェチェン人は自らの名誉と正義を保つことが可能だと考えています。

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: 国家の独立達成、我々の国家が自由であること、それが我々の目指す唯一の道です。自由な国家においてのみ、人民は自らの正義と自由を享有できるのです。専制国家においては人民にはいかなる正義も存在しないことを、これまでの歴史と現在のロシアが証明しています。私はロシアのテレビ放送を見ていてつくづく感じることなのですが、よく放送で目にする光景として、ロシアの民警が、逮捕者を足蹴にしているのを見ます。ロシアでは、自国に最低の人権尊重すらも存在しないことを全世界に見せつけ、こうした侮辱行為を隠そうという知恵すらも存在しないようです。本当に何故逮捕者を殴打し、それを全世界に公開するのか?愚かさの故か、人々に対する偏見なのか?本当に民主的な国家なら、無実の人に手錠をかけただけでも、警官が人権侵害で裁判に付され、処罰を受けるというのに。ロシアでは、人々に人権がないという事の方が正常なのです。ですから、ロシアには道義的にも、法的にもチェチェン国家に襲いかかって、我が国民に「秩序を回復し」、「正義を保証する」などと言える根拠は何もないのです。ロシアは、自分の所に何もないものを他人に与えることなど出来るわけがないのです。

アユーボフ、アスラン: A-Kh・サドゥラーエフは、チェチェン民族が少数民族であるが故に一致団結を目指さねばならないと、彼の内政、外政の全てがチェチェン社会の合意を目指すものであることを語っています。

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: 私は我々の道をほんの少しでも支持してくれる者は、誰も突き放す様な真似はしません。我々は統一と団結を目指さなくてはならない。これは、私が人々に対する忍耐力が有るからと言うことではなく、我々が小さな民族であり、歴史的に見て統一と団結が不可欠だからなのです。

アユーボフ、アスラン: もうすぐ、シャミリ・バサーエフがブデノフスクで1500人の人質を取った事件から10年が経ちます。そして第2次戦争でも、バサーエフは非武装の人々を拘束しています。テロリズムチェチェン抵抗運動のイメージを全世界的に傷つけていることに疑いは有りません。アスランマスハードフはこれを非常に良く理解していて、我が放送のインタビューにあたっても、再三にわたってテロリズムを批判してきました。我々はA-Kh・サドゥラーエフに、このようなテロロリズムに関する見解を質しました。

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: 我々は今、ただその権利が有ると言うだけでなく、敵に最大限の政治的、思想的損失を与える軍事的必要性があります。しかし、我々の攻撃目標は、敵対勢力の軍事的、経済的重要拠点でなくてはなりません。アスランマスハードフの死の少し前にも、我々の間では、この問題が討論されています。アスランは絶対的に、イスラム戦士たちは敵への攻撃目標は、経済的重要拠点と国家施設に限るべきという立場でした。これは、あらゆる戦争行為での合法的な攻撃対象であり、我々にはその権利があるというものです。攻撃の標的に平和で、武器を持たない、軍事行動に加わっていない者、まして婦女子を対象にすることは許されません。我々の立場に変わりはありません。我々は絶対的にテロリズムを批判します。これは、我々のやり方ではなく、我々の進むべき道ではありません。

しかしながら、このような行為がロシア占領者のチェチェン住民に対する際限ない残酷さに挑発されているものだということをことも忘れてはなりません。何も罪のない人々への拷問、人質としての拘束、大量虐殺が、ロシア占領者によって我が国土で、長年にわたって、連日のように行われてきています。我々の子ども達だけでも5万人もが殺されています。チェチェン人の家庭で、ロシアによる残虐、悲しみや痛みの被害を被らなかった例など一つとしてありえないのです。

アユーボフ、アスラン: アル・アルハーノフ(訳注:ロシアによる傀儡チェチェン共和国大統領)は、しばしばチェチェン情勢は正常化しつつあると声明しています。我々はA-Kh・サドゥラーエフに、チェチェン国民はこの政権を受け入れているのではないかと質問しました。

