「カフカスの悲劇、過去と現在」

ootomi2005-07-27

カフカス基金による国際会議コミュニケ 2005年5月21日、イスタンブール
http://www.kafkas.org.tr/english/index.html#none
この会議の席上で発表された、チェチェン共和国大統領総代表、ウマル・ハンビエフの発言は次のURLに:http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20050601/1117590329

 270年間に及んだロシア−カフカス戦争における帝政ロシアに対する抵抗の終結と、これによって起こったカフカス人の追放の141周年の記念日である1964年5月21日、イスタンブールカフカス基金は、国際会議を招集し、3つのセッションで、15の文書を採択した。次に掲げるものは、この会議で、世界の世論に対して宣言されたものである。
 *もっとも重要なことは、カフカスの問題のいかなる解決も、現在の支配勢力であるロシアの、支配の精神の変更にかかっているという事実である。現在のロシア指導部は、問題を解決し、制御するために力を割くのではなく、問題が拡大するような土壌を作り出している。この状況においては、ロシアの在野の知識人たちへの支援が重要である。カフカスの問題は、ロシア社会の民主化の進行と同時に解決するだろう。

 *過去数世紀間、帝政ロシアによる意図的かつ組織的な、カフカスの数百万人の人々と祖国に対する破壊が続けられ、ジェノサイドと強制移住は、カフカスの人口分布を変えてしまった。現代においては、帝政ロシアが行ってきた犯罪は、国際法上「ジェノサイド」および「人道に対する罪」としてて意義付けることができる。

 *ロシアのジェノサイドの伝統は、ソビエト時代も続いた。チェチェン・イングーシ、カラチャイ・バルカル、メスケチ人、クリミア人たちは、ごく短時間のうちにシベリアに追放され、その大部分が犠牲となった。

 *同様のジェノサイド政策は、たった今も、ロシア連邦指導部によって続けられている。4万2千人の子どもたちを含む25万人の市民が、ロシア空軍の爆撃によってチェチェンで殺された。20万人の市民たちが、行方不明になった。40万人の市民たちが、安全を求めて世界に散っていった。チェチェンの421箇所の集落が完全に破壊され、居住不能になった。チェチェンで戦う双方が、直ちに、前提条件なしで戦闘を中止しなければならない。その例外は、和平交渉の場を設定することである。

 *ジェノサイドと、カフカスの人口のダメージは甚大で、141年の歴史は、この痛みを増していくばかりだった。ロシア連邦指導部は、カフカスの人々に対する、帝政ロシアソビエト政権と、ロシア連邦による犯罪に対して、責任を取らなければならない。その被害者でありつづけたカフカスの人々には、補償がなされるべきだ。

 *ロシアの人々がこれに寄与することは、カフカスの平和と安定にとって、不可欠である。

 *「民族共和国の精算」声明は、不安を生み出している。「クラスノダール地方とアドゥイゲヤ共和国ほかの合併」のような既成事実は、まったく受け入れることができない。16世紀以降の帝政ロシアの行いは、カフカス人の虐殺につながった。現在の「住民投票」は、平和にも、カフカスの調和にも反するものだ。(ロシアが、北カフカスのアドゥイゲヤ共和国(ロシアの連邦構成共和国)を、ロシア南部のクラスノダール地方に吸収しようとしていることを指す−訳注)

 *アブハジア共和国は、グルジアからの軍事侵攻を重い代価とともに抑止した。12年続いた、経済封鎖と貧困にもかかわらず、(アブハジアを屈服させる−訳注)目的は達せられなかった。アブハジアの人々の戦いは最大の尊敬に値する。アブハジアの人々の決意によって得られた独立は、国際社会の承認を受けてしかるべきだ。アブハジア国境の往来の自由は直ちに確保されなければならない。

*ロシアによる、カフカスの人々に対するジェノサイドと移住の犯罪は、糾弾されなければならない。被害者たちの権利は、国際社会において、一個の組織によって守られなければならない。

国際連合、UNPO(代表権を持たない国家・人民連合)、国際人権団体、各国政府、全NGOは、16世紀から続いている北コーカサスでのジェノサイドを終わらせるために、その活動を活発化させなければならない。
*(今回以降、−訳注)この会議は、EU加盟国の首都のいずれかで、国際社会からの参加を得て2年以内に開く。

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*1:このコミュニケは、500人の会議参加者を得て、国際社会に向けて宣言された