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: これらロシアの傀儡達がチェチェン国土でチェチェン国民に対して行っている行為は、人々にとって受け入れたり、支持したり出来るというものではありえません。人々の憤懣の気分は、武装抵抗勢力がこれら傀儡や裏切り者に打撃を与えるたびに大いに喜ぶといった状態に達しています。一つ例を挙げますと、最近いわゆる「掃討作戦」が、サマシキ村でありました。何がそこで起こったのか?背教者達は、自分たちの残酷さを競い合うかのように住民の財産、所有物を破壊して回りました。そしてこれら裏切り者たちの数グループの後ろには、主人であるロシア人たちが、その行為を煽りつつ、成果を確かめながら巡回していったのです。これは、誰か一人の人間が目撃したということではなく、サマシキ村の住民達全員が目撃したことなのです。これらラムザン派部隊、スリム派部隊その他の連中には、チェチェン人的、ムスリム的要素など何一つ残ってはいないのです。人々が自分達の首を刎ね、拷問を加えようとする者を支持すると言ったことがありえましょうか?

アユーボフ、アスラン: 我々はサドゥラーエフにチェチェン平和の展望について質問しました。彼はクレムリン当局がチェチェンだけでなく北コーカサス全域を不安定化させていると語りました。

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: プーチンとその将軍達は、全てのコーカサス人を自分たちの潜在的な敵対者と見なしています。どこかに新しいイスラム戦士の部隊が現れると言うことを恐れ、全く平和な気分でいる人々に向かって「先制攻撃」を加えることによって、事態を悪化させて、北コーカサス全域に新しい軍事紛争の火種をつくりだしています。懲罰本能の他に、プーチンにはコーカサスにおける如何なる政策も存在しません。その証拠に今や、マハチカラ(訳注:ダゲスタン共和国の首都)における爆破とイスラム戦士の襲撃事件は、ジョハール(訳注:チェチェン共和国の首都、グローズヌイのチェチェン側の呼び名、初代大統領の名にちなんでいる)におけるそれと変わらぬ件数となっています。イングーシェチアにおける駐屯ロシア軍に対する襲撃件数は、チェチニアでの襲撃件数をしのぎかねない状況となっています。カバルディノ・バルカリアでは、占領軍は、一人のイスラム戦士を殺す毎に、10人を殺されています。カラチャエボ・チェルケシアにおいては、軍事衝突の件数がますます増えています。アディゲヤは未だ紛争に巻き込まれてはおりませんが、ロシア側は何としても紛争に巻き込まずにはおかない勢いです。カルムイキアにおいては、プーチンは新しい知事と構成共和国首長の任命制に関する法規を利用して状況を悪化させ、それによってキルサン・イルムジーノフを自らの傀儡と後代させようと狙っています。

アユーボフ、アスラン: あらゆる戦争は何時しか終わるものです。しかし、A-Kh・サドゥラーエフは、プーチンが、自らの声明と行為により自らの平和への道を閉ざしてしまったと見ています。それでもサドゥラーエフは戦争はチェチェン人の屈服によって終わると言うことはないと確信しています。

サドゥラーエフ、アブドゥルハリム: プーチンはこの戦争を始めましたが、それを終了させる可能性を残していません。何故かと言いますと、チェチェン人は抵抗を何時になっても止めることはありませんし、屈服することはあり得ないからです。プーチンにはその他の方法で平和を実現する道は残されていません。もしも彼がより賢い政治家であったならば、非妥協的な声明によって自分を縛ったりせず、自分のメンツを失うことなしに退却する可能性を残したでしょう。今のところは、石油価格の高騰によって彼はチェチェンに金目当ての契約志願兵を送り込んでいられるでしょうが、ロシアでは年を追う毎に、肉弾が逼迫してきているのです。彼は、彼の背骨を我々がへし折らない内は戦っていられるでしょう。でも、我々は、我が国土に敵どもがいる限り、弱体化することはないし、疲れるということもありえません。何故かと言えば抵抗運動の人的資源は尽きるどころか、増え続けていくからです。